甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【長野市】善光寺 その2(山門と経蔵)

今回も長野県長野市の善光寺について。

 

その1では仁王門と釈迦堂について述べました。

当記事では山門と経蔵について述べます。

 

駒返り橋

仲見世に戻って参道を進み、車道を横断して境内の北側へ入ると、水路の上に短い石橋がかかっています。

この石橋には「駒返り橋」という名前がついています。

 

向かって左手の踏み板(?)には丸い穴が開いています。

この穴にはいわれがあり、1197年に源頼朝が善光寺を参拝したとき、騎乗のまま進もうとしたところ、この穴に馬の蹄がはまってしまったという伝説が知られています。頼朝は、ここで馬を下りて徒歩で本堂へ向かったため「駒返り橋」という呼び名がついたとのこと。

出展不明の伝説のため、真偽のほどは不明。

 

手水舎

山門の手前右手には手水舎。

入母屋、瓦棒銅板葺。

造営年不明。

 

柱は石材が使われています。正面と側面についた木鼻は、波の意匠の篭彫り。

柱上は出組。

 

虹梁は波の意匠が浮き彫りになっています。

虹梁の上には台輪が通り、組物や蟇股が配されています。

 

山門(三門)

駒返り橋の先には山門が鎮座しています。

五間三戸、楼門、二重、入母屋、とち葺。

1750年(寛延三年)再建国指定重要文化財

 

正面の間口が5間あり、うち3間が通路になった五間三戸という形式の大きな門。下層にも屋根がつき、二重の楼門となっています。

屋根はサワラ(椹)材の薄板を重ねて葺いた「とち葺(栩葺)」。昭和初期の修理で檜皮葺に改められたようですが、2007年頃の修理で再建当初と同じとち葺に戻されました。

 

正面中央の柱間。

柱はいずれも円柱で、上端がわずかに絞られています。

組物は三手先。持ち出された桁の下には、軒支輪と格子の小天井が使われています。

飛貫虹梁の上は、格子状の欄間。

頭貫の上は蟇股。

 

正面向かって左端の蟇股。

題材は鳳凰。

 

下層の左側面(西面)。

隅の柱には、頭貫に木鼻がついています。

軒裏は二軒繁垂木。

 

下層の内部の通路部分。

柱の前後は貫で、左右は梁でつながれています。

頭貫と台輪の上には、蟇股が置かれています。

 

上層も正面5間となっています。

柱は円柱で、頭貫には木鼻。

組物は和様の尾垂木三手先。台輪の上の中備えは蓑束。

 

中央の柱間。中央の3間の建具は、桟唐戸が使われています。

 

扁額は寺号「善光寺」。

この扁額の字には5羽のハトが隠れている(善の字の1,2画目など)という話や、善の字が牛の顔に見えるという説が知られています。ハトについてはともかく、牛に見えるのは気のせいだと思います...

 

右側面(東面)の全体図。

母屋に対して屋根が大きめで、軒の出が深く見えます。

 

上層右側面。

縁側は切目縁、欄干は擬宝珠付き。

側面の柱間には、連子窓が使われています。

軒裏は二軒繁垂木。屋根は隅がわずかに反り返っています。

 

入母屋破風の妻壁は、虹梁と大瓶束。

破風板の拝みには、鰭付きの三つ花懸魚。

 

背面。上層へ昇るための階段が設けられています。

 

山門下層から本堂を見た図。

中央の通路部部に立って少し膝をかがめると、ほぼ正方形の枠(柱と梁)のあいだに、適度な余白を残して本堂が収まります。

 

経蔵

順当に行くと次は本堂ですが、先に経蔵を紹介。

経蔵は本堂の手前で左手に曲がった先にあり、東向きに鎮座しています。

堂内には八角形の輪蔵*1があります。

 

桁行5間・梁間5間、宝形、檜皮葺。

1759年(宝暦九年)再建国指定重要文化財

 

正面(桁行)は5間あります。

柱間は、中央の3間は桟唐戸、両端の各1間は火灯窓。

縁側はなく、内部は土間になっています。

 

柱は円柱。上端が絞られています。

柱間には長押が打たれ、頭貫には拳鼻がつき、柱上に台輪が通っています。

組物は二手先。中備えは蟇股。

 

左側面(南面)。

柱間は、中央が桟唐戸、その両脇の各1間は火灯窓、両端の各1間は横板壁。

そのほかの意匠は正面と同じ。

軒裏は二軒繁垂木。

 

背面。

中央は舞良戸、あとの4間は横板壁となっています。

 

屋根の頂部には、路盤の上に宝珠。

露盤は四角い形状。銅板でカバーされ、卍と宝輪があしらわれています。

 

山門と経蔵については以上。

その3では、本堂について述べます。(※期日未定)

*1:経典を納める書架のうち、回転式のものを輪蔵という。所定の回数まわすと、内部に収められた経典をすべて読んだのと同等の功徳があるとされる。