今回は長野県長野市の開善寺(かいぜんじ)について。
開善寺は松代町西条地区の山際に鎮座する浄土宗の寺院です。山号は金剛山。
創建は不明。寺伝によれば清和天皇の第3子・貞元親王による開基。もとは海野郷(東御市)にあり海善寺といったようで、戦国期に真田正幸によって上田へ移転したようです。江戸期は真田信之の松代移封にともなって当地へ移転して寺号を開善寺とし、以降真田家の庇護を受けています。
現在の境内伽藍は荒廃が進んでいる状態ですが、本堂から少し離れた場所にある経蔵は県内でも非常に規模の大きなもので、長野県宝に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒381-1232長野県長野市松代町3668(地図) |
アクセス | 長野ICから車で5分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 20分程度 |
境内
山門と本堂
開善寺の境内は西向き。めずらしい方向を向いています。案内板には鬼門除けなどと書かれていたので、その関係でしょうか。
山門は一間一戸、高麗門、切妻、桟瓦葺。
左右の塀は壁板がはずれるなどしていて、傷みが目立ちます。
本堂は寄棟、向拝1間、鉄板葺。造営年不明。
もとは茅葺き屋根だったようです(茅葺形鉄板葺)。大棟には真田家の六文銭。
こちらは屋根がゆがんできており、かなり老朽化が進んでいます。本堂の手前にプレハブ小屋があり、これが寺務所となっている様子。
本堂向かって右手には玄関。
この部分はとくに荒廃が顕著で、壁のしっくいがはがれてしまっているだけでなく、屋根に穴が開いて垂木も折れてしまっています。
玄関の梁の中備えの彫刻。題材は牡丹に連雀。
良い造形だと思います。荒廃した境内にこの彫刻だけはきれいな状態で残っており、砂漠に咲く一輪の花のよう。
経蔵
本堂から100メートルほど離れた山の中腹には、経蔵が鎮座しています。
桁行3間・梁間3間、一重裳階付、桟瓦葺、宝形、鉄板葺。
棟札より1660年(万治三年)造営(案内板より)。長野県宝。
案内板の解説は下記のとおり。
主屋には、正面と背面の二か所に桟唐戸を、一部に連子窓(格子入中窓)を設けるだけで、開口部を少なくした板蔵の一種です。内部は一室空間の板敷で、格天井をあげ中央に八角形の輪蔵を据ている。わが国の仏教寺院の中でも輪蔵を備えた経蔵は極めて少なく、江戸時代初期の貴重な存在となっている。
開善寺
長野市教育委員会
ちなみに、輪蔵のある経蔵は、長野市内だと善光寺に江戸中期のものが現存します。
裳階の軒下。
屋根は二重に見えますが、下の屋根は裳階(もこし)です。裳階は庇の一種で、厳密には屋根ではありません。
母屋は方三間(正面側面ともに3間)で、周囲4面に切目縁がまわされています。
裳階が縁側の庇となっており、縁束を兼ねた角柱が裳階の軒先を支えています。
母屋正面は中央が桟唐戸、左右が粗い連子窓。
軒先を支える柱は角柱。C面は小さめに取られています。
柱の上部につく木鼻は、猪目(ハート形)にくり抜かれたもの。あまり見かけない形状をしています。
柱上の組物は出三斗。実肘木を介して軒桁を受けているのですが、実肘木は片側(写真の右側)が木鼻のようになっており、このような部材は初めて見ました。
正面の軒下を横から見た図。
母屋と庇の柱は細い貫のようなものでつながれていますが、この部材があるのはここだけで、左右非対称の奇妙な構造になっています。
また、柱上の組物の実肘木は両側が木鼻になっており、軒裏と接触しています。
側面は横板壁となっており、扉や窓はありません。
背面は中央に桟唐戸。
正面側の桟唐戸は2つ折れのものだったので、少し簡略化されています。
裳階の上(屋根の下)の様子。
組物は出組。中備えに蓑束がありました。
軒裏は一重の繁垂木。
屋根は、茅葺の上に鉄板を葺いたものと思われます。
隅の様子。
頭貫と台輪には禅宗様木鼻。
組物の斜め方向には象の彫刻の木鼻が突き出ています。
床下には輪蔵の心柱と、その礎石らしきものが見えます。
最後に経蔵の手前からの展望。
松代町の市街地が見えます。中央奥には北信五岳が望めますが、雲が流れ込んできていて山頂のあたりが見えず。
以上、開善寺でした。
(訪問日2021/08/09)