甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【上田市】西光寺

今回は長野県上田市の西光寺(さいこうじ)について。

 

西光寺は市東部の富士山地区の集落に鎮座する真言宗智山派の寺院です。山号は松本山。

創建は寺伝によると平安時代。空海が当地を訪れ、手ずから彫った仏像を祀ったのが草創とされます。実質の創建は鎌倉後期で、北条国時(塩田流)が鶏足寺(栃木県足利市)の住職・実勝をまねいて西光寺を開いたのがはじまりです。

室町後期には武田氏の庇護を受けて隆盛しますが、江戸時代の1678年(延宝六年)に前山寺の末寺となっています。1846年(弘化三年)には火災で本堂を焼失しますが、山門と阿弥陀堂は焼失を免れました。

現在の境内の主要部は、江戸後期から近現代の再建です。境内に鎮座する阿弥陀堂については室町後期のものと考えられ、長野県宝に指定されています。また、仁王門の金剛力士像2体は鎌倉時代の作とされ、市の文化財となっています。

 

現地情報

所在地 〒386-1212長野県上田市富士山3036(地図)
アクセス 下之郷駅から徒歩30分
上田菅平ICから車で20分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

仁王門と参道

西光寺の境内は南向き。寺の南の佐加神社に面した場所には、仁王門があります。

仁王門は、三間一戸、入母屋、銅板葺。

右の寺号標は「真言宗智山派 松本山西光寺参道」。

 

柱はいずれも円柱。

木鼻、組物、中備えといった意匠はなく、簡素な外観。

 

右側面(東面)。

柱間は縦板壁。

 

入母屋破風は板でふさがれています。破風板の拝みには懸魚。

大棟には小さな切妻屋根が付き、箱棟になっています。

 

内部の通路部分。奥には参道と山門が見えます。

内部も、目立った意匠はありません。通路部は棹縁天井。

 

左右の柱間におさめられた仁王像(金剛力士像)。

13世紀の造立と考えられています*1。「西光寺金剛力士像」の名称で市指定有形文化財となっています。

不動寺(須坂市米子)の寺伝や絵馬によると、当初、この仁王像は不動寺に安置されていて、宝暦年間(1751-64)に西光寺へ移動させたらしいです。案内板いわく、“力感に溢れた動きのある造形”で“県下鎌倉期の金剛力士像の代表例として高く評価される”とのこと。

 

仁王門の先には並木の参道が伸び、山門へつづいています。

 

山門と本堂

参道を進み、集落の生活道路を横断すると、山門があります。

一間一戸、楼門、一重、入母屋、銅板葺。

 

下層。

向かって左の柱の表札には「信濃乃国 塩田平四国霊場 番外札所」とあります。

 

正面の虹梁は、太い線で絵様が彫られています。

中備えは、出三斗が2つ。

 

下層の柱は面取り角柱。柱上は出組。

柱の正面には唐獅子、側面には象の木鼻。唐獅子は少し首を曲げて、内側(写真右側)をにらんでいます。

 

上層正面。

上層は正面側面ともに2間。いずれの柱間にも建具はなく、吹き放ち。

軒裏は放射状の二軒繁垂木。

 

上層の柱は円柱で、頭貫に木鼻があります。

組物は出組。中備えは蟇股。

軒桁の下の支輪板には、波の彫刻。

 

右側面(東面)。

鐘突きの棒が吊るされた柱間は、長押が一段高い位置に打たれています。

側面の中備えは蓑束。

 

破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。

奥まっていてよく見えないですが、妻飾りに虹梁があります。

大棟は、前述の仁王門と同様に箱棟です。

 

楼門の先には本堂。本尊は大日如来。

入母屋、向拝1間、本瓦葺。

 

向拝柱は面取り角柱。

正面には唐獅子、側面には象の木鼻。

 

母屋柱も角柱で、こちらは柱上に肘木が置かれています。

左側面(西面)には、位牌堂(写真左奥)へつながる庇と渡り廊下がついています。

 

阿弥陀堂

本堂向かって左手前には池があり、橋の先に阿弥陀堂が東面しています。

桁行3間・梁間3間、入母屋(妻入)、こけら葺。

室町後期の造営(推定)長野県宝

 

案内板の解説は以下のとおり。

 普通、阿弥陀堂は方三間(五間も稀にはある)の宝形造りで東面して建てるのだが、この堂の場合は奥行きが長く、実尺正面三間(5.45m)奥行四間(7.27m)の小堂で、前方柱間一つ分が吹放ちの拝所になっている変わった平面である。このような間取りは中世の小規模な仏堂にかなり多く用いられており、県内にも松尾寺本堂(穂高町)*2盛蓮寺観音堂(大町市)等の例がある。また室町時代のこのような仏堂には禅宗様の細部様式を使用することが多いが、この堂でも柱上端の組物・頭貫木鼻に禅宗様を用いている。

 後世の改修により屋根が茅葺きになっていたのを、昭和六十三年度からの屋根解体復元工事により平成元年、杮葺きに復元した。室町時代後期(16世紀後半)の手法を各所に留め、当地方に数少ない遺例である。

平成二年三月三十一日
長野県教育委員会
上田市教育委員会

 

屋根は妻入りの入母屋で、正面に小さな破風があります。

破風板の拝みには蕪懸魚が下がり、妻面には木連格子が張られています。

 

正面に向拝はありません。

正面の間口は3間で、建具がなく吹き放ちになっています。

 

正面向かって右の柱間。

柱はいずれも円柱で、上端が絞られた粽柱です。頭貫と台輪には禅宗様木鼻がついています。

柱上の組物は、出三斗と平三斗。中備えは間斗束。組物や中備えは和様のものです。

 

正面中央の柱間の詳細。

台輪の上の中備えは間斗束なのですが、中央の間斗束は束の部分が欠けていて、肘木と巻斗だけが桁下にぶら下がった状態。これは束が欠損してしまったのではなく、県内の寺社建築でときどき見られる信州特有の意匠です。

 

右側(北)から見た図。

前方の1間通りが開放的な外陣となっているのに対し、後方(写真右)は閉鎖的な内陣となっています。

柱は礎石の上に立てられ、床上は円柱なのですが、床下は八角柱に成形されています。これは目立たない床下の工作を省いたもの(円柱のほうが成形に手間がかかる)で、室町時代に出現する技法です。

 

後方の内陣部分。

柱間は楯板壁。

組物や中備えなどの意匠は、正面と同様です。

 

背面も3間。中央には引き戸が設けられています。

縁側は、切目縁が4面にまわされています。

 

背面の軒下。

中備えの間斗束は、いずれも束がある通常のものが使われています。

 

つづいて内部に移ります。

外陣の中央には鰐口が吊るされ、内陣の仏像を拝むための空間となっています。

外陣内陣の境目となる柱間には、格子戸が立てつけられています。中央の格子戸ははめ殺し、左右は引き違いです。

 

外陣には棹縁天井が張られています。

組物の前後方向(上の写真では左右方向)に梁がわたされ、天井を支えています。

 

内陣正面の、中央向かって左の組物。

組物の大斗の上には、禅宗様の台輪木鼻のような部材が出ていて、天井を支える梁を受けています。

また、内陣の正面中央の間斗束(写真右下)は、束が省略されています。

 

内陣には簡素な須弥壇があり、阿弥陀三尊像が祀られています。

須弥壇の来迎柱(仏像のうしろに立つ2本の柱)は、建物の外周の柱(側柱)よりも後方にずれた場所に立てられています。これは、内陣の空間を少しでも広く取るための工夫かと思います。

来迎柱の上部には、出三斗や禅宗様木鼻といった意匠が観察できます。

 

以上、西光寺でした。

(訪問日2023/07/29)

*1:上田市教育委員会の案内板より

*2:引用者註:松尾寺本堂は薬師堂とも言う。穂高町は現在の安曇野市穂高のこと。