甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【下條村】大山田神社

今回は長野県下條村の大山田神社(おおやまだ-)について。

 

大山田神社は国道151号沿線の集落に鎮座しています。

創建は不明。もとは別の場所にあったらしく、当初の鎮座地は諸説ありますが、史料がないため不明。平安時代の『延喜式』に記載がある式内社で、平安初期には確立されていたと考えられます。室町時代初期に武田氏の一族である下条氏が当地を領し、現在の相殿(八郎明神と八幡宮)の本殿が造営されました。江戸時代は幕府の庇護を受けています。

現在の本殿は室町時代から江戸中期のもの。3棟の本殿が並立し、左右の本殿2棟が国重文となっています。また、境内にはスギの大木が生育しています。

 

現地情報

所在地 〒399-2102長野県下伊那郡下條村陽皐4588(地図)
アクセス 門島駅から徒歩1時間
天竜峡ICから車で15分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 20分程度

 

境内

参道

大山田神社の境内は東向き。谷沿いの集落の一画に境内があります。

一の鳥居は石造の明神鳥居。

 

参道は急な石段になっていて、両脇にはスギの大木が立ち並びます。

 

二の鳥居。石造の明神鳥居。扁額は「大山田神社」。

 

二の鳥居をくぐると境内の中心部に到着します。

こちらは御神木の「大杉」。村指定天然記念物。

樹高約40メートル、樹齢は900年以上とのこと。当社が創建されたころからここにあった可能性も考えられます。

 

拝殿向かって右には手水舎。

切妻、銅板葺。

 

拝殿と大山田神社本殿

拝殿は、切妻(妻入)、銅板葺。

四方を吹き放ちとし、神楽殿のような開放的な造り。

 

拝殿の奥は、本殿を収めた覆い屋となっています。

 

内部には3棟の本殿があり、向かって左が八郎明神*1、中央が大山田神社、右が八幡宮*2

建築様式は3棟いずれも、一間社流造、とち葺。

左の八郎明神と右の八幡宮が「大山田神社 2棟」として国指定重要文化財です。

 

覆い屋の前面は格子戸になっており、内部をのぞき込むことができます。ただし内部は薄暗く、本殿の全貌を見るのは困難。

 

こちらは中央の大山田神社本殿の向拝柱。

大山田神社本殿は1749年(延享二年)の再建。

祭神は大国主。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。面取り部分が黒く塗られています。

側面には獏と思われる獣の彫刻。

 

中備えは蟇股。

波に松が描かれ、彩色されています。

 

八郎明神(鎮西八郎為朝社)

向かって左は八郎明神本殿(鎮西八郎為朝社本殿)

1507年(永正四年)再建国指定重要文化財

当地の領主の下条氏が、宮大工の吉村氏の一門を京都から招いて造営したもの。

当初は諏訪社だったようですが、江戸中期以降は鎮西八郎(源為朝)が祀られています。源為朝は当社の神主の祖先らしいです。

 

向拝柱は角面取り。側面に拳鼻がついています。

虹梁の下部には持ち送りの斗栱。虹梁中備えの蟇股には鷹らしき鳥の彫刻。

柱上の組物は平三斗を拡張したようなものが使われています。実肘木はなく、桁を直接受けています。

 

八幡宮(応神天皇社)

向かって右は八幡宮本殿(応神天皇社本殿)

1507年(永正四年)再建*3国指定重要文化財

祭神は誉田別命(応神天皇)。

 

前述の八郎明神本殿と同年代のもので、技法も似通っています。

柱は面取り角柱。側面には平面的な造形の象鼻。前述の大山田神社本殿(江戸中期のもの)とくらべて、古風な技法が使われています。

虹梁下の持ち送りや、柱上の組物は八郎明神本殿と同様。

 

虹梁中備えは透かし蟇股。八幡宮のシンボルである鳩が彫刻されています。

 

拝殿の左右には末社が並立しています。

 

以上、大山田神社でした。

(訪問日2022/06/18)

*1:文化庁における登録名は「相殿鎮西八郎為朝社本殿」。

*2:文化庁における登録名は「相殿応神天皇社本殿」。

*3:棟札より。棟札は附に指定されている。