今回は長野県飯田市の桐林八幡社(きりばやし はちまんしゃ)について。
桐林八幡社は飯田市郊外の集落に鎮座しています。
創建は不明で、飯田城主の小笠原氏が松本へ移封されたときに移譲されたという言い伝えがあるとのこと*1。境内は拝殿と本殿があるだけのシンプルな内容。本殿は標準的な流造ですが、棟札から江戸初期の造営と推定されています。
現地情報
所在地 | 〒399-2565長野県飯田市桐林1893(地図) |
アクセス | 時又駅から徒歩20分 飯田ICまたは天竜峡ICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
鳥居
桐林八幡社の境内は東向き。
鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「八幡宮」。
社名については境内の案内板や長野県神社庁のサイトに「桐林八幡社」とあるので、記事タイトルはこちらを採用しています。
拝殿
参道を進み石段を登ると拝殿があります。
拝殿の屋根は銅板葺で、2つの入母屋を直交させた奇妙な構成をしています。
正面3間・側面4間。柱は角柱。1925年(大正十四年)の造営とのこと。
右側面(北面)。
妻入の入母屋なのですが、後方には屋根の上に入母屋(平入)の屋根が設けられています。2つの入母屋が微妙な高低差でぶつかります。
また、前方の2間は壁のない吹き放ちとなっていますが、後方の2間は格子が立てつけられており、まるで仏堂の内陣と外陣のような構成。
後述の本殿がおとなしい優等生的な造りをしているだけに、この拝殿は見れば見るほど奔放で奇妙な造りをしているように思えます。
本殿
拝殿の裏には本殿が鎮座しています。
本殿は銅板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)。
手書きの案内板(設置者不明)によると、造営は棟札より1621年(元和七年)とのこと。
八幡宮なので祭神は誉田別命。
正面の軒先を支える向拝柱は、几帳面取りされた角柱。
2本の向拝柱は虹梁(こうりょう)でつながれ、その両端には象が彫られた木鼻、上の中備えの蟇股(かえるまた)は内部に鳩が彫刻されています。
向拝柱の柱上には皿付きの大斗が置かれ、連三斗(つれみつど)で桁を受けています。また、象の木鼻の上にも斗が置かれています。
案内板による本殿の解説は下記のとおり。
間口七尺 奥行六尺の本格的流造で向拝頭貫のかえる股には松と二羽の鳩が透かし彫りにされ 象頭形の木鼻 母屋正面のかえる股の菊花 牡丹の彫り物は特に桃山式建築を象徴する優れた技法で 当地方の神社建築には例も少なく 神像と共に貴重な文化財です
写真左端の向拝柱が角柱であるのに対し、母屋柱は円柱。両者はカーブした海老虹梁(えびこうりょう)でつながれています。海老虹梁は母屋の頭貫の上から降りてきています。
母屋の扉は桟唐戸(さんからど)、頭貫の木鼻は拳鼻、頭貫の上には蟇股が置かれています。側面の蟇股はまるで上下をまちがえたかのような形状。
母屋の柱上の組物は出組。見づらいですが妻虹梁が持出しされています。妻虹梁の上には笈形付き大瓶束。
組物や垂木などの部材は赤い色をしており、他の部材にも退色のあとが見られることから、本来は赤を基調とした配色だったことがうかがえます。
全体的に彫刻は控えめで、地方における江戸初期の神社本殿として無難かつ妥当な造りをした佳作だと思います。
最後に全体図。鬼板の紋は菊。
破風板には拝みと桁隠しの懸魚(げぎょ)が下がり、とくに向拝の桁をカバーする桁隠しは風変わりなシルエットをしています。
以上、桐林八幡社でした。
(訪問日2020/06/27)
*1:境内案内板より