世をひねる

甲信地方(山梨県と長野県)の寺院・神社建築を語る雑記。

【池田町】渋田見諏訪神社 ~流派不明のミステリアスな本殿~

今回は長野県のマイナー観光地ということで、池田町の渋田見諏訪神社(しぶたみすわ-)について。

 

渋田見諏訪神社は池田町の南部にある住宅地の中に鎮座しています。

若干の手狭さを感じなくもない境内には、この地域にしては大きめな規模の本殿があり、各所に配置された彫刻を楽しむことができます。また、本殿を観察していて奇妙な箇所があったので、これについても述べていきます。

 

 

現地情報

所在地 〒399-8602長野県北安曇郡池田町大字会染8652(地図)
アクセス

安曇追分駅から徒歩30分

安曇野ICから車で20分

駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 10分程度

 

境内

 

参道

f:id:hineriman:20191105121737j:plain

境内は東向きで、入口には真っ黒な両部鳥居が立っています。扁額は「諏訪神社」。

鳥居の後ろには神楽殿があるのですが、間が3メートルくらいしかなく、ちょっと狭いです。

 

f:id:hineriman:20191105121750j:plain

境内は鳥居・神楽殿・拝殿・本殿が一直線に並んでいます。

拝殿は切妻ですが正面側が妻入、背面側が平入で、なんとなく善光寺本堂の“撞木造”(しゅもくづくり)っぽい構造。

 

f:id:hineriman:20191105121826j:plain

正面側から見た神楽殿。拝殿と向き合うようにして建っています。

鉄板葺の切妻(妻入)。正面は1間で梁間に柱がなく、側面2間、背面5間。

中央奥は一段高くなっており、このような構造の神楽殿(舞台あるいは舞屋)は中信地方でしばしば見かけます。

 

本殿

f:id:hineriman:20191105121851j:plain

拝殿の裏にはブロック塀に囲われた本殿があります。諏訪神社なので祭神はタケミナカタ。

本殿は銅板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)、向拝1間。

正面1間(2.9m)・側面2間(1.9m)、向拝1間(1.6m)。案内板(設置者不明)によると、1811年(文化8年)に村岡直四郎によって造営されたことが棟札よりわかっているとのこと。

棟梁の村岡直四郎については、ウェブで検索してみてもあまり情報がなく、池田町のホームページなどに“大隅流の大工であろうと言われている”と、かなり曖昧な記述があるだけでした。

 

案内板(設置者不明)には“三間社”とありますが、母屋の正面の梁間に柱はなく、どうみても1間です。後述するように背面は3間になっていますが、正面1間なので一間社ではないか...というのが私の見解です。

 

f:id:hineriman:20191105194333j:plain



向拝の部分のアップ。

向拝を支える柱は、面取りされた角柱。柱の正面側には唐獅子、側面には象の木鼻が配置されています。

向拝と母屋のつなぎは、大きくカーブした海老虹梁(えびこうりょう)。その上では立体的な菊の意匠の手挟(たばさみ)。このような立体的な彫刻を籠彫(かごほり)といい、大隅流や立川流の建築でよく手挟に使われます。

 

気になったのは母屋の長押の上に配置された2つの組物(影になっていて見づらいですが)。

組物というのは、ふつうは柱の真上に置くものです。しかし上の写真では柱のないところに組物が配置されています。このような組物を詰組(つめぐみ)といい、たいていは禅宗様の寺院建築に使われます。また、甲府盆地近辺の神社本殿でもときどき使われます。

この渋田見諏訪神社は寺院ではないし、甲府盆地からも大きく離れています。そう考えると、この2つの詰組の下に柱があったほうが自然です。仮にここに柱が2本あると仮定すると正面の間口が3間になるので、案内板の“三間社”だとする記述とつじつまが合います。「もともと三間社だった」説が浮上してきました。

とはいえ、本殿の正面を観察しても柱を撤去したような跡は見つからないし、手掛かりになりそうな床下は隙間なく板で塞がれていて観察できません。よって「もともと三間社だった」説はここで袋小路となってしまいました...

この説については図書館の文献をあたった調査・考証が必要そうです。実際にやるかどうかは未定。

 

組物と柱の話はこの辺にして本殿の鑑賞に戻ります。

f:id:hineriman:20191105194502j:plain

右側面の妻壁。

写真下方で柱をつなぐ貫(ぬき)の上には、動物が彫られた立体的な蟇股(かえるまた)が置かれています。左側は唐獅子、右側は題材不明の獣。

虹梁は出三斗(でみつど)というタイプの組物で持出しされています。虹梁の上は、波の意匠の笈形(おいがた)が添えられた大瓶束(たいへいづか)が棟を受けています。

破風板には懸魚(げぎょ)が付いていますが、桁隠しはついていません。

 

f:id:hineriman:20191105194526j:plain
左側面。

こちら側の蟇股は、左側が波、右側が鶴。

 

f:id:hineriman:20191105194643j:plain

左側面の前方。

縁側の床板は壁面と平行に張られた“くれ縁”。階段の下の浜床もくれ縁です。くれ縁は切目縁よりも格下の貼りかたとされ、あまり寺社では使われません。欄干には白木の擬宝珠(ぎぼし)が乗っています。

階段と浜床、そして縁の下を覆う壁板は木材が新しいですが、なぜこんな風になっているのかは不明。もしかしたら前述の「もともと三間社だった」説と関係があるかもしれません。

 

f:id:hineriman:20191105194609j:plain

背面は蟇股などの彫刻はほぼ無く、シンプル。

こちら側は4本の円柱で構成されており、背面3間となっています。円柱は床下も手抜きなく円に成形されていました。

縁側の終端に立てられた脇障子は、両面ともに彫刻はありませんでした。

 

本殿の解説は以上。

本殿が一間社か三間社かわからなかったり棟梁の情報がつかめなかったりと、いろいろ気がかりな点はあるものの、非常に立派で見ごたえがあると思います。

町内でも屈指の規模の本殿なので、この点でもお薦めできます。

 

以上、渋田見諏訪神社でした。

(訪問日2019/11/02)