甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【笛吹市】大蔵経寺と物部神社

今回は山梨県笛吹市の大蔵経寺物部神社について。

 

大蔵経寺

所在地:〒406-0021山梨県笛吹市石和町松本610(地図)

 

大蔵経寺(だいぞうきょうじ)は笛吹市街の西端に鎮座する真言宗智山派の寺院です。山号は松本山。

創建は寺伝によると722年(養老六年)で、法相宗の寺院として行基によって開かれたらしいです。当初は松本寺と呼ばれており、隣接する物部神社は当寺の境内社だったようです。『甲斐国志』によると、室町時代には足利義満の庶子とされる観道が当寺に入山して中興し、その際に大蔵経を奉納したため、現在の寺号に改められました。室町時代は武田氏の祈願寺として隆盛し、武田信成や武田信虎によって伽藍が再建されました。武田氏滅亡後は徳川氏の祈願所となり、江戸時代も幕府や歴代の甲府藩主に崇敬されました。現在の境内伽藍は、江戸後期から幕末にかけてのものとのこと。

 

境内

大蔵経寺の境内は南向き。境内入口は、幹線道路と並行する路地に面しています。

右の寺号標は「大蔵経寺」。

 

駐車場の一画には鐘楼があります。

入母屋、桟瓦葺。

 

柱は角柱が使われ、頭貫や台輪に木鼻はありません。

柱上の組物は出三斗。中備えは平三斗。通肘木が使われています。

 

鐘楼の近くには、名称不明の門が南面しています。

薬医門、切妻、桟瓦葺。

 

門扉は桟唐戸で、桟唐戸の上部の菱組みの格子の部分には、三葉葵の紋があります。

 

境内の中心部の入口には仁王門があります。

三間一戸、八脚門?、入母屋、桟瓦葺。

 

扁額は「大蔵経寺」。

柱はいずれも角柱で、組物や木鼻のない簡素な造り。

 

仁王門の先には、本堂と思われる堂があります。

入母屋(妻入)、銅板葺。

 

当寺は重要文化財の絹本著色仏涅槃図をはじめ、県や市の文化財に指定された仏画を多数所蔵しています。その一部は、拝観で見ることができるようです。

 

仁王門を出て境内東側の墓地と物部神社のほうへ向かうと、このような空地と礎石があります。

これは「大蔵経寺建物跡」で、江戸後期までこの場所に多宝塔あるいは三重塔が建っていたらしいです。詳細は以下のとおり。

笛吹市指定文化財
大蔵経寺建物跡

平成十六年十月十二日指定

 中心に巨大な心礎を有する方形二重の礎石をもつ建物の跡である。内側は三間×三間、外側は五間×五間で、それぞれ中央の間は側面の間より50センチ広く、礎石中心間距離は2.5メートルとなる。
 心礎は2.1×1.2メートルと長大で、上面は周りの礎石より25センチ低い。心柱穴は東西に長い心礎の西寄りに、方形に彫り込まれている。ただし、開口部は鏨で円く抉られており舎利容器の回収を窺わせる。
 大蔵経寺に伝わる江戸後期の絵図には建物跡の位置に三重塔が描かれているが、柱間、心礎の状況から多宝塔以外の建物であった可能性も指摘されている。
 なお、礎石は強い火熱を受けて表面が割れたものが多く、周囲から炭化材や古釘も多く見つかっている。版築や掘込地形は明確ではない。

笛吹市教育委員会

 

中央にある心礎の石を南側から見た図。

心礎の石は周囲の礎石よりも低い位置に埋まっています。中央部の穴は、四角い穴のふちを削って丸くして現在の形状になったらしいですが、訪問時は雨水が溜まっていて底のほうまで観察できませんでした。

 

以上、大蔵経寺でした。

 

物部神社

所在地:〒406-0021山梨県笛吹市石和町松本615(地図)

 

物部神社(もののべ-)は大蔵経寺の裏山に鎮座しています。

創建は不明。社伝によると、武内宿禰と稚城瓊入彦命(若木入日子命)が東国を視察した折、物部氏の一族の和珥臣麿呂なる人物によって、御室山(同市春日居町)に祭祀されたらしいです。創建以来、国府の守護として崇敬されたようで、平安時代の『延喜式』に当社が記載されています。鎌倉時代初期に現在地に遷座し、幕末まで「物部十社明神」と呼ばれました。現在の社殿は明治末期に再建されたものです。

 

境内

物部神社の境内は南向き。境内入口は、大蔵経寺の東側の墓地の一画にあります。

 

墓地の中を進むと、鳥居の手前に「史跡 義民 島田富重郎之墓」があります。

島田富重郎は当地(山梨郡松本村)の名主で、1872年の大小切騒動(だいしょうぎり-)の首謀者のひとりとして逮捕され刑死します。

江戸時代の納税は米を納めるのが基本でしたが、甲斐国では米と金の両方で納める「大小切」という特殊な税法が武田氏時代からの慣例だったようで、明治政府によって大小切の廃止が布告されたため、甲斐国内で反対運動が起こりました。反対運動は一揆・打ちこわしに発展し、山梨県令の要請で派遣された陸軍によって鎮圧され、多くの逮捕者を出しました。

 

墓地の先には階段があり、境内中心部へつづいています。

入口の鳥居は木造両部鳥居。笠木の上に桟瓦の屋根が乗っています。

 

参道の先には拝殿。

入母屋、桟瓦葺。

 

拝殿右手前には手水舎。

切妻、桟瓦葺。

 

本殿の後方には石垣が積まれ、その上に本殿が鎮座しています。

 

本殿は、一間社流造、銅板葺。

明治末期の造営。

 

向拝柱は面取り角柱で、側面に象鼻がついています。

柱上の組物は黒い連三斗。虹梁中備えはありません。

 

右側面。

向拝柱の上では、黒字に金色の縁取りのついた手挟があります。

母屋柱は円柱。軸部は長押と頭貫で固定されています。

 

柱上の組物は連三斗。通肘木が使われています。

妻飾りは大瓶束。

破風板には3つの懸魚が下がっており、拝みは猪目懸魚、桁隠しは蕪懸魚です。

 

以上、物部神社でした。

(訪問日2024/03/16)