今回は大阪府太子町の叡福寺(えいふくじ)について。
叡福寺は町の中心部に鎮座する太子宗の本山です。山号は磯長山。
別名は上の太子。中の太子・野中寺(羽曳野市)、下の太子・大聖勝軍寺(八尾市)と並ぶ三太子のひとつ。
創建は不明。寺伝によれば620年に聖徳太子が当地を自身の墓所に定め、聖徳太子の没後、推古天皇により叡福寺が開かれたとのこと。平安時代には嵯峨天皇などが参拝しており、この頃には確立されていたようです。戦国期には織田信長による兵火を受け、豊臣秀頼の寄進で境内伽藍が再建されています。江戸期には徳川綱吉によって門などが再建されています。
現在の境内伽藍は江戸初期以降のもので、聖霊殿と多宝塔が国重文となっています。法隆寺(奈良県斑鳩町)、四天王寺(大阪市)とともに聖徳太子信仰の中枢をなす古寺のひとつで、境内には聖徳太子の廟(墓所)があります。
当記事ではアクセス情報および南大門、金堂、多宝塔について述べます。
現地情報
所在地 | 〒583-0995大阪府南河内郡太子町太子2146(地図) |
アクセス | 上ノ太子駅から徒歩25分 太子ICまたは羽曳野東ICから車で5分 |
駐車場 | 20台(無料) |
営業時間 | 09:00-17:00 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 上之太子 叡福寺 【公式】 聖徳太子御廟所 |
所要時間 | 40分程度 |
境内
南大門
叡福寺の境内は南向き。境内入口は町の中心部の住宅地を通る道路に面しています。
塀の向こうには多宝塔、そして金堂の屋根が見え、名刹の風格を漂わせます。
南大門は三間一戸、八脚門、入母屋、本瓦葺。
1958年再建。
内部に掲げられた扁額は「聖德廟」。元首相・岸信介の揮毫とのこと。
左右の柱間には仁王像が安置されています。
正面中央の柱間。
柱は円柱。上部に頭貫が通り、中央の柱間の中備えには蟇股が配されています。
柱上の組物は出組。
向かって左の柱間。中備えは蟇股ではなく間斗束。
頭貫には木鼻がついています。木鼻は若葉の意匠で、緑や青色に塗り分けられています。
背面。
後方は何もない空間になっており、参拝者用に消毒液が置かれていました。
頭貫の上の中備えは正面と同様で、中央の柱間は蟇股、左右は間斗束。
側面の柱間はしっくい塗りの壁で、中備えは間斗束。
軒裏は二軒繁垂木。
破風板の拝みには猪目懸魚。
入母屋破風の内部の妻壁は、見えづらいですが笈形付き大瓶束が使われています。
大棟鬼板には鬼瓦。
南大門の裏には手水舎があります。
切妻、本瓦葺。
簡素な造りですが、重厚な本瓦と直線的な切妻屋根が組み合わさり、潔癖で折り目正しい印象を受けます。
金堂
南大門をくぐってまっすぐ進むと聖徳太子御廟になりますが、南大門の先の左手(境内西側)には金堂が鎮座しています。こちらの金堂が叡福寺の実質的な中心部のようです。
金堂は桁行5間・梁間4間、入母屋、本瓦葺。
1732年(享保十七年)再建。府指定有形文化財。
本尊は聖徳太子の本地仏とされる如意輪観音。
向拝はありませんが、前方1間通りは土間になっていて前面に建具がありません。
中央の柱間には鰐口が吊るされ、賽銭箱が置かれています。柱間に掲げられた扁額は山号「磯長山」。
内部の柱は円柱なのですが、母屋の外周を構成する柱は八角柱が使われています。
円柱の床下の見えづらい箇所を八角柱にして成形の手間を省く例はよくありますが、完全な八角柱をこのような目立つ場所に使った例は初めて見ました。
柱間は飛貫虹梁でつながれ、中備えは大瓶束。
軒裏は一重の繁垂木。
柱の上部には頭貫と台輪が通り、禅宗様木鼻が設けられています。
組物は花肘木を組んだもの。
台輪の上の中備えは板蟇股。蟇股の上の斗には木鼻が付いていて、変わった構成をしています。
母屋の前面から1間奥の柱間には、桟唐戸と格子戸が立てつけられています。
柱は粽(上端を絞った円柱)が使われています。
左側面(西面)。こちらは4間。
側面も外周は八角柱が使われ、当然のことながら床下も八角に成形されています。
柱間は連子窓と引き戸。縁側はありません。
中備えや組物などの意匠は正面と同様。
右後方(北東)から見た背面。
背面の軒下には、幅3間・奥行1間の孫庇のような小屋が設けられています。おそらく閼伽棚でしょう。
小屋の側面には連子窓が設けられ、虹梁の中備えには板蟇股。
縋破風の桁隠しには猪目懸魚が使われています。
柱は大きく面取りされた角柱。
頭貫には拳鼻。
破風板の拝みには、あまり見かけない風変わりな形状の懸魚が下がっています。
入母屋破風の内部は虹梁と大瓶束。虹梁の下には板蟇股が並んでいます。
大棟鬼板には鬼瓦。
多宝塔
境内南西、金堂の左手前には多宝塔が東向きに鎮座しています。
三間多宝塔、本瓦葺。
1652年(承応元年)再建。国指定重要文化財。
各所の意匠には禅宗様が取り入れられ、和様と禅宗様の中間的な折衷様の多宝塔となっています。
案内板(設置者不明)によると、内部は東面に釈迦三尊、西面に大日如来を安置し、四天柱には四天王が描かれているとのこと。
下層。母屋柱は円柱で、柱間は3間。
中央の柱間は桟唐戸で、禅宗様の意匠が取り入れられています。左右の柱間には連子窓。
縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。縁側への進入は禁止のため、ついたてが置かれています。
中央の桟唐戸の上の中備えは蟇股。
竜と思しきものが彫られていますが、題材がよく分からず。上の斗に彩色されていた形跡が残っていて、再建当初は蟇股も極彩色だった思われます。
左右の連子窓の上の中備えは蓑束。
軸部は長押と頭貫で固定され、頭貫木鼻はありません。木鼻を使わないのは和様の造りです。
柱上の組物は二手先。持ち出された軒桁の下には軒支輪が見えます。
軒裏は平行の二軒繁垂木。
上層。多宝塔のため上層の母屋は円形になっています。
母屋柱は円柱で、柱上から和様の尾垂木四手先の組物が伸びています。
軒裏は放射状(扇垂木)の二軒繁垂木。扇垂木は禅宗様の意匠です。
頂部には宝輪。
上部の水煙(あるいは火炎?)が小さく、その下に葉のような意匠がついています。
南大門、金堂、多宝塔については以上。