今回は長野県上田市前山(まえやま)の塩野神社(しおの-)について。
塩野神社(前山)は塩田平南部の山際に鎮座しています。
創建は不明。同市保野の塩野神社とともに、平安期の『延喜式』に記載された「鹽野神社」に比定される式内論社です。戦国期には武田氏や真田氏の寄進を受けたとのこと。
境内はとても雰囲気が良く、延喜式に記載されるにふさわしい風格があります。それだけでなく、江戸中期に造られた希少な楼門風の拝殿など、見どころの多い神社となっています。
現地情報
所在地 | 〒386-1436長野県上田市前山1681(地図) |
アクセス | 舞田駅から徒歩40分 上田菅平ICから車で30分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(中禅寺が兼務) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
塩野神社の境内は西向き。入口の社号標は「式内 郷社塩野神社」。
一の鳥居は境内にはなく、中禅寺(塩野神社とほぼ隣接)の門前のさらに先にあります。
参道の左手には神楽殿。桟瓦葺の入母屋。
雨戸で締め切られています。
二の鳥居は木造の両部鳥居。扁額は「鹽野神社」。
鳥居の奥には太鼓橋。
切妻の屋根がついており、下には澄んだ川が流れています。
橋の先には勅使殿(拝殿)と本殿が鎮座しています。
勅使殿(拝殿)
勅使殿は銅板葺の切妻(平入)。正面1間・側面1間。一間一戸の楼門。柱は円柱。
拝殿は勅使殿ともいわれ、棟札により建築は江戸中期の寛保三年(一七四三)作者は上田市房山の名工、末野忠兵衛とわかる。楼門形式の拝殿は、現在のところ県内では諏訪大社と本件が確認されるのみで、建築史上貴重な物件である。
境内案内板(設置者不明)より抜粋
補足すると、末野家は別所神社本殿や安楽寺山門など、近辺の江戸中期の寺社をいくつか手掛けた一門です。また、ここで言っている諏訪大社は下社春宮・秋宮の幣拝殿のことですが、春宮は1779年、秋宮は1777年の完成なので、この塩野神社の勅使殿のほうが少し古いものです。
1階部分を左側から見た図。
楼門風の拝殿は非常にめずらしいものですが、細部の意匠を観察してみると、本来なら寺院建築でしか採用されない禅宗様が見られます。
組物は柱上だけでなく、柱間にまで配置されています。これは詰組という禅宗様の意匠ですが、東信地方や山梨県では神社でもしばしば使われています。組物のあいだには蟇股(かえるまた)と巻斗(まきと)。
側面の壁板は縦方向に張られています。ふつう、神社では横方向に壁板を張ります。
柱は上下の端が丸くすぼまった粽(ちまき)。そろばんの珠のような土台(台盤)の上に柱が立てられています。
粽も台盤も基本的に禅宗様であり、神社では使われません。
2階部分。
縁側は切目縁(きれめえん)で、欄干は跳高欄(はねこうらん)、床下は一手先の組物で支えられています。
正面の窓は釣鐘のかたちをした火灯窓になっています。火灯窓もふつうは神社では使われません。窓の上の扁額は篆書体で「勅使殿」。
扁額がかかっている頭貫と台輪は、両端に木鼻がついています。頭貫・台輪の両方に木鼻が付くのは禅宗様ですが、東信地方では神社でもこのような意匠がまれに見られます。
柱上の組物は三手先。先端が平たい、和様の尾垂木が突き出ています。
軒裏は二軒(ふたのき)の繁垂木。
2階側面は、やはり壁板が縦方向に張られています。組物などの意匠は正面と差異なし。
組物で持出しされた妻虹梁は二重になっており、その上では笈形(おいがた)付き大瓶束(たいへいづか)が大棟を受けています。
案内板にあるように下社春宮・秋宮の幣拝殿とよく似た造りをしていますが、この勅使殿は江戸中期にしては彫刻が少なめで古風な造りをしており、神社なのに禅宗様が多分に取り入れられている点が特徴的かつ個性的。
本殿
本殿は銅板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。
祭神はスサノオ、大国主、スクナビコナ。
造営年は1750年。案内板の解説は下記のとおり。
本殿は一間社流造で、建築は寛延三年(一七五〇)作者は拝殿と同じく末野忠兵衛である。各所に雲や天女、虎・牡丹・竜等の彫刻が施され、この時代の地方作としては彫刻が多く用いられた初期の作品であり、当寺の様式を良く伝えている。
境内案内板(設置者不明)より抜粋
正面の軒先を支える柱は、几帳面取りの角柱。
角柱は虹梁(こうりょう)でつながれており、その上の中備えにはびっしりと彫刻が配されています。中央の蟇股は菊、その左右には2羽の兎が遊んでいます。
虹梁の両端の木鼻は唐獅子と象。さすがに立川流・大隅流の彫刻とくらべると見劣りの感がありますが、江戸中期のものなので良い造形だと思います。
柱上の組物は上に向かって広がる構造をしており、禅宗様の組物をほうふつとさせます。
正面の軒先(写真右)は桁を介して組物でささえられていますが、桁が3本も使われています。破風板には菊の花が彫られた桁隠しがついていて、桁が3本もあるので桁隠しはやや大きめのサイズ。
桁の左では手挟(たばさみ)が垂木を受けており、手挟には菊の花と葉が籠彫りされています。ここは江戸中期らしい作風。
向拝柱と母屋(写真左)をつなぐ海老虹梁(えびこうりょう)は、あまり大きく曲がっておらず、意匠もシンプル。
母屋の正面は黒い板戸。板戸の両脇には竜と思しき彫刻がはめられています。
縁側は切目縁が3面にまわされており、欄干は跳高欄。背面をふさぐ脇障子には題材不明の彫刻が施されています。縁の下は縁束で支えられており、組物の下には雲状の飾りがついています。
母屋の側面。
母屋柱は円柱で、長押と頭貫で固定されています。長押の釘隠しは菊の形状。頭貫には紋様が彫られ、木鼻は拳鼻。
柱上の組物は尾垂木が出た三手先のもの。写真左上の尾垂木には竜が彫られていて、脇障子へとつながっています。組物のあいだには蟇股と巻斗。
三手先に持出しされた妻虹梁には波状の線彫り。その上は、2本の大瓶束のあいだに琴を弾いている人物の象が彫られています。その上では笈形付き大瓶束が棟を受けています。
境内社
本殿の左手には摂社の十二社。
妻入の切妻で、その正面に庇を付加しただけの春日造。
ほか、多数の境内社がありますが詳細は割愛。
以上、塩野神社(前山)でした。
(訪問日2020/08/01)