今回は長野県富士見町の乙事諏訪神社(おっことすわ-)について。
この神社は文字通り諏訪大社の系統で、ここから30分くらいの距離にある諏訪大社上社本宮と似た構造をした、いわゆる諏訪造(すわづくり)の社殿を見られます。
社殿は戦前に旧国宝に指定され、戦後は幣殿が国重文になっています。
現地情報
所在地 | 〒399-0213長野県諏訪郡富士見町乙事5410(地図) |
アクセス |
富士見駅または信濃境駅から徒歩50分 諏訪南ICから車で15分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
境内入口
境内の入口には手水舎と、養蚕関連のものと思われる石碑があります。
明治期の諏訪地域(特に岡谷と上諏訪)は製糸業で栄えていた歴史があるので、この辺りでは蚕の供養碑はわりとよく見かけます。
なんとなく木が邪魔な気がしないでもないですが、鳥居です。
額には「諏訪神社」とあります。右にある立て札には「重要文化財」と書かれていました。この神社は戦前は国宝(いわゆる旧国宝)でした。
念のため補足しておくと、戦前の“旧国宝”は戦後に“重要文化財”という呼び名にかわっただけなので、現行の国宝でないからといって決して格下げされたわけではありません。
鳥居をくぐると、石垣の上に幣拝殿が見えます。
幣拝殿
幣拝殿の全体図。
中央に幣殿、左右に片拝殿という並びは、諏訪造(すわづくり)の典型です。
規模こそ小さいですが、諏訪大社上社とそっくりな造りになっています。
中央に位置する幣殿(へいでん)。
銅板葺の切妻で、正面は軒唐破風(のき からはふ)。柱はいずれも丸柱(円柱)。正面1間、奥行き2間で、縦長な平面になっています。
諏訪大社の系統にしては彫刻が少なめですが、正面の梁の上の蟇股(かえるまた)の左右に、うるさくならない程度の量が配置されています。
諏訪大社だと“幣拝殿”という建物が中央に置かれますが、この神社は正面と左右が吹き放ちになった幣殿しかないので、厳密にいうなら諏訪造りとは呼べないかもしれません。とはいえ、諏訪造という様式も定義があいまいなので、この社殿も諏訪造と呼んで差し支えないでしょう。
片拝殿。銅板葺の切妻。正面2間、奥行き1間。柱は角柱。
こちらは蟇股すらない非常にシンプルな造り。
正面2間というのは諏訪造りの片拝殿としては最小規模で、ミニマムな造りです。また、柱が角柱ですが、これは諏訪大社(片拝殿にも丸柱をつかっている)よりも格下であることを明示するためと思われます。あくまでも私の推測ですが...
この幣殿と片拝殿は、案内板によると「鎌倉室町の手法を有し雄大豪壮な彫刻は桃山建築の特質をよく発揮している(原文ママ)」とのこと。
裏側からみた幣拝殿。
ご覧のとおり、幣殿は三方が吹き放ちで母屋(身舎)がないので、率直に言って張りぼての感がなきにしもあらずです。
本殿
そしてこちらが本殿、と言いたいところですが、本殿には覆いがついていて、のぞき込むことすらできません...
外観がぜんぜん分からないので、本殿の建築様式については割愛いたします。
案内板には「この神社の拝殿幣殿は神社建築史上重要なもので本殿を有しない神社の珍らしい例である諏訪神社(神宮寺)の~(以下略)」とありましたが、“諏訪神社(神宮寺)”というのは諏訪大社上社本宮のことで、“本殿を有しない”というのも上社本宮について言っているのでしょう。
よって、上の写真の覆いの中にあるのが乙事諏訪神社の本殿と思われます。
案内板には書かれていない、本殿の歴史
最後に余談。
この記事を執筆するために乙事諏訪神社の情報を検索したところ、「もともと乙事諏訪神社には上社と下社があり、旧国宝指定されていた上社が戦後間もない時期に火災で焼失してしまったため、下社の社殿を移築して1つの神社とすることで旧国宝指定の解除を免れ、現在の重要文化財指定に至る」という歴史があったのだとか。
わざわざ社殿を移築して、2つの神社を1つにまとめてまで旧国宝指定を守ろうとしたあたり、この町の人たちがいかに乙事諏訪神社を大切にしていたかが伝わってきます。自分の住む町に国宝があるというのは、やはり非常に誇らしいことなのでしょう。
わりと良いエピソードだと思うのですが、この辺のくだりが案内板では全てカットされていたのがなんとなく気にならないでもないです...
以上、乙事諏訪神社でした。
(訪問日2019/06/01)