今回は長野県大町市の盛蓮寺(じょうれんじ)について。
盛蓮寺は大町市南東部の山際の集落に鎮座している真言宗の寺院です。山号は源華山。
創建は平安末期と伝えられ、鎌倉時代中期に仁科盛遠によって現在地に移転されたとのこと。境内や伽藍については規模こそ標準的ですが、観音堂は室町期の造営とされており国指定重要文化財(重文)に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒398-0003長野県大町市社2937(地図) |
アクセス | 安曇沓掛駅から徒歩40分 安曇野ICから車で30分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道と伽藍
盛蓮寺の境内は南向き。道路から少し奥まったところに山門があります。
山門は鉄板葺の入母屋(平入)で、三間一戸。柱は角柱。大棟には桔梗の紋が描かれています。
門の内部には木像が多数安置されていました。
本堂は桟瓦葺の寄棟(平入)。
屋根が高く、寄棟ですが棟が短いため三角形に近いシルエットになっています。
柱は角柱で、扁額や意匠の類はとくに見られず。
観音堂
本堂の手前の参道右手には、国指定重要文化財の観音堂が鎮座しています。境内は南向きですがこの観音堂は西向き。
観音堂は銅板葺の寄棟(平入)で、正面3間・側面3間。柱はいずれも角柱。
造営年代については、案内板*1によると“古文書に文明二年(1470)と伝えており、様式手法上もその頃とみてよい”とのこと。
2枚目の写真は観音堂を左後方(北東の方角)から見た図。波打つようにカーブした軒先の曲線がおもしろいです。
盛蓮寺観音堂は、桁行三間、梁間三間の寄棟造であるが極めて短い箱棟を載せているので、宝形造に近い姿となっている。
昭和四十年の解体修理によって建立当時の状態に復元されたが、屋根は保存上茅葺形銅板葺としてある
観音堂の軒下と縁側。
軒は一重で繁垂木とし、茅負(かやおい)、裏甲(うらこう)を置く、四周に縁束(えんづか)を兼ねた軒支柱を立てまわして出の多い軒を支えている
縁の下を支える束を上に延長し、舟肘木(ふなひじき)を介して軒先を支えています。豪雪地帯ならではの工夫でしょう。
母屋の柱は角柱で、面幅の大きいC面取りとなっています。
このC面の幅は造営年代を推定する手掛かりになり、基本的に幅が大きいほど古いものと言えます。案内板によると下記のとおり。
側柱は大面取り(おおめんとり)の角柱で、面幅は柱幅の約七・五分の一に当りこれは鎌倉時代の面幅に近い
頭貫には木鼻がついており、柱上の組物は平三斗(ひらみつど)と出三斗(でみつど)が使われています。
柱間は、正面中央間を両開き桟唐戸(さんからど)側面前端間を片引板戸とするほかは、総べて竪羽目(たてはめ)板壁とする
写真右のほうの賽銭箱が置かれた場所の扉が桟唐戸です。
なお、桟唐戸や縦に張られた壁板は禅宗様建築の意匠の1つです。よってこの観音堂は和様と禅宗様が入り混じった折衷様の仏堂といえるでしょう。
堂内は拝観できませんが、案内板で内部の様子が解説されています。解説は下記のとおり。
堂内部は円柱を立て、前一間通りを外陣とし、奥二間通りを内陣として、境には中敷居を入れて中央に引違格子戸、両脇間に片引板戸を建てる。
内陣には来迎柱を立てて、来迎壁を設け、須弥壇を付ける 組物は内外共に三斗組となっている。
なお、観音堂本尊の木造如意輪観音坐像(市指定有形文化財)は鎌倉時代の造像とみられるが、補修のあとが著しく、当初の像様を損じていることが惜しまれる。
最後に観音堂の遠景。
室町期の造営のため彫刻は使われておらず、各部のディテールもあっさりとしていて非常に素朴な印象。それだけに、寄棟とも宝形ともつかないシルエットや、屋根の独特な曲面が味わい深いです。
また、軒先の支柱は観音堂の一部として破綻なく組み込まれており、屋根と雪の重みを受けるための実用的なものではありますが、視覚的な安定感を生みだすのにも一役買っているのではないでしょうか。
以上、盛蓮寺でした。
(訪問日2020/04/30)
*1:大町市教育委員会の設置