今回は滋賀県東近江市の旭野神社と法雲寺について。
旭野神社
所在地:〒529-1523滋賀県東近江市上麻生町61(地図)
旭野神社(あさひの-)は近江鉄道沿線の上麻生町の集落に鎮座しています。
創建は不明。山部神社文書の1499年(宝徳元年)の記事に当社と思われる記述があり、その頃には確立していたようです。古くは十禅師権現と呼ばれ、明治時代に現在の社号に改められました。
境内に立つ石造七重塔は鎌倉時代の造立とされ、市指定有形文化財となっています。
境内
旭野神社の境内は南東向き。境内入口は集落の生活道路に面しています。
入口の鳥居は石造の明神鳥居で、南西を向いています。
右の社号標は「旭野神社」。
鳥居のとなりには石造七重塔が立っています。
花崗岩製。全高2.74メートル。
1329年造立。市指定有形文化財。
基礎の部分の形状が石造七重塔にしてはめずらしい形らしく、宝篋印塔の基礎を流用して改造した可能性が高いとのこと*1。
近隣にある比都佐神社宝篋印塔や赤人寺石造七重塔が国の重要文化財であるのに対し、この石造七重塔は市の文化財にとどまっていて、ほぼ同年代のものなのに評価にひらきがあります。私の予想になりますが、基礎の部分の由来がわかっていないのが、この石造七重塔の評価が低い原因かと思います。
基礎の部分。
花びらのような意匠(反花)がついており、石造七重塔ではめずらしいようです。
塔身には種子(梵字)が彫られています。
拝殿などの社殿は南東向き。
拝殿は、入母屋(妻入)、桟瓦葺。
柱は角柱で、柱上は舟肘木が使われています。
破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。
入母屋破風には木連格子が張られています。
内部は格天井。
扁額は「旭野神社」。
拝殿の先にある覆屋の中には、本殿が納められています。
一間社流造、屋根葺きは不明。
造営年不明。向拝柱や蟇股の造りから、江戸中期以降のものと思われます。
祭神は十禅師権現。
向拝柱は几帳面取り角柱。側面には象の木鼻。
組物は出三斗。象の頭に乗った巻斗が、組物を持ち送りしています。
中央奥に見える母屋柱は円柱。側面には象頭のシルエットの大仏様木鼻が使われています。
本殿のとなりの建物の内部には境内社。
三間社流造、こけら葺(とち葺)。見世棚造。
祭神は不明。
以上、旭野神社でした。
法雲寺
所在地:〒529-1523滋賀県東近江市上麻生町62(地図)
法雲寺(ほううんじ)は旭野神社に隣接して鎮座する天台宗の寺院です。山号は常楽山(常樂山)。
創建は不明。旭野神社とともに十禅師権現と呼ばれていました。
当寺に祀られる帝釈天立像は、元禄年間に(1688-1704)甲賀の飯道寺から当寺に移されたもの。常時の拝観は不可ですが、平安時代の作とされ国重文となっています。
境内
法雲寺の境内は南向き。前述の旭野神社の北側に鎮座しています。
本堂と思しき建物は、入母屋、向拝1間、桟瓦葺。
本堂向かって右にはこのような門があり、その先に観音堂が西面しています。
門は、一間一戸、薬医門、切妻、桟瓦葺。
観音堂は、宝形、向拝1間、桟瓦葺。
堂内に安置されている木造帝釈天立像は平安時代の作と考えられ、国重文。全高は160センチメートルとのこと。もとは甲賀市の飯道寺(現在は廃寺らしい)にあったようで、元禄年間(1688-1704)に当寺に移されています。常時の拝観は不可。
向拝柱は几帳面取り角柱。側面には獏の木鼻。
組物は連三斗。獏の頭の巻斗で持ち送りされています。
虹梁中備えの蟇股は、波に竜の彫刻。
正面の軒下。
中央は格子の引き戸、左右は火灯窓。
軒裏は一重まばら垂木。
向拝柱と母屋は、まっすぐな梁でつながれています。
母屋柱は角柱。
柱の上部に頭貫と台輪が通り、禅宗様木鼻がついています。
母屋の組物は出三斗。
側面の柱間は、前方は舞良戸が使われています。
台輪の上の中備えは蟇股。
背面および右側面は、板で補修されていました。
以上、法雲寺でした。
(訪問日2022/10/15)
*1:東近江市教育委員会の案内板より