甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【静岡市】久能山東照宮 ~後編~(拝殿・幣殿・本殿と神廟)

今回も静岡県の超メジャー観光地ということで、久能山東照宮について。

 

前回の記事(前編)では、参道とその他の社殿について述べました。

当記事では久能山東照宮の中枢である国宝の拝殿・幣殿・本殿と、境内の最奥に鎮座する徳川家康の墓(神廟)について解説いたします。

 

アクセスや所要時間、その他の境内・社殿については下記リンクをご参照ください。

【静岡市】久能山東照宮 ~前編~(参道と社殿)

 

 

社殿

唐門と透かし塀

久能山東照宮の唐門と透かし塀

拝殿や本殿を解説する前に、唐門と透かし塀も重要文化財なので紹介いたします。

写真は神楽殿の前から見上げた唐門と、東照宮を囲う透かし塀。両者とも銅瓦葺。

 

唐門は平入の切妻(唐破風)、正面1間・側面2間。柱は内部の2本が円柱で、前後の4本が角柱となった四脚門(よつあしもん)というタイプのもの

正面・背面ともに軒唐破風付き。

 

久能山東照宮の唐門の背面

唐門の軒下の装飾。

こちらは拝殿のあるほう、つまり背面です。

正面側は立ち入りできないので背面を撮影したのですが、こちらも抜かりなく組物や彫刻が配置されています

 

久能山東照宮の唐門の側面

唐門の側面。左側が背面、右奥のほうが正面です。

ご覧のように前後左右の四面すべてが、弓なりにカーブした唐破風(からはふ)になっています。

そしてやはり側面にも彫刻がびっしり。

 

唐門の左右にある透かし塀も、足元に極彩色の彫刻が配置されていますが、いちいち紹介していたらきりがなくなってしまうので割愛。

 

久能山東照宮の唐門の桟唐戸

桟唐戸(さんからど)は赤を基調とした配色で、金色の金具がついているだけでなく、鳥(ルリビタキ?)の彫刻が。その下の小さい赤の羽目板にも無彩色の彫刻が施されています。

こんな豪華な桟唐戸は他に見たことがないです。

 

久能山東照宮の境内の図2

唐門の内部から境内を見下ろした図。

 

久能山東照宮(拝殿・幣殿・本殿)

久能山東照宮の正面

ここまで多数の重要文化財がありましたが、こちらの拝殿・幣殿・本殿(あわせて1棟)は国宝に指定されています。

拝殿・幣殿・本殿は1617年に徳川秀忠の命で造営されたもの。棟梁は大工頭・中井正清。中井正清は通称を藤右衛門といい、日光東照宮、知恩院、名古屋城などなど多数の国宝級の建築を手がけた人物です。

主祭神は東照大権現こと徳川家康。また、織田信長と豊臣秀吉も合祀されているようです。

 

上の写真は拝殿。拝殿は入母屋(平入)で、正面5間・側面2間、向拝3間。正面に千鳥破風。

拝殿と本殿のちがいについては下記リンクをご参照ください。

【寺社の基礎知識】それ、本殿じゃないですよ! 神社の拝殿と本殿のちがいを解説

 

久能山東照宮の向拝の軒下

正面の向拝の軒下。礼拝はこの軒下で行います。

写真手前の赤い柱(向拝柱)は角柱。角部が金色に几帳面取りされています。

奥のほうの母屋(建物本体)はいずれも円柱となっています。

寺社建築では円柱のほうが格上なので、俗人である我々は格下の角柱の柱の軒下で礼拝するというわけです。

寺社建築の柱については下記リンクをご参照ください。

【寺社の基礎知識】向拝と母屋(身舎)

 

ここまで見てきた社殿はいずれも豪華な組物が使われていましたが、この社殿の組物は金色に縁取りされて一層豪華なものになっています。

 

久能山東照宮の拝殿の左側面

拝殿の左側面。

壁面は跳ね上げ式の蔀(しとみ)。

組物は一手先の平三斗(ひらみつど)というタイプのもので、組物で持ち出された桁も金メッキがなされています。

写真ではわかりにくいですが、屋根裏にびっしり並んでいる黒い垂木の先端をよくみると、金色の徳川の紋(三つ葉葵)がついていました。

 

久能山東照宮の本殿左側面

そしてこちらが本殿。この写真は左側面の図になります。

本殿は入母屋(平入)で、正面3間・側面3間。

拝殿よりも小さいですが、神社建築は拝殿より本殿を小さく造るのが常識です。

造りも拝殿と似ていますが、よく見ると組物は二手先になっており、拝殿とくらべてこちらのほうが明らかに格上の造りをしています。

 

久能山東照宮を塀の外から見た図

透かし塀の外から拝殿・幣殿・本殿を見た図。

写真左が拝殿、右が本殿。そして両者をつないで一体化している建物が幣殿

このように、拝殿・本殿が幣殿でつながれている建築様式権現造(ごんげんづくり)と言います。権現造は神社建築としてもっとも複雑な部類に入り、比較的新しい様式です。

 

現存する権現造で最古のものは1607年建立の北野天満宮(京都市)と大崎八幡宮(仙台市)ですが、権現というのは徳川家康のことであり、この久能山東照宮は権現造という様式名の発祥といっていいでしょう。

そして、久能山東照宮の造営を皮切りに、徳川家と関わりのある神社で権現造の社殿が造営されていきます。著名で価値の高い例を挙げると、国宝では日光東照宮や歓喜院聖天堂(熊谷市)、重要文化財では妙義神社(富岡市)などがあります。

国内の寺社の中ではそこまで古い部類ではないものの、日本全国の神社建築に非常に大きな影響を与えた物件であることを考えると、国宝指定されるのも当然のことではないでしょうか。

 

また、ここまで紹介してきた派手な彫刻や装飾の存在も、文化財としての価値を高める一因でしょう。

しかし勘違いしてはいけないのは、規模が大きく派手でお金をかけていれば価値がある、というわけではないことです。あえて例を挙げるなら、同市内にある静岡浅間神社があれだけの規模と豪華さを誇っていながら重文にとどまっているのが好例です。

 

神廟

神廟へとつづく参道

拝殿の左脇にあるくぐり戸と通って裏手へ進むと、境内の最奥部につづいています。

最奥には祭神の徳川家康が埋葬されているといわれる神廟が鎮座しています。

 

神廟、徳川家康の墓

中央に立つ塔が墓標に相当し、重要文化財となっています。家康の遺命によって西向きに建てられているとのこと。 

そのほか、神廟の周囲には家康の逸話「金のなる木」についての案内板や、「家康公愛馬之霊所」があります。

 

なお、徳川家康の遺体は一周忌の際に日光へ“改葬”され、改葬先のほうが豪華で大きな社殿があるので遺体は日光に置かれていると考えるのが自然です。

しかし、遺体は日光へ移されなかったという説もあり、こちらの説のほうが家康の遺言に忠実です。遺言は「遺体は久能山に置き、一周忌には日光に堂を建てて勧請(分霊?)するように」といった内容です。また、この説を明確に否定できる資料もありません。

なので、徳川家康が今もここに眠りつづけている可能性は大いにありえるでしょう。

 

境内の主要な社殿・文化財の解説は以上。

 

総評

江戸幕府や武家にとっての聖地であるのはもちろん、この久能山東照宮は権現造という様式の原点であることを考えると、神社建築の聖地の1つといっても過言でないでしょう。

また、歴史的・建築的な見どころもすばらしいですが、事前の予備知識がなくても純粋に彫刻の造形美や境内の雰囲気を楽しめる点もすばらしいです。

 

参道については、石段から参拝すれば眼下に駿河湾を望むことができ、ロープウェイで参拝すれば険しい渓谷を眺めつつ優雅に参拝できます。私は両方のルートで参拝したことがありますが、どちらもおすすめです。

 

まじめな解説は以上となります。

久能山東照宮は裏の見どころも充実しているので、よろしければ下記の小ネタ特集もご覧になっていって下さい。

【静岡市】久能山東照宮 ~番外編~(小ネタ特集)

(訪問日2019/11/29)