甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【広陵町】百済寺

今回は奈良県広陵町の百済寺(くだらじ)について。

 

百済寺は町東部の百済地区の集落に鎮座する高野山真言宗の寺院です。山号はありません。

創建は不明。百済大寺という寺院が前身らしく、百済大寺は飛鳥時代に開かれた官寺であり平城京の南都七大寺にも列していたとのこと。江戸初期には6つの子院を擁していたようですが現在は無住となっており、鎮守社と思われる春日若宮神社の管理下にあります。

現在の境内伽藍は本堂と三重塔だけが残っている状態で、敷地の大部分は春日若宮神社の境内参道となっています。寺院としては衰退したものの、鎌倉後期の造営とされる端正な三重塔が国重文に指定されており、集落のランドマークとして今もなお堂々とそびえています。

 

現地情報

所在地 〒635-0813奈良県北葛城郡広陵町百済1168(地図)
アクセス 松塚駅から徒歩30分
橿原北ICから車で10分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 なし
公式サイト なし
所要時間 20分程度

 

境内

春日若宮神社

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百済寺の入口は境内の東側にあります。

こちらは鎮守社の春日若宮神社の鳥居。鳥居の先に三重塔があるという、ちょっと変わった絵面になっています。

鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「春日若宮神社」。

 

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三重塔は後回しにして、まずは神社のほうから紹介。

拝殿は切妻、桟瓦葺。

 

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拝殿の後方には、塀に囲われた本殿が東面して鎮座しています。

三間社流造、正面千鳥破風付、向拝3間、軒唐破風付、銅板葺。

造営年不明。祭神は春日神(タケミカヅチや天児屋根など)と思われます。

 

塀と灌木に阻まれて細部の観察が困難なため、解説は割愛。

 

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境内南側には境内社。

いずれも北向き。

 

三重塔

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境内の中心部には三重塔が鎮座しています。

三間三重塔婆、本瓦葺。全高23.27メートル。

造営年は鎌倉時代と考えられています国指定重要文化財

 

造営年代および修理の記録については下記のとおり。

(※前略)

 現存する党の建立年代は不明ですが、様式的には鎌倉時代中期に建てられたと考えられます。昭和六年の修理時に発見された瓦刻名から寛正四年(1463)に東坊定弘が木瓦葺きを瓦葺きに代えたことが判っており、延宝三年(1675)、天明七年(1787)の修理銘もあります。

(境内案内板より)

 

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初重。

母屋は正面側面ともに3間(方三間)。

柱は円柱。軸部は長押で固定されています。頭貫木鼻のない、純和様の造り。

中央の柱間は板戸、左右の柱間は連子窓。板戸の上には中備えとして間斗束が立てられています。

 

壁面はしっくい塗りのようですが、経年のためかしっくいが剥げてしまっています。

 

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組物は和様の尾垂木三手先。

二手先の桁下には格子の小天井、三手先の桁下には軒支輪。

 

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二重および三重。

こちらは縁側に跳高欄が立てられています。

母屋の中央の柱間に板戸がある点は初重と同じですが、二重三重は左右の柱間がしっくい塗りの板壁になっています。

 

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二重の組物と軒下。

初重とおなじ三手先で、初重と同様の造りをしています。

 

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頂部は露盤の上に相輪が立てられています。

九輪と水煙のついた標準的なもの。

 

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初重から三重の見上げ。

軒裏はいずれも平行の二軒繁垂木。

 

全体のプロポーションとしては初重の母屋がやや大きめなためか、安定感がありながらもすらりと伸びたシルエットに見えます。余計な装飾がないおかげでプロポーションや木割のバランスの良さが際立ち、端正な美しい塔になっていると思います。

惜しむらくは、造営年代がはっきりと判らないこと。具体的な年代や年号のわかる資料さえあれば、国宝指定も充分にあり得たのではないでしょうか。

 

本堂(大織冠)

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境内の北側の公園の一角のような場所には、本堂が南面して鎮座しています。

大織冠(たいしょくかん)という別名があり、談山神社(奈良県桜井市)から移築されたものらしいです。

桁行3間・梁間3間、入母屋(妻入)、向拝3間、本瓦葺。

造営年不明。町指定文化財。

本尊は十一面観音。

 

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向拝柱は角面取り。面取りの幅がかなり大きめに取られています。

中備えの蟇股は、はらわたに松などの樹木が彫られています。

柱の面取りや彫刻の造形から推察すると江戸初期あたりのものではないか、というのが私の予想。

 

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虹梁は無地の材が使われ、木鼻は拳鼻。

左右の端の柱の上の組物は連三斗。拳鼻にのった皿斗が連三斗を持ち送りしています。

 

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向拝柱の上で軒裏を受ける手挟は、彫刻も繰型もない古風なもの。

向拝と母屋をつなぐ梁はありません。

 

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母屋柱は円柱。正面の柱間は上下に開くタイプの蔀。

 

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正面中央の欄間には蟇股が置かれています。はらわたの彫刻は竹に虎。

組物は出三斗。

軒桁はほとんど退色していますが彩色の跡があり、三つ巴の紋が辛うじて見えます。おそらく当初は安土桃山風の派手な極彩色だったのでしょう。

 

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右側面(東面)。

側面は3間。前方の1間は板戸、中央の1間は連子窓、後方の1間は縦板壁。壁板は縦方向に張られ、しっくい塗りのようですが塗りがほとんど剥げています。

こちらの組物は大斗と肘木で、正面側とくらべて簡略化されています。

縁側は切目縁が3面にまわされ、欄干は跳高欄。背面側には脇障子が立てられています。

 

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正面の入母屋破風。

破風板拝みには猪目懸魚。

妻壁には豕扠首が使われています。

 

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背面は3間とも縦板壁。

正面から見ると春日造のようにも見えますが、背面側にも垂木が伸びているためこれは妻入の入母屋です。

 

以上、百済寺でした。

(訪問日2021/10/14)