今回は長野県長野市の建御名方富命彦神別神社(たけみなかたとみのみこと ひこかみわけ-)と信濃招魂社(しなの しょうこんしゃ)について。
建御名方富命彦神別神社(水内大社)
所在地:〒380-0801長野県長野市長野本城東2411(地図)
建御名方富命彦神別神社は善光寺の裏手にある城山公園の一画に鎮座しています。別名は水内大社(みのち たいしゃ)。
創建は不明。平安時代の『延喜式』に「水内郡 建御名方富命彦神別神社」と記載があり、式内論社に比定されています。当初は善光寺境内の本堂北側に祀られ、いつからか「年神堂八幡宮」と呼ばれるようになりました。明治初期の神仏分離令で現在地に遷され、旧社殿は同市高田の守田迺神社に移築されました。
境内
建御名方富命彦神別神社の境内は南向き。城山公園の東端にあり、境内東側は急斜面の地形になっています。
鳥居は木造の両部鳥居。
扁額は「建御名方富命彦神別神社」。有栖川宮幟仁親王の揮毫。
社名があまりにも長いせいか、最後の“神社”のあたりは字が小さくなり、つぶれかけています。
参道の先には拝殿。
入母屋、向拝1間、桟瓦葺。
左右には片拝殿のような社殿がつながっています。
扁額は「建御名方富命彦神別之神社」。右縦書きで2字ずつ改行されています。
拝殿には、とくに目立った彫刻や意匠はありません。
本殿は、一間社流造、銅板葺。
明治時代の造営と思われます。
祭神は社名のとおりタケミナカタ(建御名方富命)。諏訪大社の祭神です。
遷座前、善光寺境内に鎮座していたころは、なぜか八幡宮(祭神は誉田別命など)として信仰されていたようです。
向拝柱は角柱。側面に竜の木鼻がついています。
柱上の組物は出三斗。組物の上から海老虹梁がのびています。
海老虹梁の母屋側は、頭貫の位置に取り付き、下部を木鼻で持ち送りしています。
母屋柱は円柱。頭貫木鼻は拳鼻。柱上には台輪が通り、組物は出三斗。
縁側は3面にまわされ、背面側は脇障子を立てています。床下は縦板でふさがれています。
台輪の上の中備えは蟇股。
妻飾りは笈形付き大瓶束。
境内には摂社や末社があります。
こちらは千幡社。一間社流造、鉄板葺。
向拝や妻飾り、脇障子に彫刻が入っています。
組物は出組で、詰組になっています。
縁側は4面にまわされ、床下は腰組。
向拝の手前には浜床が設けられています。
こちらは木匠祖神社なる社殿。
一間社神明造。室外に棟持柱が立てられています。
名称不明の境内社。
境内からは善光寺本堂が見えます。写真左が正面側。
前後に長い独特の平面と、撞木造の屋根が観察できます。
以上、建御名方富命彦神別神社でした。
信濃招魂社(護国神社)
所在地:〒380-0802長野県長野市上松2-4-2(地図)
信濃招魂社は城山公園の北側の一画に鎮座しています。
創建は1902年(明治三十五年)。戦没者や公務殉職者を祀るために造られました。現在の社殿は戦後の再建。創建の経緯から「護国神社」とも呼ばれますが、国の指定護国神社ではありません。
境内
信濃招魂社の境内は南向き。入口は、城山動物園の駐車場に面しています。
拝殿は、切妻、鉄板葺。
柱は円柱。縁側がなく、あまり神社らしくない造り。前方の1間通りは吹き放ちになっています。
本殿は、神明造、鉄板葺。戦後の再建。
RC造ですが、神社本殿としてはかなり大規模。
室外には棟持柱が立っています。内に大きく転び(傾き)がついていて、妻壁にもたれかかっているような状態。
大棟には千木と鰹木のほか、棟覆板がついています。破風板には鞭掛(4本の棒)。神明造の意匠を踏襲しています。
床下。RC造なので当然ですが、礎石などはありません。
母屋柱や棟持柱、縁束は、いずれも円柱になっていました。
以上、信濃招魂社でした。
(訪問日2022/07/03)