甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【須坂市】霧原大元神社

今回は長野県須坂市の霧原大元神社(きりはらおおもと-)について。

 

霧原大元神社は須坂市郊外の集落に鎮座しています。

創建は新しく、もともと津島宮があったところに諏訪神をまつり、1853年(嘉永6年)に霧原御牧にちなんで霧原大元神社と命名されたとのこと(境内案内板より)。社殿は明治期のもので、本殿はやや大きめで力神などの彫刻を見ることができます。

 

現地情報

所在地 〒382-0000長野県須坂市八町845-5(地図)
アクセス 須坂駅から徒歩1時間
須坂長野東ICから車で10分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 10分程度

 

境内

参道と社殿

霧原大元神社鳥居

霧原大元神社の境内は西向き。左の社号標は「郷社霧原大元神社」。

鳥居は銅板でカバーされた両部鳥居。前後の稚児柱も内へ転び(傾斜)がついています。唐破風(からはふ)の庇が付いた扁額は、「霧原大元神社」。

 

鳥居から拝殿までは50メートルくらいあり、左右を車道と民家に挟まれているため、細長い境内となっています。

 

霧原大元神社手水舎

手水舎は鉄板葺の切妻。屋根は瓦葺っぽい外観で箕甲(みのこう)がつけられているなど、妙なところで凝った造り。

 

霧原大元神社鳥居

二の鳥居は木造の神明鳥居。低い位置に縄がかけられています。

奥に見えるのは拝殿。

 

霧原大元神社拝殿

拝殿は銅板葺の入母屋(平入)。

大棟の紋は諏訪梶。

ほか、とくに目立つ意匠はありません。

 

本殿

霧原大元神社本殿

拝殿の裏には本殿が鎮座しています。

本殿は銅板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。正面に千鳥破風(ちどりはふ)と軒唐破風。正面1間・側面2間・背面3間、向拝1間。

詳細は不明ですが、案内板によると造営年代は明治期とのこと。

 

祭神はタケミナカタと事代主(両者とも諏訪神)、そして御厩中央御玉神(みうまやちゅうおうみたまのかみ)の3柱。

耳慣れない祭神である御厩中央御玉神については、平安期に書かれた『三代実録』なる書物にこの神の名前があるようですが、霧原大元神社との関連性は不明。社名は霧原御牧(みまき:朝廷に馬を献上する牧場のこと)に由来するので、馬にまつわる神と思われます。

 

本殿破風

屋根の上には千鳥破風(中央)と軒唐破風(左下)。

このような屋根は、私の観察では江戸後期から明治期に造られたものが多いです。流造にしては装飾過多で、個人的にはあまり美しいシルエットではないと思います。

 

千鳥破風と軒唐破風の上にのった鬼板には、諏訪梶の紋。

 

本殿唐破風

唐破風の軒下。

中央から下がる兎毛通(うのけどおし)は、鳳凰の彫刻。明治期のものなのでなかなか良い造形。

 

本殿向拝

向拝の軒下。多数の彫刻が配置され、保護のため網が張られています。

軒先を支える向拝柱は、几帳面取りの角柱。向拝柱は虹梁(こうりょう)でつながれ、下部には菊が籠彫りされた持ち送り、上の中備えには竜が彫られています。竜の上、唐破風の下は題材不明。

 

本殿向拝木鼻

向拝柱の正面には唐獅子、側面には象の木鼻がつけられています。ここは題材と作風がとても信州らしい(というより立川流・大隅流らしい)雰囲気です。

 

本殿母屋

向拝の奥にある母屋には彫刻が入った蟇股(かえるまた)配置されていますが、題材は不明。

母屋正面の扉は2つ折れの桟唐戸(さんからど)なのですが、その上に虹梁がわたされていて、そこから少し間を置いて上に頭貫や台輪や蟇股があるのが少し風変わりだと思います。

 

本殿海老虹梁

向拝(左)と母屋(右)は、湾曲した海老虹梁(えびこうりょう)でつながれています。

海老虹梁の向拝側は虹梁の高さから出ていて波が彫られた持ち送りがついています。母屋側は頭貫から出て唐獅子の持ち送りがついています。

軒裏は、正面側は垂木が三重になった三軒(みのき)です。

 

本殿手挟

向拝柱の上で垂木を受けている手挟(たばさみ)。繊細かつ立体的な造形で竜が彫られています。

ここに竜を彫るのはめずらしいですが、秀逸な造形だと思います。カメラの性能と私の腕前がしょぼいせいで鮮明な画像が撮れないのが惜しまれます。

 

本殿妻壁

本殿妻壁

妻壁も豪華に彫刻が配置されています。

母屋柱は円柱で、柱上の組物は出組。組物のあいだには、唐獅子などを題材にした彫刻が配置されています。組物で持ち出された妻虹梁の下には、波に泳ぐ亀の彫刻が見えます。

 

本殿妻壁

妻虹梁の上には笈形付き大瓶束(おいがたつきたいへいづか)が2つ並べられ、その上では力神が大棟を支えるポーズで座っています。

 

本殿背面

後方から見た図。

縁側は正面と左右の計3面にありますが、側面は前方1間までまわしたところで脇障子が立てられ、後方や背面は縁側がありません。縁の下は腰組で支えられていました。

 

本殿背面の彫刻

背面の軒下。こちらも側面と同様の彫刻が配置されています。

 

本殿破風

妻の破風と鬼板。

破風板は拝みから懸魚(げぎょ)が下がっていますが、桁隠しの懸魚はありません。

鬼板は鳥衾が3本ついたもので、やはり諏訪梶の紋が描かれていました。

 

以上、霧原大元神社でした。

(訪問日2020/08/11)