甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【諏訪市】高島藩主諏訪家墓所(温泉寺)と兒玉石神社

今回は長野県諏訪市の高島藩主諏訪家墓所兒玉石神社について。

 

高島藩主諏訪家墓所(温泉寺)

所在地:〒392-0003長野県諏訪市上諏訪北垣外10637-15(地図)

 

温泉寺の高島藩主諏訪家墓所(たかしまはんしゅ すわけ ぼしょ)は、温泉寺墓地の最奥部にあります。

諏訪家の菩提寺は頼岳寺(茅野市)でしたが、2代目藩主・諏訪忠恒によって高島城下に温泉寺が開かれ、以降、諏訪家の菩提寺となりました。

この墓所には2代目から8代目までの藩主と、その妻子の墓が並び立っています。墓所のある区画は、頼岳寺の初代藩主墓所とあわせて「高島藩主諏訪家墓所」として、国の史跡となっています。

 

境内

諏訪家墓所は西向き。市街地東端の斜面に鎮座しています。

温泉寺の境内南側から急坂を上り、道沿いに進むと墓地の最奥部に入口があります。途中、「和泉式部の墓」という看板もあるのですが、数分探しても墓標が見つからなかったので割愛。

 

墓所の中心部には仮霊屋。扁額は2代藩主・諏訪忠恒の戒名「天久院」。

仮霊屋は切妻、鉄板葺。内部に忠恒の墓標があるようです。

 

(※画像はパンフレットより引用)

当初の霊屋は1673年(寛文十三年)造営で、損傷がひどく倒壊のおそれがあったため2007年に解体され、旧材は諏訪市によって保存されているとのこと。過去に何度か修理を受けていたようで、当初の部材はあまり多くないようですが、江戸前期~中期の建築は諏訪地域では希少なため、現存していれば県か市の文化財になっていたことでしょう。

解体された霊屋の建築様式は、桁行3間・梁間3間、宝形、向拝1間、銅板葺。パンフレットによると“純和様式の素木造”とのことですが、正面の扉に桟唐戸が使われていたらしいので、純和様とは言えないと思います。

 

仮霊屋の左右には、3代目から8代目の墓標があります。いずれの墓標も背面が丸く、あまり墓石らしくない外観です。

なお、初代・諏訪頼水は、温泉寺が開かれる前に亡くなったため、墓所は頼岳寺(茅野市)にあります。9代目と10代目(最後の藩主)は、廃藩置県および版籍奉還のあとに亡くなったため*1、墓所は東京都文京区の吉祥寺にあります。

 

参道の左右にも、墓標や灯篭が並んでいます。

墓標は藩主の妻子たちのもの。灯篭は家臣らが奉納したもののようです。

 

以上、高島藩主諏訪家墓所でした。

 

兒玉石神社(児玉石神社)

所在地:〒392-0002長野県諏訪市湯の脇1-12-3(地図)

 

兒玉石神社(こだまいし-)は上諏訪市街の住宅地に鎮座しています。

創建は不明。『根元記捜』なる文献によると、1486年(文明十八年)以前の創建で、「大矢小玉石湯之権現」と称し、当地の氏神として崇敬されたらしいです*2。1878年には、諏訪大社上社本宮の摂社に列しました。

本殿は同市の八剣神社(上社本宮摂社のひとつ)から移築されたもの。境内に点在する巨石は「諏訪の七石」のひとつに数えられます。

 

境内

兒玉石神社の境内は西向き。入口は、旧甲州街道に面しています。

入口の鳥居は石造明神鳥居。扁額はありません。

 

鳥居の先には巨石がならび、しめ縄がかけられています。

案内板*3によると、岩の窪みにたまった水でいぼを洗うと快癒するという伝承があり、この巨石は「諏訪の七石」に数えられているらしいです。「諏訪の七石」は、上社本宮の硯石を筆頭に、当社の兒玉石*4御座石神社の御座石などが列しています*5

 

巨石の脇を通って進むと、拝殿があります。

切妻、向拝1間、銅板葺。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。側面には木鼻。柱上は出三斗。

虹梁中備えは蟇股が使われています。

 

海老虹梁はクランク状の奇妙な形をしています。

母屋の扁額は「兒玉石神社」。

 

母屋の前面と側面は格子。縁側は3面に回され、背面には脇障子。

母屋柱は角柱で、頭貫には木鼻。柱上は大斗と花肘木。

 

拝殿の後方には本殿が鎮座しています。

兒玉彦命(こだまひこのみこと)と玉屋命(たまやのみこと)という神が祀られているようです。

 

一間社流造、銅板葺。

案内板によると、同市の八剣神社の旧本殿を移築するのが習わしとのこと。八剣神社の本殿は簡素なものなので、当然ながら当社の本殿も同様に簡素です。

母屋柱は角柱で、柱上に組物はなく、妻飾りもありません。装飾といえるものは、破風板の拝みに下がる鰭付きの蕪懸魚だけです。

 

向拝柱は糸面取り角柱。

柱上には舟肘木らしき薄い材が置かれ、その上に軒桁が乗っています。

 

境内南側には湯膳社。社名の読みは不明。

一間社流造、鉄板葺。見世棚造。

四周には御柱が立てられています。

 

最後に、湯膳社から見た拝殿・本殿の全体図。

 

以上、兒玉石神社でした。

(訪問日2023/02/08)

*1:旧藩主の多くは、明治政府の命で東京へ移住した

*2:境内案内板(設置者不明)より

*3:設置者不明

*4:境内案内板には“大石”、“兒玉石大明神”と書かれているが、どの巨石が「兒玉石」なのかは明記されていない

*5:ほかの4つは、上社本宮の沓石と蛙石、杖突峠の小袋石、宮川の亀石とされる