今回は愛知県名古屋市の名古屋東照宮(なごや とうしょうぐう)について。
名古屋東照宮は名古屋城の南側の市街地に鎮座しています。
創建は1619年(元和五年)。徳川家康の三回忌の翌年、名古屋城三の丸に東照宮を勧請したのが始まりです。創建当時の社殿は極彩色の権現造だったとのこと。1875年(明治八年)に名古屋城内から当地へ移転しています。太平洋戦争ではほとんどの社殿を焼失しています。
現在の境内は戦後に再整備されたもののようですが、本殿は建中寺の堂宇を移築したもので、県指定文化財となっています。
現地情報
所在地 | 〒460-0002愛知県名古屋市中区丸の内2-3(地図) |
アクセス | 鶴舞駅から徒歩3分 名古屋高速 丸の内ICから車で3分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | 名古屋東照宮 |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道
名古屋東照宮の境内入口は西向き。幹線道路からひとつはずれた裏道に面しています。なお、後述の社殿はいずれも南向きです。
鳥居は銅板でカバーされた明神鳥居。扁額はなく額束。
鳥居の先へ進むと参道が左手に折れ、唐門と本殿が南向きに鎮座しています。
唐門は一間一戸、平入唐門、桟瓦葺。
左右の透かし塀とともに県指定文化財。
柱は角面取り。木鼻は拳鼻。柱上には出三斗。中備えは蟇股。
軒裏はまばら垂木で、先端が銅板でカバーされています。
妻壁。
破風板は唐破風になっています。兎毛通には蕪懸魚。
妻飾りは虹梁と蟇股。
本殿
本殿は桁行3間・梁間3間?、寄棟、向拝1間、桟瓦葺。
造営年は1651年(慶安四年)。県指定文化財。
祭神は東照権現こと徳川家康。
もとは高原院(尾張藩初代・徳川義直の正室)の霊屋として同市中区の萬松寺に建立され、大正期に東区の建中寺に移築されたのち、1953年(昭和二十八年)に当社に移築されたもの。
神社本殿で寄棟は異例中の異例で、あまり神社らしく見えないかと思いますが、本来は仏堂だった建造物のようです。
なお、創建当初の本殿は壮麗な極彩色の権現造(日光東照宮や久能山東照宮と同じ様式)であり、祭文殿などの尾張造(当地に特有の様式)の要素も取り入れられた社殿だったようです。
向拝柱は角面取りで、上端が絞られています。柱上には連三斗。
虹梁中備えは蟇股で、はらわたに彫刻がありますが題材不明。木鼻は側面に象鼻に近いものが使われ、巻斗を介して連三斗を受けています。
母屋柱は円柱で、上端が絞られています。
柱間には蔀が立てつけられています。
柱の上部に通った頭貫と台輪には、禅宗様木鼻がついています。
柱上の組物は尾垂木三手先。中備えは蟇股。
頭貫や組物には彩色された形跡が見られますが、退色しています。
側面や背面はアクリル板の壁が立てつけられており、鑑賞できず。
屋根は大棟の短い寄棟で、四隅がわずかに反りかえった形状。
後方の橋梁は名古屋高速。
那古屋神社
名古屋東照宮の東側には那古屋神社(なごや-/なごの-)。
創建は社伝によると平安期。名古屋東照宮と同様、もとは名古屋城内にあった(というより神社の旧境内の周辺に名古屋城が造られた)ようです。
社殿はいずれも戦後の再建。
本殿は神明造らしき様式。銅板の屋根と千木鰹木が見えます。
祭神はスサノオなどが祀られているようですが、津島神社の分祀なので本来の祭神は牛頭天王のようです。
以上、名古屋東照宮でした。
(訪問日2021/02/22)