甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【弘前市】新寺町の寺社を巡る

今回は青森県弘前市新寺町(しんてらまち)の寺社群を巡ります。

 

弘前市の主要寺院である最勝院長勝寺のあいだには、「新寺町」「禅林街」と呼ばれる地区があり、どちらも文字どおり多数の寺院と史跡・文化財が集中しています。

今回は東から西へ「最勝院→新寺町→禅林街→長勝寺」といったルートで寺社を巡りました。

 

当記事では新寺町地区の寺社について述べます。

禅林街については当該記事をご参照ください。

 

袋宮寺(たいぐうじ)

所在地:弘前市新寺町26(地図)

新寺町地区には岩崎西目屋弘前線という幹線道路が東西に通っています。

最勝院から新寺町に入ると、地区の東側に弘前高校があり、その入口付近に袋宮寺があります。境内は北向き。

 

当初は報恩寺(後述)の末寺で、無量院観音堂と呼ばれていたようです。同市樋ノ口の熊野宮の神宮寺だった袋宮寺が、明治時代に現在地へ移転し、観音堂を本堂としました。

宗派は天台宗、山号は那智山。

 

入口は簡素な冠木門ですが、冠木に木鼻がついていたり、謎の腕木や梁があったりと、冠木門にしては異様に凝った作り。

高麗門を改造し、屋根を取り払ったもののように見えます。

 

本堂は、一重、裳階付き、入母屋、向拝1間、銅板葺。

寺伝では1677年(延宝五年)頃の建立(境内案内板より)。

青森県指定重宝(県指定文化財に相当)。

 

禅宗様建築を意識したような裳階(もこし)付きの入母屋。

外観は二重ですが、堂内は平屋です。

 

正面の裳階の軒下。

向拝柱は面取り角柱。柱上は大斗と実肘木。

虹梁に中備えはありません。木鼻は象鼻。

母屋の扁額は「観音堂」。

 

裳階の下は正面側面ともに5間。

柱はいずれも角柱。

縁側はありませんが、内部は板敷きになっていました。

 

裳階の上は正面側面3間。いわゆる方三間。

柱は円柱で、頭貫と台輪に禅宗様木鼻が使われています。

軒裏は上層下層ともに平行で一重の繁垂木。

 

堂内にあがることもでき、内部には天井に届くほどの大きさの観音像が安置されていました。

観音像(十一面観世音立像)は通称を「背高観音」と言うようです。像高は約6メートルで、東北屈指の巨像とのこと。青森県指定重宝です。

 

稲荷神社(いなり-)

所在地:弘前市新寺町33(地図)

袋宮寺から数十メートルほど西へ行くと、道路の北側の一画に鳥居が現れます。境内は南向き。

右の社号標は「稲荷神社」。Google Mapには新寺町稲荷神社とありました。

 

鳥居を通って進むと参道が生活道路で分断され、その先に社殿と社叢が見えます。

 

拝殿は、入母屋(妻入)、銅板葺。

正面の軒下だけでなく、入母屋破風にも扁額が掲げられています。扁額は両者とも「稲荷神社」。

 

本殿のとなりには、謎の骨組みが置かれています。

下のほうは車輪がついた台車になっていて、人力で牽引できそうな造り。弘前名物「ねぷた」でしょうか。

 

本殿は、一間社流造、銅板葺。

大棟には外削ぎの千木と、5本の鰹木。

 

向拝柱は几帳面取り。

虹梁中備えは蟇股。

組物は連三斗。象鼻で持ち送りされています。

 

母屋柱は円柱。

海老虹梁は、母屋柱の頭貫の位置から出て、向拝の組物の上に降りています。

 

頭貫には拳鼻。

中備えは蟇股。

妻飾りは笈形付き大瓶束。

破風板の拝み懸魚には、菊と思しき花が彫られています。

 

報恩寺(ほうおんじ)

所在地:弘前市新寺町34(地図)

幹線道路から100メートルほど南にはずれた場所には、報恩寺が北向きに鎮座しています。

創建は1655年(明暦元年)。津軽藩3代藩主・津軽信義の菩提寺として、4代藩主・信政が開いたとのこと。

宗派は天台宗、山号は一輪山。

 

山門は、一間一戸、薬医門、切妻、銅板葺。

 

冠木の上の中備えは蟇股。

内部には格天井が張られています。

 

腕木(男梁)は、先端に繰形が彫られています。その下に添えられた女梁は雲の意匠。

妻飾りは笈形付き大瓶束。

 

破風板の拝みと桁隠しにも、雲の意匠の彫刻がついています。

 

右側面。写真右が後方。

腕木は後方にも繰形がついていて、前後対称に近い構造をしています。薬医門としてはめずらしい造り。

 

門の先には本堂。

寄棟、正面向唐破風、銅板葺。

棟札より、1704年(宝永元年)再建。青森県指定重宝。

 

向唐破風の部分。

妻飾りは板蟇股。破風板に雲状の懸魚が見えます。

ほか、目立った意匠は観察できませんでした。

 

円明寺(えんみょうじ)

所在地:弘前市新寺町62(地図)

幹線道路に戻って西へ向かうと、円明寺(圓明寺)が北向きに鎮座しています。

創建は1499年。当初は青森市油川にあったようで、弘前城の築城にともない元寺町(禅林街)へ移転。1650年に現在地へ移転したとのこと。

浄土真宗大谷派。山号は法涼山。

 

山門は、一間一戸、薬医門、切妻、鉄板葺。

 

本堂は、入母屋、向拝1間、銅板葺。

1765年(明和二年)再建。青森県指定重宝。

県内にある真宗本堂として最古とのこと。

 

向拝柱は記帳面取り角柱。

柱上は小ぶりな出三斗。

側面は、外に木鼻、内に斗栱がついています。

 

虹梁中備えは板蟇股。

境内案内板によると、内陣の部材は金箔と漆塗りで表面処理されているとのこと。

 

本行寺(ほんぎょうじ)

所在地:弘前市新寺町92(地図)

円明寺の西には、本行寺が北向きに鎮座しています。

創建は、寺伝によると1578年頃で、津軽為信が堀越城に開いたのが始まりとのこと。1611年に禅林街へ移転し、1649年に現在地へ移転しました。

宗派は日蓮宗。山号は妙法山。

 

山門は、一間一戸、薬医門、切妻、銅板葺。

装飾的な意匠は見られず、薬医門の模式的な造り。

 

山門の先には本堂。

入母屋、銅板葺。

平成期の再建とのこと。

 

虹梁中備えの蟇股は、紅葉(カエデの葉)の彫刻。

向拝柱は几帳面取り角柱。柱上は皿付きの出三斗。木鼻は象鼻。

 

境内の一画には、護国堂が西面しています。

桁行3間・梁間3間、宝形、向拝1間、銅板葺。

1716年(享保元年)再建。青森県指定重宝。

 

正面の軒下。

部材は赤く彩色されています。各所の意匠は禅宗様をベースとしつつ、独特のアレンジが盛り込まれ、非常に個性的かつ独創的な堂だと思います。

 

向拝柱は糸面取り。江戸の後半のものだとわかります。

柱の側面は、外側に木鼻、内側に持ち送りの斗栱。

柱上の組物は連三斗。斗の下の皿が波打った形状になっています。このような意匠は初めて見たので驚きました。

 

虹梁中備えは平三斗と蟇股。

蟇股は花のような意匠で、白く塗装されています。

 

中備えの平三斗。

こちらも斗に波状の皿がついています。

 

向拝柱の上の手挟。

複雑な入組んだ繰形が彫られています。

 

柱間は桟唐戸。

その上の欄間は花狭間のような窓がついていて、吹寄せの格子が張られています。この意匠も初めて見ました。

 

母屋柱は円柱で、上端がわずかに絞られています。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

組物は出組。

 

側面も桟唐戸が使われています。

軒裏は二軒繁垂木。

 

新寺町の寺院については以上。

次回は禅林街の寺院群を巡ります。

(訪問日2022/04/09)