今回は長野県塩尻市の奈良井宿(ならいじゅく)の寺社について。
奈良井宿は市南部の山間の川沿いにある宿場町です。五街道・中山道の六十九次のひとつで、江戸から数えて34番目の宿場となっています。
木曽路でも随一の宿場町で、全盛期には「奈良井千軒」と呼ばれるほどの繁栄を誇ったようです。現在でも往時の雰囲気が色濃く残り、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)として町並みが保存されています。
当記事では、奈良井宿の各所に点在する寺社を巡っていきます。
八幡宮(奈良井)と二百地蔵尊
所在地:〒399-6303長野県塩尻市奈良井960-1(地図)
奈良井駅を出るとすぐに奈良井宿の街並みが現れますが、そこから50メートルほど折り返して山のほうへ行くと、八幡宮(はちまんぐう)と二百地蔵尊があります。
鳥居の手前で脇道にそれると、二百地蔵尊と呼ばれる石仏群があります。
塩尻市観光協会*1によると、鉄道や国道の敷設工事で立ち退きを強いられた石造物が、ここに集められたようです。二百“地蔵”とはいうものの、石仏のほとんどは地蔵菩薩ではなく観音菩薩らしく、二十三夜塔もまじっています。
参道に戻って石段を昇ると、右に折れた場所に社殿があります。内部に本殿があり、この社殿は拝殿を兼ねた本殿覆いになっています。
庇の部分の柱は几帳面取りで、正面に唐獅子、側面に象の木鼻があります。
虹梁中備えは蟇股と出三斗。写真右の出三斗は、手前に繰型のついた腕木が突き出ています。
破風板の拝み懸魚。蕪懸魚で、左右の鰭は若葉の意匠。
妻面の扁額は「八幡宮」。
内部には本殿があり、左右には彩色された狛犬と随神像がならんでいます。
本殿は、一間社流造、屋根葺き不明。
境内の一角には摂社らしき社殿がありました。社名不明ですが、おそらくアマテラスを祀った神明社かと思います。
一間社神明造、鉄板葺。
柱はすべて円柱で、室外に棟持柱が立ち、屋根には千木と鰹木があります。
専念寺
所在地:〒399-6303長野県塩尻市奈良井751(地図)
奈良井宿の北端の高台には、専念寺(せんねんじ)があります。真宗大谷派の寺院で、山号は帰元山。
美濃国郡上(岐阜県郡上市)に開かれた草庵が前身で、天文年間(1532-1540)に木曽氏と馬場氏によって現在地に移転したとのこと。
本堂は、入母屋、銅板葺。
現在の本堂は1729年(享保十四年)に移築されたもの*2らしく、寺伝によると高山市の照蓮寺本堂をもとにして造られたとのこと。
向拝部分の柱は面取り角柱。組物はなく、軒桁を直接受けています。側面には象鼻。
虹梁中備えは蟇股。
柱と母屋のあいだの梁は、母屋の柱筋からずれた位置に取り付いています。
縁側は3面にまわされ、後方は壁が張られています。
縁側の外周には柱が立てられ、軒先を支えています。構造は少し異なりますが、盛蓮寺観音堂(大町市)や松尾寺薬師堂(安曇野市)と似た外観です。
本堂向かって左手には鐘楼。
切妻、銅板葺。袴腰付。
本堂向かって右手には玄関。
虹梁の蟇股は、人の字型のシルエットに波の意匠を取り入れたもの。
破風板の拝みの蕪懸魚。
左右の鰭は波の意匠。
大宝寺
所在地:〒399-6303長野県塩尻市奈良井423(地図)
奈良井宿の街並みに入り、南(京都方面)へ100メートルほど行くと、大宝寺(たいほうじ)の入口があります。臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は広伝山。
創建は寺伝によると1582年(天正十年)。木曽氏の一族の奈良井義高という人物が自身の菩提寺として開いたらしいですが、創建の経緯については諸説あるようです。当初は広伝寺と号していましたが、明暦年間(1655-57)に再興されて現在の寺号になりました。
入口には冠木門。向かって左の柱には「マリヤ地蔵庭園」とあります。
冠木門をくぐって進むと山門があります。
山門は、一間一戸、薬医門、切妻、銅板葺。
正面の軒下。
冠木の上から腕木を突き出し、軒桁を受けています。腕木の付け根部分には、籠彫りの持ち送りが添えられています。
冠木と軒桁のあいだには雲の彫刻。人物像が彫られていますが、私の知識では題材を特定できません。
門扉は桟唐戸。
妻飾りは笈形付き大瓶束。
門の先には本堂。
庭園には、当地の隠れキリシタンが信仰した「マリア地蔵」(子育て地蔵)なるものがあるようです。
長泉寺と神明宮
所在地:〒399-6303長野県塩尻市奈良井365(地図)
奈良井宿の街並みの中央あたりに差し掛かると、道がクランク状に折れ曲がります(鍵の手)。鍵の手の近くには長泉寺(ちょうせんじ)があります。曹洞宗の寺院で、山号は玉龍山。
寺伝によると1366年(貞治五年)の創建とのこと。
入口の山門は、一間一戸、薬医門、切妻、銅板葺。
左の寺号標は「曹洞宗 玉龍山 長泉禅寺」。
山門の軒下。
冠木から腕木と軒桁を出し、軒裏を支えています。
前述の大宝寺山門と同じ構造ですが、こちらは装飾がほとんどなく質素な趣。
妻飾りも角柱の束が立てられているだけで、装飾はありません。
山門の先には本堂。
入母屋(妻入)、桟瓦葺。
1866年再建。
本堂向かって左手前には鐘楼。
入母屋、銅板葺。
四隅の主柱は円柱が使われています。
主柱の内側には面取り角柱が添えられ、飛貫虹梁を支えています。
飛貫、頭貫、台輪には禅宗様木鼻。
組物は出三斗で、台輪上の中備えは間斗束。
軒裏は二軒繁垂木。
長泉寺の東側には神明宮があります。
入口には木造神明鳥居。
階段の先には、拝殿を兼ねた本殿覆いがあります。
内部の本殿は、一間社神明造、こけら葺。
手前の階段は8段もあり、段数が多いです。母屋柱は円柱、縁側の欄干は擬宝珠付き、室外には棟持柱があります。
千木は屋根を突き破って伸びた正式なもので、先端は水平に切り落とされています。大棟には鰹木が5本。さらに千木と鰹木の上には、棟と平行の棒材が置かれています。
鎮神社
所在地:〒399-6303長野県塩尻市奈良井68(地図)
奈良井宿の街並みの南端には、鎮神社(しずめ-)が鎮座しています。
伝承によると創建は平安末期で、当地の豪族・中原兼遠が鳥居峠に神社を祀ったのがはじまりとのこと。安土桃山時代には、木曽氏の奈良井義高によって現在地に遷座されたらしいです。1618年(元和四年)には、流行病を鎮めるため香取神宮が勧請され、現在の社号に改められました。
境内入口には木造明神鳥居。
扁額は「鎮神社」。額の上には唐破風の庇がついています。
鳥居の先には、拝殿とも神楽殿ともつかない社殿。
切妻、銅板葺。
柱は角柱で、柱間は格子でふさがれています。神楽殿にしては閉鎖的な造りなので、おそらくこれは拝殿かと思います。
内部。
周囲1間通りは外陣のような空間となっています。
天井は、内陣外陣ともに格天井。
拝殿(?)の先には、拝所を兼ねた本殿覆いがあります。
内部の本殿は江戸前期の造営で市指定文化財なのですが、登壇禁止となっていたため覗いて見ることはできませんでした。
手前の庇部分の柱は、面取り角柱。正面には唐獅子、側面には象の木鼻。
柱上は出三斗。
境内の南端には境内社が並んでいます。
以上、奈良井宿の寺社でした。
(訪問日2023/03/08)
*1:https://tokimeguri.jp/guide/suginamiki/、2023/07/28閲覧
*2:境内案内板(専念寺による設置)より