今回は長野県長野市の長国寺(ちょうこくじ)について。
長国寺(長國寺)は松代の城下町に鎮座している曹洞宗の寺院です。山号は真田山。
創建は室町後期にさかのぼり、真田幸隆(信之・信繁の祖父)が上田市真田町に開山した長谷寺が前身。1622年に真田信之が松代へ転封されたとき、当地に開山されたのが現在の長国寺とのこと。
伽藍は江戸期の水害や火災をうけて再建されたものが大半ですが、真田家当主の霊屋は難をのがれて現存しています。とくに松代藩初代・真田信之の霊屋は江戸初期の作風がよくあらわれた豪華な造りで、国指定重要文化財となっています。
現地情報
所在地 | 〒381-1231長野県長野市松代町1015-1(地図) |
アクセス | 長野ICから車で10分 |
駐車場 | 20台(無料) |
営業時間 | 随時(真田信之霊屋は09:00-16:00、水曜日と年末年始は定休) |
入場料 | 無料(真田信之霊屋は300円、特別拝観は800円) |
寺務所 | あり |
公式サイト | 長國寺-信州松代 |
所要時間 | 20分程度 |
境内
総門と本堂
長国寺の境内は西向き。
入口の総門は桟瓦葺の切妻。一間一戸の薬医門。
総門の先には山門の跡と思しき土台。
見たところ正面3間・側面2間なので、もともとあった門は三間一戸の楼門(仁王門?)だったのではないかと思われます。火災で焼失してしまったのでしょうか。
総門の先には本堂。桟瓦葺の寄棟(平入)、向拝1間。
1886年の再建。本尊は阿弥陀如来。
屋根の上には箱棟が載っており、箱棟の前面には真田氏の家紋である六文銭。
しゃちほこは廃藩置県のさいに取り壊された松代城から移設したものとのこと(パンフレットより)。
向拝の軒下。奥の扁額は山号「眞田山」。
虹梁(こうりょう)の上の中備えの彫刻は、網がかかっていてよく見えないですが、パンフレットによると張良が黄石公の靴を拾う場面とのこと。虹梁の両端の木鼻は唐獅子。
これらの彫刻は北村喜代松父子の作。戸隠神社宝光社の彫刻を造った人物です。
開山堂
本堂の裏には開山堂が鎮座しています。
桟瓦葺の宝形。正面3間・側面3間。柱はいずれも円柱。
1727年の建立。長野県宝。
もとは松代藩の三代・真田幸道の霊屋として、真田信之霊屋の隣に造られたもののようです。しかし明治期の火災をうけて本堂を再建するとき、霊屋を現在の場所に移転して開山堂に充てたとのこと。
正面および側面。
もともとの霊屋は正面に向拝、周囲に縁側がついていたようです。観察してみると、海老虹梁(えびこうりょう)や縁側の痕跡を柱に見ることができます。
案内板(長野県教育委員会)の解説は下記のとおり。
堂は方三間の宝形造、桟瓦葺で、もと廻縁向拝付であったが、今は撤去されている。
正面中央に桟唐戸をつり、他は縦桟の舞良戸はめ殺しとし、円柱に組物は出組詰組、軒は二軒繁垂木で、装飾は外部の頭貫と内法長押の間に唐草の透彫を入れるだけで極めて簡素である。内部は内外陣の仕切り、陣境に格子戸を入れ欄間に高肉彫の彫刻を入れ、奥に禅宗様仏壇をおくなど、信弘の霊屋と同じである。
長野県教育委員会
真田信之霊屋
前述の開山堂までは無料で見学できますが、以降は有料区間(300円)となります。
本堂の右手にある庫院の受付に拝観をたのむと、本堂と開山堂の裏にある通路の鍵を開けて霊屋のほうへ案内してもらえます。なお、休日の昼間でも受付の人が居ないことがあるので、遠方から見に来られるかたは電話を入れておくと確実でしょう。
今回は2度目の訪問で、じつは初めて来たとき拝観できませんでした... さいわい私はこの辺によく来るので、あまり痛手ではなかったですが。
真田信之霊屋の前には門があります。こけら葺の切妻で、一間一戸の四脚門。
細部もよく見たかったのですが、受付の人がつきっきりで案内してくれるので見る時間がとれず。
そしてこちらが真田信之霊屋。
こけら葺の入母屋(平入)。正面3間・側面4間、正面に千鳥破風(ちどりはふ)と軒唐破風(のき からはふ)の向拝1間。
1660年(万治3年)の造営。国指定重要文化財。
説明するまでもないと思いますが、真田信之(1566-1658)は松代藩初代藩主。父の真田昌幸や弟の信繁(幸村)と対立して上田城で戦い(第2次上田城の戦い)、幕末までつづく松代藩真田家の祖となった人物。
この霊屋は真田信之を祀る堂で、正室の小松姫もともに祀られています。
受付の人の話によると、これから(2020年秋以降)屋根のこけらと壁面の漆塗りを修復する工事が約5年にわたって行われるらしく、工事が終わるまで拝観できないとのこと。どうやらとても良いタイミングで訪問できたようです。
なお、特別拝観(追加料金500円)をたのめば扉を開けて内装を見せてもらうこともできたようですが、今回は外観を見るだけにしました。修復工事が終わったときには再訪して内部の拝観もお願いしたいところ。
向拝の軒下。
黒を基調とした配色ですが、向拝柱などは塗装が剥げかけています。
向拝柱は几帳面取りの角柱。中備えの彫刻は鳳凰。虹梁の木鼻は麒麟、下部の持ち送りは唐獅子。
母屋は円柱で構成され、上端がすぼまった粽(ちまき)になっています。
正面中央は赤い格子と金の飾りのついた豪華な桟唐戸(さんからど)。その上には紅白の菊の彫刻がはめ込まれています。
組物は出組で、柱上だけでなく柱間にも配置されています(詰組)。
側面。
壁板は雨戸がはめられていますが、おそらくその下は蔀(しとみ)。
頭貫と台輪には木鼻がついており、禅宗様の木鼻となっています。
縁側は切目縁(きれめえん)が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。脇障子はありません。床下は縁束で支えられています。
入母屋破風には極彩色の妻虹梁や笈形(おいがた)が置かれ、とても華やか。
黒い破風板は金色の金具で装飾され、六文銭の紋も見えます。
ほか、千鳥破風にも派手な装飾があったのですが、あろうことか撮り忘れてしまったので割愛...
真田家墓所
境内の最奥には松代藩真田家の歴代の当主の墓が並んでいます。
中には真田昌幸と真田信繁の供養塔もありますが、これは明治以降に造られたものとのこと。
こちらが真田信之の墓。
正面に鳥居が立ち、東向きに鎮座しています。
なお、写真右奥に見えるのは真田信弘霊屋(1736年造営、県指定文化財)。松代藩4代目のもの。
こちらの霊屋について受付の人は一言も解説してくれず、写真を撮る暇もありませんでした。とはいえ訪問時(13:00くらい)の長野市の気温は35度をゆうに上回り、日陰で立っているだけでも汗と体力を絞られる酷暑だったので受付の人を責めるのは酷というものでしょう。
真田氏、とくに真田信之に興味があるのなら必見といえるすばらしい霊屋なのですが、今回の訪問はなにかと消化不良の感が残りました。修復工事がおわったら、今度はもっと涼しい時期をねらって再訪したいです。
以上、長国寺(真田信之霊屋)でした。
(訪問日2020/08/11)