今回は山梨県甲斐市島上条(しまかみじょう)の八幡神社(はちまん-)について。
八幡神社は甲府市境に面した市街地に鎮座しています。
創建は、山梨県神社庁によると768年(神護景雲二年)で、県内でも屈指の古社らしいです。詳細な沿革は不明ですが、中世以降、甲斐国守護の武田氏やその家臣の土屋氏から篤く崇敬されました。武田氏滅亡後も歴代の領主に崇敬され、川除けの神事が現在も行われています。
現在の境内は江戸後期以降のものと思われます。本殿は一間社流造ですが、同様式のなかでも規模が大きいです。また、境内には室町後期の飯田河原合戦の供養碑があります。
現地情報
所在地 | 〒400-0123山梨県甲斐市島上条309(地図) |
アクセス | 竜王駅から徒歩40分 甲府昭和ICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
拝殿
八幡神社の境内は南向き。入口は甲府市街へつづく幹線道路に面しています。
右の社号標は「八幡神社」。
入口には石造明神鳥居。扁額は「八幡宮」。
鳥居の先には、無用橋と化した石橋がかかっています。
拝殿は、入母屋、桟瓦葺。
正面中央の柱間には、若葉の絵様が彫られた虹梁がわたされています。
柱は面取り角柱。柱上は、繰型のついた肘木が使われています。
右側面(東面)。
柱間は舞良戸。
正面と両側面に切目縁がまわされていますが、正面中央は階段があるため縁側が途切れています。欄干や脇障子はありません。
破風板の拝みには蕪懸魚。
妻壁には木連格子が張られていて、その下には横長の窓のような構造があります。
本殿
拝殿の後方には、塀に囲われた本殿が鎮座しています。祭神は誉田別命などの八幡神。
本殿は、桁行正面1間・背面2間、梁間2間、一間社流造、向拝1間 軒唐破風付、銅板葺。
向拝柱のあいだには虹梁がわたされていますが、中備えはありません。
唐破風の桁のあいだにも虹梁がわたされていますが、その上もこれといった意匠がなく、無地の小壁が張られているだけです。
唐破風の破風板も、兎毛通や懸魚がついていません。
中央の目立つ場所に装飾がなく、その割に規模の大きい本殿のため、間延びした印象が否めません。
向拝柱は几帳面取り角柱。正面には唐獅子、側面には獏の木鼻がついています。
柱上の組物は、出三斗の上に連三斗を乗せた構造のもの。
向拝柱と手挟を、左側面(西面)から見た図。
組物の肘木には、繰型や渦状の線彫りがついています。
手挟は、牡丹と思しき花が籠彫りされています。
向拝と母屋とのあいだに、海老虹梁などの懸架材はありません。
母屋は正面1間、側面2間。正面は格子戸が設けられています。
正面と両側面に切目縁がまわされ、後方は脇障子でふさがれています。欄干は跳高欄。
母屋柱は円柱。
軸部は長押と貫で固定され、頭貫木鼻は唐獅子の彫刻が使われています。頭貫の上に中備えはありません。
柱上の組物は三手先。
支輪板には波状の彫刻が入っています。
妻飾りは二重虹梁。
大瓶束を立てて、上の虹梁や棟木を受けています。
破風板の拝みには懸魚。桁隠しの懸魚はありません。
大棟には小さな切妻屋根がつき、箱棟になっています。
鬼板には鬼の面が掲げられています。
背面は2間で、柱間は横板壁。
縁の下を支える持ち送り材は、繰型や渦が彫られています。
境内社など
本殿向かって右側(東側)には、稲荷社と思われる境内社が並立しています。由緒や正式な社名は不明。
拝殿向かって左にある社務所(公民館?)の玄関近くには、「飯田河原合戦供養板碑」があります。
高さは1メートル程度。安山岩製。表面に種字と碑文が彫られていますが、風化していて判読は困難です。奉納者や製作者は不明ですが、甲斐市公式サイト*1によると「大永六年九月」(1526年)の銘が確認できるとのこと。
飯田河原の戦いは1512年(大永元年)の合戦。今川家臣の福島正成*2が当地まで侵攻し、武田家当主の武田信虎が寡兵で応戦し撃退しました。古戦場は、荒川沿岸の当地区と対岸の甲府市飯田地区と比定されます。
以上、八幡神社(島上条)でした。
(訪問日2024/03/16)
*1:https://www.city.kai.yamanashi.jp/soshikinogoannai/shogaigakushubunkaka/bunkazaigakari/2/1/3/1296.html、2024/05/22閲覧
*2:姓の読みは「くしま」または「ふくしま」、名は「まさしげ」または「まさなり」。北条綱成の父らしいが諸説ある。没年も諸説あるが、どの説でも武田信虎の軍勢に討たれる点は共通している。豊臣家臣の福島正則との関連はとくにない。