今回も長野県駒ケ根市の光前寺について。
後編では弁天堂、本堂、三重塔について紹介・解説いたします。
弁天堂
三門をくぐった先には池があり、その小島には弁天堂が鎮座しています。
桁行1間・梁間1間、入母屋(平入)、銅板葺。
室町時代から安土桃山時代の造営。国指定重要文化財。
光前寺には多数の伽藍がありますが、その中でもっとも文化的価値が高いのが、意外にもこの小さな弁天堂のようです。
扁額は「辨財天」。
母屋柱は円柱。頭貫木鼻は象鼻に近い拳鼻。柱上の組物は出三斗。
頭貫の上に中備えはありません。ただし桁下には巻斗が1つだけ置かれています。
壁面は横板壁、軒裏は一重の平行繁垂木で、和様の意匠が使われています。
縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干はありません。床下は縁束で、束のあいだは板でふさがれています。
背面。こちらも特に目立った意匠はなし。
本堂
境内の最奥部には本堂が鎮座しています。
梁間5間・桁行6間、入母屋(妻入)、向拝1間・軒唐破風付、こけら葺。
1851年再建。
本尊は不動明王。
向拝柱は几帳面取り角柱。
虹梁は唐草が彫られ、両端の木鼻は見返り唐獅子、中備えは松に鷹。
唐破風の軒下は虹梁大瓶束、破風板の兎毛通は鳳凰。
海老虹梁には竜の彫刻。向かって左が降り竜、右が昇り竜。
海老虹梁の母屋側は、力神が長押の上に片膝をついて座ったポーズで担いでいます。
たいていの海老虹梁は柱のあるところに接続されるものですが、この海老虹梁は母屋の柱と柱のあいだに接続されています。
手挟は渦巻く雲の意匠。
母屋柱は円柱で、正面側の1間は吹き放ちの外陣となっています。
外陣からは内陣をのぞき込むことができるほか、霊犬・早太郎の像が置かれています。早太郎の伝説についてはWikipediaの光前寺の項に詳しいので割愛。
頭貫木鼻は拳鼻。
組物は出組で、中備えは蟇股。桁下には板支輪。
軒裏は二軒の平行繁垂木。
正面・側面ともに、軒下はこのような意匠でした。
本堂も全体的に和様がベースになっているようです。
入母屋破風の内部では、妻虹梁が持出しされています。妻虹梁の下には板支輪。
破風板の拝みには懸魚。鬼板には特に紋はありません。
三重塔
本堂の左手には三重塔。
三間三重塔婆、こけら葺。塔高約17メートル。
1808年(文化5)再建。長野県宝。
信州に10基ある三重塔のひとつで、南信で現存する唯一の三重塔です。しかし江戸後期のものだからなのか、国重文より格がひとつ落ちる長野県宝の指定に留まっています。
棟梁は初代和四郎こと立川和四郎富棟と、その子であり2代目の立川和四郎富昌。
初重。
柱は円柱。柱間は、中央が桟唐戸、左右が盲連子。上部には長押が2つ打たれています。
組物は和様尾垂木の三手先。中備えの蟇股には草花や波の彫刻が施されています。桁下には板支輪、小天井、巻斗。
軒裏は二軒の平行繁垂木。
二重。
大部分の意匠は初重と同じですが、二重と三重には縁側があります。
二重と三重。
三重も二重とほぼ同じ。ただし、軒裏は三重だけが扇垂木になっています。
このように「三重のみ扇垂木」とする三重塔は、江戸後期から明治のものに多いように感じます。
その他の伽藍
参道の左手、本堂前の池の近くにあった堂。名称不明。
切妻(平入)、こけら葺。
頭貫木鼻など、わずかながら装飾がついています。
参道の右手にある経蔵。
入母屋(妻入)、向拝1間・軒唐破風付、こけら葺。
1802年建立。
内部には大般若経が納められているとのこと。
屋根が葺きかえられて間もない様子で、屋根の曲面や軒の反りが美しいです。
とはいえ壁が漆喰塗りで、こけら葺の屋根とあまり調和していないのように感じます...
向拝柱は几帳面取り。
虹梁は唐草が彫られ、中備えなし。木鼻は正面が唐獅子、側面が象。
柱上の組物は連三斗で、唐破風の下の小壁には菊花と雲。
母屋の軒裏は二軒で扇のまばら垂木でした。
以上、光前寺でした。
(訪問日2019/08/03,2020/10/04)