今回は山梨県甲州市の山王権現社(さんのうごんげんしゃ)について。
山王権現社は塩山地区の北東部の集落に鎮座しています。
創建は、社伝によると806年(大同元年)。日吉大社(滋賀県大津市)から勧請されたと思われます。その後の詳細な沿革は不明。江戸初期の1603年(慶長八年)には、徳川家康により社領が寄進されたとのこと。1698年(元禄十一年)には社殿が再建されたようです。現在は「山王神社」として山梨県神社庁に登録されています。
現在の境内は、拝殿と本殿2棟だけの簡素な内容です。県の文化財に指定されている本殿は、建築様式から安土桃山時代頃のものと推定されているだけでなく、神社本殿としてめずらしい二間社という構造で造られています。
現地情報
所在地 | 〒404-0032山梨県甲州市塩山下粟生野1487(地図) |
アクセス | 塩山駅から徒歩30分 一宮御坂ICから車で25分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
拝殿
山王権現社の境内は南西向き。境内は塩山地区北東部の傾斜地にあり、集落の生活道路に面しています。
鳥居は社頭から30メートルほど手前(南西)の、道路脇に立っています。おそらく、もとは道路上に設置されていたのでしょう。
石造明神鳥居で、扁額は「山王宮」。
道路を進むと社頭に到着し、低い石垣の上に境内が造られています。境内の中心部には拝殿があります。
拝殿は、入母屋、鉄板葺。
大棟の紋は三階菱です。
正面中央の軒下。
扁額は「山王神社」。前述の鳥居の扁額は「山王宮」で、後述の本殿の指定上の名称は「山王権現社本殿」となっており、社名に表記ゆれが目立ちます。
柱はいずれも角柱で、組物はありません。
軒桁から腕木と小天井を張り出し、軒先を支えています。屋根は、おそらく茅葺で、その上に赤く塗装された鉄板を張ったのでしょう。
拝殿向かって左手には手水舎。
切妻、銅板葺。
昭和後期に、本殿の修理にともなって造られたもの*1。
左右各1本の柱だけの、簡素な構造。破風板は直線的な形状。
本殿
拝殿の後方には、塀に囲われた2棟の本殿が鎮座しています。拝殿の真後ろにあるのが山王権現社本殿。
祭神はスサノオと大国主*2。社名から推察するに、日吉大社の祭神(山王権現)の分霊かと思われますが、オオヤマツミは祀られていないようです。
桁行2間・梁間1間、二間社流造、向拝1間、こけら葺。
県指定有形文化財。
安土桃山時代頃(16世紀後半から17世紀初頭)の造営と考えられています。案内板の解説は以下のとおり。
本殿の創建については、明確な資料を欠くが、小殿ながら木割は雄大であり、西取り(原文ママ)*3角柱、大瓶束の結線、蟇股の形態絵様、反り棰、斗栱や支輪の形状、木鼻、拳鼻の姿、その他様式手法などの細部についても室町的であり、再興は室町末期、降っても桃山初頭のものと推定される。
塩山市教育委員会
案内板いわく、室町末期~安土桃山の造営とのこと。しかし、同様の建築様式で室町風の古風な技法が使われた八幡穂見神社本殿(中央市)が1671年の造営であることを考えると、この本殿も、安土桃山より時代が降った江戸前期(17世紀中期から後期)の造営の可能性があると思います。
向拝は1間。
虹梁は渦状の絵様が薄く彫られ、下面には眉欠きがあります。
中備えは透かし蟇股。菊と思しき花が彫られています。
向拝柱は面取り角柱。面幅が大きめに取られており、安土桃山から江戸前期の作風です。
柱の側面には拳鼻。繰型と渦状の意匠がついています。
組物は連三斗。拳鼻の上の巻斗で持ち送りされています。
手挟には渦状の雲の彫刻。やや古風な彫刻ですが、良い造形だと思います。
向拝の階段は5段。
階段の下には浜床が張られ、浜床の下には蹴込板が張られています。
母屋の正面には2組の板戸が設けられ、二間社というめずらしい様式の本殿となっています。
とはいえ、甲府盆地周辺には二間社が点在していて、前述の八幡穂見神社(県指定)のほか、同市の金井加里神社(県指定)と通神社(市指定)、山梨市の山梨岡神社(県指定)と大井俣神社などの例があります。
扉の上には長押が打たれています。
頭貫の上の中備えは透かし蟇股で、笹の彫刻が見えます。
組物で持ち出された桁の下には、軒支輪があります。
側面は1間。柱間は横板壁。
縁側は切目縁が3面にまわされ、背面側に脇障子を立てています。
母屋柱は円柱。頭貫には拳鼻。
柱上の組物は出組。通肘木が使われています。
側面の中備えには、詰組と間斗束が入っています。
妻虹梁には渦と若葉の絵様が入っています。
妻飾りは大瓶束。
破風板の拝みと桁隠しは蕪懸魚。
背面は2間。
側面と同様に、柱間は横板壁で、中備えは間斗束。
母屋の床下は板でふさがれています。縁の下は縁束で支えられています。
屋根はこけら葺のようで、保護のため表面に薄い網が張られています。
境内社
本殿(山王権現社本殿)の右隣には、名称不明の境内社(おそらく摂社)があります。
一間社流造、銅板葺。
造営年不明。私の予想になりますが、江戸中期か後期のものだと思います。
虹梁中備えの蟇股には、花鳥と思しき彫刻が入っています。
向拝柱は几帳面取りで、側面には象鼻。江戸前期より古い本殿は、この柱を角面取りするのがふつうです。
母屋柱は円柱。頭貫には拳鼻。
母屋の組物は連三斗が使われています。中備えは蟇股で、題材は紅葉(モミジ)。
妻飾りは大きな蟇股が置かれています。
破風板から下がる蕪懸魚は、中央部が細くくびれた形状。
背面。片側の脇障子が欠損してしまっています。
蟇股の彫刻は、杜若(カキツバタ)に見えます。
以上、山王権現社でした。
(訪問日2022/04/22)