甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【諏訪市】温泉寺

今回は長野県諏訪市の温泉寺(おんせんじ)について。

 

温泉寺は諏訪市街東部の山際に鎮座する臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は臨江山。

創建は1640年(寛永十七年)。諏訪高島藩の2代藩主・諏訪忠恒によって、慈雲寺(下諏訪町)の泰嶺玄未を招いて開かれました。以降、諏訪家の菩提寺となり、歴代の藩主から崇敬を受けました。1870年に火災で諸堂を喪失し、高島城の門を移築するなどして再建されました。

現在の境内伽藍は明治以降のもので、高島城から移築された伽藍は江戸後期のものです。境内の裏手には諏訪大社の御神体をおさめた多宝塔があり、墓地の最奥部には諏訪高島藩の歴代藩主の墓所があります。また、境内は高台にあり、上諏訪市街や諏訪湖を見下ろすことができます。

 

当記事では温泉寺の伽藍について述べます。

国指定史跡の高島藩主諏訪家墓所については、当該記事をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒392-0002長野県諏訪市湯の脇1-21-1(地図)
アクセス 上諏訪駅から徒歩15分
諏訪ICから車で15分
駐車場 20台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 10分程度

 

境内

三十三番観音

温泉寺の境内は北西向き。入口は、市街地北東の住宅地の一画にあります。

こちらは境内入口手前にある慰霊碑と地蔵。

 

坂道を登って境内へ向かうと、道路の右側に門があります。温泉寺境内の案内板にも載っておらず、詳細不明。

一間一戸、切妻、銅板葺。

主柱の前後に控柱を立て、貫でつないでいます。両部鳥居に近い構造。

 

主柱は円柱。

主柱から前後に梁が出て、軒桁を受けています。梁は、男梁・女梁ともに先端に繰型がついています。

軒裏は一重まばら垂木。

 

門の先には石造三重塔と、三十三観音(左奥)。

 

三十三番観音は、切妻、桟瓦葺の屋根が3棟並んでいます。

 

柱は角柱で、上端が絞られ、柱上は大斗と舟肘木。

柱から斗栱を出して、出三斗で軒桁を直接受けています。

頭貫には大仏様木鼻。

和様、大仏様、禅宗様が混在していて、おもしろい造りだと思います。

 

妻飾りは、虹梁の上に笈形付き大瓶束。

拝みの懸魚は、蕪懸魚を変形させたような形状。

 

背面。こちらは軒桁の持ち出しがありません。

 

内部には石仏が安置されています。屋根があるおかげで、保存状態は良好。

境内の案内板には“三十三番観音(貞治の石仏)”と書かれています。貞治年間(室町前期)の像という意味ではなく、守屋貞治(もりや さだじ、1765~1832)という高遠石工の作のようです。

 

山門

坂道を数十メートルほど進むと、境内に到着します。

左手の寺号標は「温泉寺」。

 

階段の先には山門(三門)。扁額は山号「臨江山」。

三間一戸、薬医門、切妻、桟瓦葺。

造営年不明、明治初期に移築。当初の門は1870年(明治三年)の火災で焼失したため、高島城からこの門を移築したようです。城内のどこにあった門なのかについては、資料がないため不詳とのこと。

 

前方(写真左手前)に太い主柱を立て、後方に控柱を立て、前方に腕木(梁)を伸ばして軒桁を受けています。標準的な構造の薬医門です。

とはいえ、この規模の薬医門で三間一戸は少しめずらしいと思います。

 

背面。

門扉は板戸が使われています。

 

門の左右の小屋には、仁王像が向かい合って立っています。

 

本堂と客殿

山門をくぐると、右手に本堂があります。本尊は薬師如来。

二重、入母屋(妻入)、向拝1間 軒唐破風付、銅板葺。

1827年(文政十年)造営。

当初は能舞台として高島城内に造られたもので、当寺の本堂が1870年に焼失したため、新しい本堂として移築・改造されたとのこと*1。このような経緯のため、仏堂としては風変わりな外観で、内部構造にも能舞台だったころの名残があるようです。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。正面には唐獅子、側面には象の木鼻。

組物は、出三斗を左右に2つ並べたもの。

 

手挟は板状のもの。

海老虹梁は向拝虹梁の高さから出て、母屋の頭貫の位置に取り付いています。

 

虹梁の絵様は、波と若葉の中間的な意匠。

中備えは蟇股。蟇股の上には唐破風の妻虹梁がありますが、妻飾りの意匠はないようです。

 

正面向かって右側。

入母屋の屋根の軒先から、さらに孫庇を伸ばしたような構造。この孫庇は、おそらく移築時の改造で付加されたのでしょう。

 

本堂の右手前には、経蔵が北面しています。

経蔵は造営年不明ですが、内部にある輪蔵*2は立川和四郎富棟(初代和四郎)の作とのこと。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。側面には象鼻。

柱上の組物は皿斗と実肘木。虹梁中備えは蟇股。

母屋部分はしっくい塗りの白壁で、とくに目立った意匠はありません。

 

山門をくぐった先の真正面には、客殿の玄関があります。

向唐破風、銅板葺。

 

玄関の柱は、上端が絞られた面取り角柱。

正面には斗栱が出て、柱上の出三斗を持ち送りしています。柱の側面には木鼻。

 

貫の上の中備えは蟇股。

妻虹梁の上は板蟇股。

唐破風の兎毛通には猪目懸魚。

 

客殿は、入母屋、向拝1間、銅板葺。

 

向拝柱は几帳面取り。正面と側面には木鼻。柱上は出三斗。

虹梁中備えは蟇股。

 

鐘楼

客殿の手前、境内北側には鐘楼。

入母屋、桟瓦葺。

 

境内は高台にあるため、鐘楼から上諏訪の市街を一望でき、温泉街の奥には諏訪湖が見えます。

内部に吊るされた梵鐘は1430年(永享二年)鋳造で、長野県宝*3

銘によると、下伊那郡市田村(現在の高森町下市田)の安養寺に奉納されたもの。伝承では1582年の甲州征伐の折、織田信忠の軍勢によって安養寺から略奪され、神宮寺(諏訪大社上社本宮のあたり)に捨てられていたのを再利用したといわれます。

 

柱はいずれも円柱。飛貫と頭貫には大仏様木鼻。

柱上の組物は出組。

軒裏は、放射状の二軒繁垂木。

 

柱の土台の部分の貫にも、大仏様木鼻がついています。

 

内部は化粧屋根裏で、中央部分が小さな鏡天井になっています。

 

多宝塔

本堂右手から境内裏へまわりこむと、多宝塔が南面しています。

三間多宝塔、銅板葺。

1979年造営。

 

下層は正面側面ともに3間。

中央の柱間は板戸。左右の柱間は連子窓。

縁側はありません。

 

柱は大面取り角柱。

軸部は長押を多用し、頭貫木鼻はありません。

組物は出組。実肘木ではなく、舟肘木で軒桁を受けています。軒桁(丸桁)は丸い材が使われています。

いずれも奈良時代あたりの建築で見られるような、古風な技法です。

 

軒裏は二軒繁垂木。

地垂木(母屋側の垂木)は円柱状、飛檐垂木(軒先の垂木)は角柱状の材が使われており、いわゆる地円飛角(じえんひかく)になっています。

地円飛角は、奈良時代以前の非常に古い建築か、近現代の擬古的な建築でしか見られない技法です。この多宝塔は、後者に該当します。

 

上層。母屋と縁側は円形の平面になっています。

組物は尾垂木四手先。

軒裏は、下層と同様に地円飛角の二軒繁垂木。

 

頂部には相輪(法輪)。

路盤の上に受花と九輪があり、九輪の上にさらに受花と水煙が乗っています。

 

案内板には「諏訪市指定有形文化財 温泉寺鉄塔」とありますが、この木造の多宝塔ではなく、内部に納められている石塔のことを指して言っています。ふだんは扉が閉まっていて拝観できず、御柱祭のときだけ開扉して一般公開されるようです。

(温泉寺鉄塔 ※画像はWikipediaより引用)

現在の温泉寺鉄塔は1631年に藩主の諏訪忠恒によって再建されたもの。当初のものは、伝承によると源頼朝の再建とも、空海の建立とも言われています。

温泉寺鉄塔は別名を「石之御座多宝塔」といい、かつては諏訪大社の御神体として上社本宮の拝殿に祀られていました。明治初期の廃仏毀釈(神仏分離)で上社本宮から撤去され、当寺に引き渡されました。その後、1979年に多宝塔の内部に納められ現在に至ります。

 

境内裏にある高島藩主諏訪家墓所については当該記事にて紹介し、当記事では割愛いたします。

 

以上、温泉寺でした。

(訪問日2023/02/08)

*1:境内案内板(設置者不明)より

*2:回転式の書架のこと。輪蔵を回転させれば、内部に収めた経典を読んだのと同等の功徳が得られるとされる。

*3:県指定有形文化財に相当する区分