今回は長野県安曇野市の松尾寺(まつおじ)について。
松尾寺は市西部の有明地区に鎮座する高野山真言宗の寺院です。山号は鶴王山。
創建は不明。『長野県史』によると651年(白鳳二年)の創建とのこと。室町後期には仁科盛政によって再興されたと伝わり、現在の薬師堂はその頃のものと考えられます。江戸時代は隆盛したようで、十返舎一九の『続膝栗毛』に当寺が登場します。明治時代には廃仏毀釈でほとんどの伽藍が破却されました。
現在の境内は、破却を免れた仁王門と本堂(薬師堂)だけが残されています。本堂は盛蓮寺観音堂(大町市)とよく似た構造をしており、室町時代後期の造営とされることから、国の重要文化財に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒399-8301長野県安曇野市穂高有明7327(地図) |
アクセス | 安曇野ICから車で30分 |
駐車場 | 5台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | なし |
公式サイト | 松尾寺 |
所要時間 | 15分程度 |
境内
仁王門
松尾寺の境内は東向き。境内入口には池があります。
入口の仁王門は、三間一戸、八脚門、切妻、桟瓦葺。
側面2間のうち、前方の1間通りが吹き放ちになっています。
柱は面取り角柱。柱上は実肘木。
柱の内側(写真左)には挿肘木の斗栱が出て、虹梁を持ち送りしています。
軒裏は一重まばら垂木。
側面の妻壁。
妻飾りは笈形付き大瓶束。
内部向かって左。天井はなく、化粧屋根裏。
ここにも笈形付き大瓶束があります。笈形は波の意匠。
本堂(薬師堂)
仁王門をくぐると、階段の先に本堂が鎮座しています。別名を薬師堂といい、本尊は薬師如来です。
桁行3間・梁間3間、寄棟、銅板葺。
室町時代後期の造営と考えられます。具体的な年代については、1528年(大永八年)再建とする説があります*1。国指定重要文化財。
右手前(南東)からみた本堂の全体図。
母屋は正面側面ともに3間。
周囲1間通りを縁側と柱(縁束)に囲われていて、その柱間も加えれば正面側面5間です。
周囲に縁側がまわされ、縁の下を支える縁束を、軒裏まで伸ばしています。これは積雪対策と思われます。
建築様式や構造は同県大町市の盛蓮寺観音堂ととてもよく似ていますが、そちらは屋根が丸くて柔和なシルエットなのに対し、この松尾寺本堂は屋根が鋭く角ばっていてやや厳格な印象を受けます。
縁束は面取り角柱。軒裏まで伸び、舟肘木と軒桁を介して垂木を受けています。縁束と縁束のあいだには貫を通して強度を高めています。
縁束と母屋柱のあいだにも細い貫が通っています。
隅の部分では軒桁が交差し、交差した場所で軒裏の隅木を受けています。
隅木と軒先を見上げた図。
軒裏は一重の繁垂木。
母屋や縁側の大きさに対して、軒の出が非常に深いです。
外部からは観察できませんが、案内板*2によると、隅木は室内と室外を境に「く」の字型に曲がっているとのこと。これは屋根の形状と柱の位置を調整するための工夫で、ほかの建築では見られない技法らしいです。
縁の下。
縁束は、礎石の上に立てられています。
母屋の正面。
正面中央の柱間は、両開きの桟唐戸。桟唐戸のなかでもとくにシンプルな意匠のもの。左右の柱間は縦板壁。
桟唐戸も縦板壁も禅宗様の意匠です。この堂は、和様をベースとし、部分的に禅宗様を取り入れた折衷様といったところでしょう。
正面中央の桟唐戸の上の中備え。蟇股が置かれています。蟇股のはらわたには、三つ巴のような渦状の彫刻。
蟇股の上には巻斗と実肘木がありますが、蟇股が妙に小ぶりに造られているせいか、ややアンバランスな印象。言いかたを変えれば、地方色ゆたかな作風。
中備えは、正面中央は蟇股でしたが、そのほかは間斗束が置かれています。
頭貫には、繰型のついた禅宗様の木鼻。
組物は、隅は出三斗、ほかは平三斗が使われています。
右側面(北面)。柱間はいずれも縦板壁。
ほか、各部の意匠は正面とほぼ同じです。ただし、側面や背面は、中央の中備えが蟇股ではなく間斗束となっています。
背面。こちらも側面と同様、柱間は縦板壁。
縁側は切目縁が4面にまわされています。
左側面(南面)の縁側と縁束。
こちらは直射日光に当たり、風雪に曝されやすいのか、縁束が風化で痩せています。根元には、仕口で柱を継いで補修した跡が見て取れます。
正面から見た大棟。
建築様式は寄棟で、棟が短いため宝形に近いシルエットです。
大棟には箱棟が設けられ、前面には菊と思しき紋があります。
大棟を側面から見た図。
大棟の小さい屋根の下に、赤い鬼面が見えます。大棟の鬼面は甲信地方の寺社でしばしば見かける意匠です。
以上、松尾寺でした。
(訪問日2022/12/07)