今回は長野県泰阜村金野(きんの)の諏訪社(すわしゃ)について。
諏訪社は天竜川東岸の集落に鎮座しています。
創建は不明。武田氏の傘下の武士だった前沢若狭守という人物が創建したとのこと*1。当地の氏神として崇敬され、江戸中期から明治初期にかけては祭礼の際に人形劇が行われていたようです。
境内は小規模でいずれの社殿も簡素ですが、2棟の本殿が国重文となっています。並立する若宮八幡宮本殿はめずらしい二間社で、室町末期から安土桃山時代の造営。諏訪社本殿も同年代のものとされます。
現地情報
所在地 | 〒399-1801長野県下伊那郡泰阜村金野384-5(地図) |
アクセス | 金野駅から徒歩50分 千代ICから車で10分 |
駐車場 | 5台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
拝殿
諏訪社の境内は南西向き。
県道1号沿線の集落の一画にあり、社頭の手前には砂利敷きの駐車場が設けられています。
社頭から階段を昇ると、石造の明神鳥居があります。
奥は拝殿、左手は神楽殿。
神楽殿は寄棟、鉄板葺。
雨戸があった部分にアルミサッシを後付けしたと思われる造りをしています。
拝殿は、入母屋(妻入)、桟瓦葺。
建具は格子戸などが使われ、風通しの良い造り。
本殿
拝殿の内部をのぞき込むと、奥に2棟の本殿が鎮座しています。
年代、建築様式、および祭神についての解説は下記のとおり。
(※前略)
諏訪社本殿は一間社とし、若宮八幡宮本殿は二間社で左を八幡社、右を若櫻社の二室に仕切る。ともに流造、板葺の小社で、覆屋の左右に並び立つ。
若宮八幡宮本殿には元亀四年(1573)の棟札が残り、本殿も形式手法が酷似しており、建物の様式からも同時期の建築と認められる。
本殿及び若宮八幡宮は、総角柱で頭貫や身捨(原文ママ)*2組物を用いないなど、簡明な構造を持ち、装飾的要素の少ない簡素な意匠である。縁を設けずに棚板と浜床を構える形式にも特色がある。この地方における鎮守社の姿を示している。
保存状態も良く、室町時代に遡る同時期建立の神社が二棟揃って残り価値が高く、重要文化財に指定された。
また、全体に風蝕が少なく、当初から覆屋によって保存されていたものと考えられ、現覆屋も重要文化財の附として指定された。
御祭神
諏訪社本殿 建御名方命
若宮八幡宮本殿 誉田別命
若櫻社には木花咲耶姫が祀られている
祭礼
春(四月)、秋(十月)第二日曜日及び元旦祭
長野県教育委員会
泰阜村教育委員会
向かって左にあるのが諏訪社本殿。
一間社流造、板葺。
後述の若宮八幡宮本殿と同年代(1573年頃)の造営と考えられます。国指定重要文化財。
周囲に縁側がなく、正面にだけ棚板を設けた見世棚造という形式。
この写真では見えないですが、正面の棚板の下に低い床(浜床)が設けられていて、先述の案内板によるとこれも特徴のひとつのようです。
覆い屋の後方の隙間から見た図。
柱は角柱。組物はありません。
妻飾りは角柱の束が立てられているだけ。非常にシンプルです。
屋根は板葺で、曲線的な造形ができないため、前方(写真左)の桁のところで板を継いでいます。
軒裏に垂木はなく、板軒となっています。
向拝柱(左)も母屋柱(右)も角柱で、大きめに面取りされています。
向拝の虹梁は、側面(写真左)に出た木鼻と一体化しています。向拝柱と斗で虹梁をはさむ形になっており、ここは風変わりな構造だと思います。
柱上の組物は平三斗。軒桁が凸の字を上下逆にした形状になっていて、平三斗は軒桁を直接受けています(実肘木が使われていない)。
海老虹梁はわずかに上にむくりのついた形状。母屋の長押の上から出て、向拝の平三斗に取り付いています。
つづいて、向かって右にある若宮八幡宮本殿。
二間社流造、板葺。
1573年の造営*3。室町の最末期のものです。前述の諏訪社本殿とあわせて「諏訪社 2棟」として国指定重要文化財。
こちらも諏訪社本殿と同様の見世棚造となっています。
ただし正面には2組の扉があり、めずらしい二間社です。八幡宮はたいてい一間社か三間社に3柱の神を祀るのですが、この本殿は右側にコノハナノサクヤビメが祀られているようです。この祭神の組み合わせもめずらしいと思います。
各部の造りは前述の諏訪社本殿とほぼ同じのようです。
案内板にあるように非常に保存状態が良く、いまから450年前の室町末期のものとは思えません。
2棟の本殿は、このような覆い屋で保護されています。
切妻、鉄板葺。
いつの時代のものかはわかりませんが、こちらも「諏訪社 2棟」の附*4として国重文です。
以上、諏訪社でした。
(訪問日2022/06/18)