甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【河内長野市】金剛寺 その4(摩尼院、総門、鎮守社)

今回も大阪府河内長野市の金剛寺について。

 

その1では南門、楼門、食堂、竜王三社

その2では多宝塔、金堂、鐘楼

その3では薬師堂、五仏堂、御影堂などについて述べました。

当記事では摩尼院、総門、鎮守社について述べます。

 

摩尼院

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金剛寺の境内北側には摩尼院(まにいん)と本坊。

摩尼院は金剛寺の塔頭(子院)。最盛期の金剛寺には100もの塔頭があったようですが、現在も残っているのは数件のようです。

 

こちらでは行座所、庭園、宝物館を見ることができます。

拝観料は金剛寺と別途(400円)となっていますが、割安な共通券(500円)もあります。

 

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摩尼院は書院、表門、築地塀が「摩尼院4棟」として国重文に指定されています。

いずれも豊臣秀頼により1606年に再建されたもの。

書院の奥には行座所があり、その3の最後に述べた光厳天皇の皇太子が南朝方によって幽閉された座敷を見ることができます。ただし再建のため、南北朝時代の部材や意匠がどれだけ保たれているのかは不明。

 

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庭園については一部が工事中でした。

庭園の奥には宝物館があり、国指定重要文化財の仏像を見ることができます。ほか、訪問時は「天野山金剛寺と織田・豊臣・徳川」という企画展が開かれていて、戦国三英傑や徳川将軍家が金剛寺に発行した書状(朱印状や安堵状)が展示されていました。

 

総門

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境内の北端、金剛寺や摩尼院から少し離れた場所には総門が東面しています。柵で囲われており、内部を通行することはできません。

三間一戸、八脚門、入母屋、本瓦葺。

1700年の再建。「金剛寺22棟」として国重文。

 

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柱は円柱。

頭貫の上の中備えは間斗束。

軒裏は二軒繁垂木。

 

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左右の柱間には仁王像が安置されています。

頭貫には象鼻。柱上は出三斗。

 

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背面側は建具が省略されています。

内部の主柱のあいだには冠木のような部材がわたされています。

 

鎮守社

鎮守社は境内の東側に迫る山の中に鎮座しています。こちらは拝観料を取らない無料の区画になっています。

立派な社殿があるのですが、山中の非常にわかりにくい場所(地図)にあり、案内板の類も一切ないため、金剛寺や摩尼院とは対照的にまったく人気がありませんでした。

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こちらは楼門(その1にて既出)の前を流れる川にかかる鎮守橋

切妻、銅板葺。造営年不明。国登録有形文化財のようです。

この橋を渡り階段を登って車道に出て、数メートルほど北に天野山バス停があります。バス停から車道をはさんだ向かいに階段があり、そこから山へ入って行くと鎮守社があります。

 

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3分ほど山中を進むと拝殿があります。

入母屋(妻入)、桟瓦葺。

後述の鐘楼とともに1606年頃の造営。豊臣秀頼の寄進とのこと。両者とも「金剛寺22棟」として国重文

 

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拝殿の先には鐘楼。

切妻、本瓦葺。下層は袴腰。

 

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柱は円柱、頭貫には木鼻。

組物は大斗と実肘木で、中備えにも同様の意匠が配されています。

 

鎮守水分明神社本殿

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鐘楼の先には2棟の鎮守社本殿が並立しています。

こちらは向かって左にある鎮守水分明神社本殿(みくまりみょうじんしゃ-)

一間社春日造、檜皮葺。

1606年造営。「金剛寺22棟」として国重文。

 

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各所の意匠は安土桃山風の極彩色で塗り分けられています。

 

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向拝柱は角柱で、面取りされています。柱上の組物は連三斗。

柱の側面には青い木鼻が設けられ、緑色の斗を介して組物を持ち送りしています。

 

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虹梁中備えは蟇股。菖蒲と思しき花が彫刻され、美麗に彩色されています。

 

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前方には角材の階段が5段。

階段の下には浜床が設けられています。

 

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母屋柱は円柱。正面は格子の引き戸。

戸の上にも蟇股が配されています。写真の蟇股は梅の花と実。

 

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見切れてしまいましたが、向拝柱と母屋はゆるやかにカーブした海老虹梁でつながれています。

頭貫には木鼻。断面が黄色く塗り分けられています。

中備えは蓑束と実肘木。

縁側は3面にまわされ、背面側には脇障子が立てられています。

 

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背面。こちらも中備えは蓑束と実肘木。

妻飾りは豕扠首。

破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。

 

鎮守丹生高野明神社本殿

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つづいて向かって左にある鎮守丹生高野明神社本殿(にう こうや みょうじんしゃ-)

三間社流造、正面千鳥破風付、向拝3間、正面中央軒唐破風付、檜皮葺。

1606年造営。「金剛寺22棟」として国重文。

 

屋根に千鳥破風と軒唐破風がついた複雑な造りですが、正面の軒下の向拝が左右2つに分かれていていっそう複雑になっています。

 

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向拝、向かって右側。

こちらの社殿も安土桃山風の彩色がなされています。

虹梁中備えの蟇股には紅白の牡丹の彫刻。

 

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外側の向拝柱は面取り角柱。組物は出三斗。緑色の木鼻が組物を持ち送りしています。

ここは前述の水分明神社とほぼ同じ造り。

 

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内側の向拝柱。

柱上は出三斗で、緑色の木鼻がついています。

 

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2つの向拝のあいだには軒唐破風が設けられ、唐破風の小壁には蟇股が置かれています。

 

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唐破風の兎毛通は猪目懸魚。

鬼板は無地でした。

 

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母屋柱は円柱で、正面は3間。柱間は引き戸。

扉の上には彩色された蟇股があります。

 

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側面。

頭貫には緑の木鼻。中備えは間斗束と実肘木。

妻飾りは豕扠首。拝みと桁隠しに猪目懸魚。

この辺りの意匠も水分明神社とほぼ同じで、水分明神社の流造バージョンといった感じ。

 

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縁側は3面にまわされ、背面側には脇障子。欄干は跳高欄。

 

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背面。奥に見えるのは水分明神社。

背面は3間。柱上の中備えは間斗束と実肘木でした。

 

これにて金剛寺の境内伽藍をひととおり見てまわれました。

境内伽藍だけでも質・量ともに圧倒的でしたが、ほかにも仏像、宝物、庭園、歴史などなど見どころが大量にあり、私がいままで訪れた寺社の中でも最大級のボリュームと充実度でした。とはいえ通行止めや工事中、それから見落としにより紹介できなかった伽藍が何棟もあり、さらにほかにも塔頭があるようなので、いずれ再訪して加筆したいと思っています。

 

以上、金剛寺でした。

(訪問日2021/11/20)