今回は長野県富士見町の乙事諏訪神社(おっこと すわ-)について。
乙事諏訪神社は町の中心市街に近い住宅地に鎮座しています。
創建は社伝によると1490年(延徳二年)で、当地の産土神を祀ったのが始まりとのこと。1811年(文化八年)に諏訪明神を勧請し、1853年には諏訪大社上社本宮(諏訪市)の旧社殿を当地に移築しています。戦後は社殿が火災に遭い文化財登録を解除されそうになりましたが、同町の下社の社殿を移築することで登録解除を免れたようです。
境内は標準的な規模となっていますが、諏訪大社から移築された幣殿は当地に特有の諏訪造となっており、同様式の遺構の中でもとくに古いものであるため国重文に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒399-0213長野県諏訪郡富士見町乙事5410(地図) |
アクセス | 富士見駅または信濃境駅から徒歩50分 諏訪南ICから車で15分 |
駐車場 | 10台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
境内入口
乙事諏訪神社の境内は南東向き。
鳥居は少し奥まった位置に立ち、木の影になってしまっています。
向かって左の石碑は「蠶玉大神」。かつて県内の主要な産業だった養蚕にまつわるもの。
鳥居は石造の明神鳥居で、扁額は「諏訪神社」。
向かって右の立て札は「重要文化財 乙事諏訪神社」。
神社の社名は時代や媒体によって表記・表現の揺れが起こりがちで、当社はその典型です。
長野県神社庁のページには「諏訪社上社」とあり、これが登録上の正式な社名のようです。また、長野県教育委員会の文化財リストや文化遺産オンラインには「諏訪社」とあります。対して富士見町の公式サイトをはじめウェブ上では「乙事諏訪神社」という表記がほとんどのため、当記事もそれに準じています。
境内入口右手にある手水舎。切妻、銅板葺。
中備えには、あまり見慣れないX字状の意匠が配されています。
破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。
拝殿
鳥居をくぐると、石垣の上に社殿が鎮座しています。社殿は諏訪大社上社本宮(諏訪市)ものとほぼ同じ様式。
中央の屋根が拝殿・幣殿、左右の屋根は片拝殿。このように3棟を横に並べた社殿配置を諏訪造(すわづくり)といい、当地(諏訪地域近辺)に特有の建築様式です。
中央の拝殿と幣殿は1617年(元和三年)の造営。諏訪造の社殿として最古級の遺構といえます。ただし左右片拝殿の年代は不明。
もとは神宮寺の諏訪神社(諏訪大社上社本宮のこと)の社殿で、社殿の再建にともなって1853年(嘉永六年)に旧社殿を当地に移築したようです。戦前のいわゆる旧国宝に指定され、現在は国指定重要文化財となっています。
拝殿部分は桁行1間・梁間2間、向唐破風、銅板葺。
前述のとおり江戸初期の造営で、この時代の地方の社殿としては彫刻が多めで派手な造りだと思います。
柱は円柱で、上端が絞られています(粽という)。
柱の上部には頭貫と台輪が通り、禅宗様の木鼻が設けられています。
柱上の組物は出三斗。
中備えは蟇股。蟇股には星型(おそらく梶の葉)と唐草の意匠が彫られています。抽象的かつ平面的な造形で、江戸初期というよりは室町後期の作風に見えます。案内板(乙事区)いわく“鎌倉室町の手法を有し雄大豪壮な彫刻は桃山建築の特質をよく発揮している”とのこと。
蟇股の左右の欄間には梶の葉の彫刻がびっしりと配されています。他所の社殿ではあまり見られない個性的な意匠。
妻飾りはシンプルな大瓶束。大瓶束の上では出三斗が肘木を介して軒裏を受けています。
片拝殿
つづいて片拝殿。こちらは向かって右側。
桁行2間・梁間1間、切妻、銅板葺。
後方は連子窓と壁板が張られていますが、正面と左右は吹き放ちになっています。
柱は角柱で、やや大きめに面取りされています。
片拝殿はとくに文化財指定されていないようですが、こちらもそれなりに古いもの(江戸初期から中期?)に見えます。
頭貫と台輪には禅宗様の木鼻。柱上は出三斗と平三斗。
妻飾りは豕扠首、破風板拝みには猪目懸魚、軒裏は一重の吹寄せ垂木。
向かって左の片拝殿。
反対側の片拝殿と同様の造りをしているため、細部意匠は割愛。
幣殿
拝殿の後方には、拝殿と半ば一体化した切妻の屋根があります。こちらは幣殿。
幣殿は梁間1間、切妻、銅板葺。
拝殿と同様に1617年の造営。拝殿とともに「諏訪社」として国指定重要文化財。
前後方向の支えになる柱がなく、張りぼてじみた造り。
名称こそ幣殿となっていますが、実際は本殿の前に設けられることがある中門に近いと思います。
組物は三手先で、斜め方向に伸びていて独特な組みかたに見えます。
妻飾りは豕扠首、破風板拝みには猪目懸魚が下がっています。
拝殿の前から幣殿正面を見た図。
中央の桟唐戸は彫刻がついています。左右には脇障子が立てられ、こちらも彫刻があります。各所の羽目の彫刻は、梶の葉と思しき草葉が題材。
扉と脇障子の周囲には縁側がまわされているようで、跳高欄が立てられています。
本殿
拝殿の後方には本殿がありますが、覆い屋がかかっていて覗き込むことさえできず。
本殿の様式は不明。祭神は諏訪明神(タケミナカタなど)。
なお、案内板(乙事区)には“この神社の拝殿幣殿は建築史上重要なもので本殿を有しない神社の珍らしい例である諏訪神社(神宮寺)の神前建物”と書かれています。「乙事諏訪神社には本殿がない」とも解釈できる記述ですが、おそらくここで言う“本殿を有しない神社”は“諏訪神社”(諏訪大社上社本宮の旧社名)を指しているのでしょう。
当地の方々が善意で設置してくれた案内板とは思いますが、欲を言えば校閲を受けた文章の案内板(教育委員会などのもの)も欲しかったところ。
以上、乙事諏訪神社でした。
(訪問日2019/06/01,2021/11/03)