今回は静岡県袋井市の尊永寺(そんえいじ)について。
尊永寺は市南東部に鎮座している高野山真言宗の別格本山です。山号および通称は法多山(はったさん)。
同市の油山寺、可睡斎とともに遠州三山のひとつに数えられます。
創建は寺伝によれば725年(神亀二年)、聖武天皇の勅命を受けた行基によって建立されたとのこと。室町期以降は今川氏、豊臣氏、徳川氏など時の権力者から庇護を受けて隆盛しました。しかし江戸後期の火災でほとんどの伽藍を焼失し、多数の塔頭も廃寺となっています。
現在の境内は大部分が1983年(昭和五十八年)に整備されたもので、整然とした現代的な伽藍となっています。いっぽう仁王門は室町期のものが焼失を免れて現存しており、国重文に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒437-0032静岡県袋井市豊沢2777(地図) |
アクセス | 愛野駅から徒歩1時間 堀越ICまたは新東名 袋井ICから車で20分 |
駐車場 | 200台以上(100~500円 ※時期により異なる) |
営業時間 | 08:30-16:30 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 法多山 尊永寺 |
所要時間 | 30分程度 |
境内
仁王門
駐車場から5分ほど歩いて境内に入ると、仁王門が西向きに鎮座しています。
境内入口近辺は観光客向けの店が並んでおり、遠州三山のなかでもとくに観光地化・商業化が進んでいる印象。境内で売られている「厄除け団子」は整理券が配られるほど人気らしく、そのせいか人出も非常に多いです。
この直前に行った油山寺は適度にすいていて、こちらも同様にすいていると思い込んでいたため、予想外の人出に困惑。
仁王門は三間一戸、楼門、入母屋、こけら葺。
棟札より1640年(寛永十七年)建立。国指定重要文化財。
案内板(設置者不明)によると“一説には播州(現兵庫県)二見、或いは遠州森町三倉より移築したと伝えられる”とのこと。
下層。柱はいずれも円柱。
正面の柱間は3間あり、そのうち中央の1間が通路となっています。よって三間一戸。
柱の上部には頭貫が通っていますが、木鼻は使われていません。
組物は三手先で、上層の縁の下の桁を受けています。中備えは蓑束。
側面は横方向に板が張られています。
柱上の意匠は正面と同様。
上層。扁額は山号「法多山」。
下層に対して上層は低く小さく造られています。
上層側面。
柱上の組物は和様の尾垂木三手先。持ち出された桁の下には軒支輪と小天井。
軒裏は二軒繁垂木。
縁側は切目縁で、欄干は跳高欄。
背面。
案内板いわく、中央の柱間に使われている蟇股に特徴があるようですが、遠くて詳細までは観察できず。
黒門
仁王門をくぐった先には、参道左手に南面する黒門があります。
一間一戸、四脚門、切妻、檜皮葺。
1631年(寛永八年)造営。左右の鎧塀とあわせて市指定文化財。
もとは塔頭の門として造られたもの。大棟には三葉葵の門が描かれています。
柱はいずれも角柱。四脚門は中央の柱だけ円柱を使うことが多く、すべて角柱を使ったパターンはめずらしいです。
主柱(写真中央)と控柱(右)にわたされた梁(男梁)は細い材が使われ、それを補うように下に女梁が添えられています。
柱は角面取り。江戸初期のもののため、面取りの幅はあまり大きくありません。
木鼻は拳鼻。
柱上の組物は大斗と実肘木を組み合わせたもの。巻斗や舟肘木は使われていません。
妻壁には大きな板蟇股。
内部に天井はなく、化粧屋根裏です。軒裏は一重のまばら垂木。
本堂
仁王門および黒門から本堂へは、ゆっくり歩いて片道10分程度。非常によく整備された現代的な参道で、とても歩きやすいです。
道中にもいくつかの伽藍や境内社がありますが、列挙しているときりがないため割愛。以下、本堂周辺の主要な伽藍のみを紹介します。
境内最奥の中心部には、回廊の連なる本堂が南面して鎮座しています。
入母屋、正面千鳥破風付、向拝3間、銅板葺。
本尊は聖観音。
大きな千鳥破風とゆったりした向拝が目を引く大型本堂。木造ではなく鉄筋であるせいか、現代風のプロポーションに感じます。遠目に見ても古風な趣はありません。
向拝は3間。面取りされた角柱が使われています。
水引虹梁に中備えはなし。
向拝柱と母屋は、湾曲した海老虹梁でつながれています。
向拝の軒裏を受ける手挟には繰型が彫られています。
母屋柱は円柱。柱上には出組。中備えは間斗束。
本堂向かって左手には、大師堂が東面して鎮座しています。
入母屋(妻入)、向拝1間、銅板葺。
大師堂の向かいには手水舎。
切妻、銅板葺。
諸尊堂
本堂向かって右には、塔頭寺院・北谷寺の諸尊堂。西向きです。
入母屋(妻入)、向拝1間、銅板葺。
造営年は不明。江戸後期以降のものでしょう。
向拝柱は几帳面取り。柱上の組物は連三斗。
木鼻は正面が獅子、側面が象。近代風の流麗な造形。
向拝柱と母屋をつなぐ海老虹梁。手挟はありません。
母屋柱は上端が絞られ、柱上には出三斗と連三斗が使われています。中備えはなし。
海老虹梁の母屋側のアップ。
唐草と波を組み合わせたような彫刻が入っています。下面の錫杖彫りも繊細。
右上に見える組物の木鼻も、きれいな造形だと思います。
堂内の外陣には格天井が張られ、天井板はひとつひとつに花鳥が描かれています。
中央には十二角形の文字盤があり、東西南北と十二支が描かれ、中央には三つ葉葵の紋があしらわれています。
諸尊堂の後方には境内社・白山神社。
社殿前の階段が立入禁止になっており、遠目に見ることしかできません。
様式は三間社入母屋、正面千鳥破風付、向拝3間、檜皮葺。あまり見かけないおもしろい様式のだけに、近づいて観察できないのが非常に惜しいです。
造営年代は不明。入母屋本殿で千鳥破風が付く例で江戸初期より古いものは見たことがないので、江戸中期以降のものと推測。
祭神は白山社なのでククリヒメ、イザナキ、イザナミの3柱でしょう。
以上、尊永寺でした。
(訪問日2021/03/20)