今回は愛知県名古屋市の大須観音(おおすかんのん)について。
大須観音は中区の市街地に鎮座している真言宗智山派の寺院です。山号は北野山。寺号は真福寺。
創建は1333年(元弘三年)で、北野天満宮(京都市)の別当として開かれた真福寺が由来。南北朝時代には勅願所となり、戦国期には織田氏の寄進を受けたようです。当地に移転したのは1612年(慶長十七年)です。江戸後期には五重塔が建てられたようですが、明治期の火災で消失。太平洋戦争では空襲によりすべての伽藍を焼失しています。
現在の境内は楼門と本堂など一部の伽藍のみが昭和後期に再建され、本堂は鉄筋コンクリート造の大規模な堂宇となっています。
現地情報
所在地 | 〒460-0011愛知県名古屋市中区大須2-21-47(地図) |
アクセス | 大須観音駅から徒歩1分 名古屋高速白川料金所から車で3分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 大須観音 公式ホームページ |
所要時間 | 10分程度 |
境内
仁王門(山門)
大須観音の境内は南向き。入口は商店街の歩道に面しています。
仁王門は三間一戸、楼門、入母屋、本瓦葺。
1970年(昭和四十五年)再建。
柱は円柱。頭貫木鼻は拳鼻。
柱上の組物は二手先で、縁側の桁を受けています。
上層。扁額は院号「寶生院」。
軒下はハト除けの金網が張られ、細部の観察は困難。
欄干は跳高欄、組物は二手先、軒裏は二軒繁垂木。
背面。
上層の柱間には両開きの扉と連子窓が立てつけられていました。
壁面や欄間は白く塗り固められており、味気ない感が否めません。
仁王門から見た本堂。
鐘楼
仁王門の右手には鐘楼。
入母屋、本瓦葺。
柱は円柱。
頭貫木鼻は唐獅子で、その上には台輪木鼻が載っています。禅宗様木鼻の発展型といった感じ。
欄間の彫刻にはハトなどが彫られていますが、金網のせいでよく見えず。
組物は出組で、柱間にも詰組が配置されています。桁下には軒支輪。
境内にはかなりの数のハトが居て、鐘楼の鐘つき棒にまで止まっていました。これだけ居るとなると金網が張られるのも納得です。
鐘楼の隣ではハトの餌が売られており、購入した参拝者は餌を取り出すやいなやハトの大群に襲撃されていました。
本堂
境内中央には大規模な二重の本堂。
鉄筋コンクリート造、二重、入母屋、向拝3間・向唐破風、上層本瓦葺、下層桟瓦葺。
1970年再建。
本尊は聖観音。
禅宗様建築でよくある「一重裳階付き入母屋」に似ていますが、こちらは下層の屋根もはっきりと入母屋になっており、完全に別の様式です。
そして向拝には大きな唐破風がついていて、正面性の強い外観となっています。
向拝は3間。柱は几帳面取り。
中央の虹梁の中備えには蟇股があり、菊が彫られています。左右の木鼻は拳鼻。
小壁の扁額は「大悲殿」。
唐破風の兎毛通は猪目懸魚。
鬼瓦は獅噛のような意匠になっていました。上部にはちょんまげのような鳥衾が出ています。
向拝は、母屋の壁面から向唐破風が出ています。つなぎ虹梁の中備えには菊の蟇股。
母屋柱は円柱で、頭貫には拳鼻、柱上は二手先の組物、桁下には軒支輪。
上層。
見えにくいですが、組物は和様尾垂木の三手先。桁下に軒支輪。
軒裏は二軒繁垂木。よく見ると飛檐垂木や本瓦の断面に梅の紋が描かれていました。
本殿の左右には、回廊でつながった塔屋のような堂宇があります。
こちらは向かって左(西)の普門殿。
下層は入母屋、上層は宝形、本瓦葺。
こちらは向かって右(東)の紫雲殿。
様式は左側と同様。
以上、大須観音(真福寺)でした。
(訪問日2021/02/22)