今回も富山県高岡市の勝興寺について。
その2では本堂とその周辺について述べました。
当記事では、経堂、宝蔵、鼓楼、式台門、大広間及び式台などについて述べます。
経堂
本堂向かって左手には、経堂が北面しています。
桁行3間・梁間3間、一重、宝形、裳階付、こけら葺。輪蔵付。
銘札より、1805年(文化二年)造営。「勝興寺」10棟として国指定重要文化財*1。
一重の宝形屋根の軒下に裳階(もこし)がつき、2層の外観となっています。細部は禅宗様の意匠が多用され、典型的な禅宗様建築です。
内部には八角の輪蔵があり、この経堂の一部というあつかいで重要文化財に指定されています。輪蔵は桟唐戸のすきまからのぞき見ることができますが、まともな写真が撮れなかったため割愛。
下層は正面側面ともに5間。中央の1間は広く取られています。
中央の3間は桟唐戸、左右両端の柱間は火灯窓。
桟唐戸の軸は、飛貫に取り付けられた藁座で受けています。
柱はかなり細い材が使われ、繊細な印象。上端が絞られ、粽柱となっています。
柱上の組物は出三斗。柱間には、詰組として平三斗(木鼻付き)が置かれています。
柱は、そろばん珠状の礎石の上に立てられています。
礎石のすぐとなりには藁座。土台の横木に取り付けられています。
基壇の側面上端には、若葉(葵?)の彫刻がついていました。
正面向かって左側。こちらは中備えに蟇股が使われています。
軒裏は、平行の二軒繁垂木。
柱の上部には頭貫と台輪が通り、禅宗様木鼻がついています。
隅の組物は斜め方向にも肘木が出ていて、隅木の下に雲の彫刻が添えられています。
下層背面は、いずれの柱間も縦板壁。
上層は正面側面ともに3間。
扁額は右横書きで「■輪蔵」。私の知識では1文字目が判読できませんでした。
粽柱が使われ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついている点は下層と同様です。ただし、こちらは下層より太い柱が使われ、頭貫と木鼻に渦状の彫りが入っています。
柱上の組物は、禅宗様の尾垂木二手先。台輪の上の詰組も同様です。
上層の軒裏は、放射状(扇垂木)の二軒繁垂木。
軒裏は、下層は平行垂木、上層は扇垂木。
禅宗様建築のうち、2層構造の門や仏殿でよくある技法です。
頂部。
路盤の上に、火炎のついた宝珠が乗っています。
経堂の近くには鐘楼。
切妻、銅板葺。
こちらは重文ではないですが、江戸後期のもののようです。
鼓堂
唐門の北側には鼓堂(こどう)。上の写真は総門付近から見た図(東面)。
二重、入母屋、こけら葺。
1733年(享保十八年)造営。「勝興寺」10棟として国重文。
堀に面した場所にあり、伽藍というよりは城郭風の外観。
案内板によると、造営当初は現在の宝蔵の西あたりにあったようで、1859年(安政六年)に現在地へ移築されたとのこと。移築時に瓦葺に改められましたが、平成期の修理で当初のこけら葺に復されました。
背面(西面)から見た図。
下層の背面側は、西面と南面が吹き放ちになっています。
上層。
破風には木連格子が張られ、拝みに懸魚が下がっています。
柱や梁、窓の格子は、白く塗られています。
窓の下の壁面は、下見板の袴腰。
宝蔵と式台門
本堂の北東には、宝蔵が西面しています。
土蔵造、二階建、入母屋(妻入)、こけら葺。
江戸末期の造営とのこと。「勝興寺」10棟として国重文。
案内板の解説は以下のとおり。
慶応二年(1866)の建立であることが、杮板の墨書によって明らかとなった。
乱石積みの基壇の縁に布石を回した上に建つ。入口の前には側桁のついた八段の石段がある。壁は下部の腰壁を海鼠壁にするほかは漆喰塗とし、屋根が燃えても火が内部に入らないよう、建物上部は土を塗籠め、置屋根としている。通常の置屋根は切妻や寄棟とするところを入母屋造りにしている類例は、全国的にも他に見ることはできない貴重な建造物である。
出入口の部分には、唐破風の庇が設けられています。
右側面(南面)。
側面には窓が2つ設けられ、こちらも唐破風の庇があります。
境内北東には、式台門が東面しています。上の写真は背面(西面)。
三間一戸、薬医門、切妻、こけら葺。
1775年(安永四年)造営。「勝興寺」10棟として国重文。
背面の軒下。
柱間には曲がった梁がわたされ、素朴で力強い印象。
梁の上からは腕木が突き出し、組物を介して桁を受けています。
内部には天井が張られています。
柱の前後方向は貫と梁でつながれ、中備えに板蟇股や平三斗があります。
正面の遠景。
門扉は縦板の扉で、飾り金具は前田家の家紋のような五芒星型の形状です。
正面の冠木。木口の飾り金具は、輪違の文様。
柱との接続部には、釘隠しと思しき彫刻があります。彫刻は若葉の意匠。
妻飾りは板蟇股。
破風板の拝みには、鰭付きの猪目懸魚。桁隠しの懸魚はありません。
大広間及び式台
境内北西には、大広間及び式台が東面しています。写真左(南側)が大広間、右が式台で、両者が切妻屋根でつながれています。
大広間は、正面入母屋、背面切妻、北面南面庇付、こけら葺。背面下屋及び南面渡廊付属、板葺。
式台は、正面入母屋、背面切妻、正面起り破風玄関及び二口脇玄関、北面庇付属、背面台所に接続、大広間・式台間を切妻屋根で繋ぐ、こけら葺。
大広間部分は1691年、式台部分は1775年の造営と推定されます*2。「勝興寺」2棟として、本堂とあわせて国宝に指定されています。
式台の玄関部分。
むくり屋根の庇がつき、正面には吊り下げ式の雨戸が設けられています。
妻飾りには板蟇股。破風板の拝みと桁隠しには懸魚。
大広間と書院のあいだの廊下からは、御霊屋(写真中央奥)と御内仏(右手前)が見えます。
御霊屋(みたまや)は、正面入母屋、背面切妻、正面向拝1間 向唐破風、背面庇付、こけら葺。1810年(文化七年)造営。
御内仏(おないぶつ)は、二重、寄棟、北面西方茶室付属、北面奥書院に接続、こけら葺。1688年(元禄元年)造営。
御霊屋、御内仏ともに「勝興寺」10棟として国重文。
ほか、「書院及び奥書院」も国重文ですが、外観を撮影できる場所がなかったうえ、内部は寺宝の展示室となっていて撮影禁止だったため割愛。
寺宝は、重文「洛中洛外図」のレプリカや、勝興寺七不思議のひとつで蓮如が使っていたとされる「雲龍の硯」が展示されていました。
以上、勝興寺でした。
(訪問日2023/05/05)