世をひねる

甲信地方(山梨県と長野県)の寺院・神社建築を語る雑記。

【大町市】仁科・阿部神社 ~鳥居がなければ垂木もない 無いもの尽くしの境内~

今回は長野県のマイナー観光地ということで、仁科神社(にしな-)と阿部神社(あべ-)について。

 

仁科神社と阿部神社は大町市の北部、木崎湖のほとりの森城跡(仁科城跡)に鎮座しています。

2つの神社の境内が隣接しており、仁科神社では仁科神明宮を意識したと思われる神明造の本殿を、阿部神社ではちょっと珍しい板軒の本殿を鑑賞できます。

 

 

現地情報

所在地 〒398-0001長野県大町市平森9675(地図)
アクセス

信濃木崎駅から徒歩20分

安曇野ICから車で50分

駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 20分程度

 

境内

参道

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冒頭に書いたように、仁科神社と阿部神社は境内が隣接しており、高札には2社が併記されていました。しかし鳥居の扁額には「仁科神社」とだけ書かれています。後述の阿部神社には鳥居はないようです。

上の写真の広場は森城(仁科城)の中心部だったようで、戦国時代は信玄の子である武田晴清こと仁科盛信が治めました。県歌『信濃の国』にも登場する“仁科の五郎信盛”(誤記ではありません)です。なお、仁科盛信は高遠城(伊那市)で甲州討伐の織田軍に徹底抗戦し、亡くなっています。

 

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参道の左側には手水舎と境内社があります。

手水舎は、水が止まっていました。

 

仁科神社 拝殿・本殿

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拝殿は鉄板葺の切妻(平入)。

境内入口の案内板は神社よりも城跡がメインの内容であり、立てられているのぼりも森城とあったので、どちらかと言えば神社よりも城跡を前面に押し出している感じです。

 

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拝殿の裏には幣殿?(右)と本殿(左)があります。

本殿は屋根が直線的で、垂木は一重。ただの切妻に見えなくもないですが、神明造でしょう。正面は通路で塞がれていて見えないですが、おそらく一間社です。よって本殿は鉄板葺の一間社神明造(いっけんしゃ しんめいづくり)。

由緒正しい神明造である仁科神明宮と比較すると解りますが、この仁科神社本殿は千木と鰹木や室外の柱がなく、神明造のシルエットを特徴づけるパーツがことごとく欠けています。

 

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本殿の左後方。

側面2間・背面2間で、母屋の柱は円柱。縁側の床下の柱も円柱でした。ちなみに仁科神明宮も縁側床下の柱は円柱です。

縁側は壁面と直行に床板を張った切目縁(きれめえん)が背面にも回されていました。脇障子はありません。

 

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阿部神社の拝殿のほうから仁科神社の社殿を見上げた図。

土を掘ったり盛り上げたりしたような地形をしていますが、城跡なので防御のための地形のようにも見えます。

 

阿部神社 拝殿・本殿

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仁科神社の本殿の後方には阿部神社の境内があります。後方の社叢の隙間からは、木崎湖の湖面がのぞいて見えます。

境内に鳥居がないのは、この神社に祀られているという阿部氏が鶏のせいで敵に捕らえられたため、鳥を避けたことに由来するようです。案内板によると阿部氏は仁科氏の祖先とのこと。

拝殿は鉄板葺の入母屋(平入)で、正面に向拝1間。

 

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拝殿の左手には神楽殿があります。神楽殿は鉄板葺の寄棟(平入)。内部の奥のほうが一段高くなっています。

右側に立っている倉庫は、見た感じからして山車が収められていそうな雰囲気。

 

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拝殿の裏には本殿があります。覆い屋がかかっていますが、側面が吹き放ちで壁がないので鑑賞に支障はありません。

本殿は銅板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。屋根の上に白木の鬼板が乗っており、屋根裏は垂木がない板軒(いたのき)という手法で造られている点がとても印象的。

県内で板軒の神社というと、武水別神社(千曲市)の摂社・高良社が県宝に指定されています。

 

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別アングル。

寺社建築の屋根裏は密な垂木でびっしりと埋め尽くされるものですが、この本殿はそれがありません。また、彫刻の類もほとんどなく、さっぱりとした軽快な趣です。

母屋の柱は、床上は円柱、床下は四角柱。円柱の成形が面倒なので「床上は円柱、床下は八角柱」という手抜き工作はありふれていますが、さらに手を抜いて四角柱にしてしまうというのは逆に潔いのではないでしょうか...?

縁側は壁面と平行に床板を貼った“くれ縁”に見えます。欄干は跳高欄(はねこうらん)。縁側の背面側の脇障子には、やはり彫刻はありません。

 

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左前方から見た図。

真榊が付けられた向拝柱はもちろん角柱で、几帳面取りがなされていました。ほかの角柱は普通の面取りでした。

階段の下の浜床は、なぜか異様に狭くなっています。

 

造営年代が気になりますが、案内板に記述がないうえウェブで調べても出てこないので不明。

柱の成形の手抜きからして江戸以降であるのは間違いなさそうです。特に文化財指定されていないところから察するに、江戸後期かそれ以降といったところでしょう。

 

本殿の解説は以上。

仁科神社は神明造なのに千木も鰹木も棟持柱もなく、阿部神社は入口に鳥居がないうえに屋根の垂木もありません。ここまで無いもの尽くしだと、逆に個性的なのではないでしょうか。

神社を見慣れている人でないと面白味が解りにくい内容なので、社殿よりも城跡のほうがプッシュされている理由も納得が行きます...

 

以上、仁科神社・阿部神社でした。

(訪問日2019/11/02)