今回は長野県長野市の善光寺七社(ぜんこうじ ななしゃ)について。
長野市のシンボルと言えば善光寺。長野市はその門前町として発展し、千年もの昔から現在に至るまで、参拝者で賑わっています。
寺町のイメージが根強い長野ですが、実は神社も数多くあることをご存知でしょうか。
今回は、善光寺の門前町の周囲に鎮座する神社のうち、名所として選定された“善光寺七社”と呼ばれる神社を、一日でまわってみます。
「善光寺七社」と「三鎮守」とは
記事のタイトルにもある「善光寺七社」は、善光寺などの公的な組織が定めたものではなく、私的に作られた非公式の番付です。
江戸中期、門前町の商人たちが善光寺近辺の名所をまとめた資料*1を作り、七池、七清水、七橋、といった風に、さまざまなジャンルの名所が7つずつ選定されました。そのひとつが善光寺七社です。
あくまでも非公式なので、7つの名所は資料によってまちまちで、「七名所なのに8つ以上ある」という例も珍しくありません。しかし、善光寺七社については資料によるばらつきがみられず、どの資料でも下記の7社が選定されています。
- 柳原神社(やなぎはら-)
- 木留神社(きとめ-)
- 妻科神社(つましな-)
- 加茂神社(かも-)
- 武井神社(たけい-)
- 湯福神社(ゆぶく-)
- 美和神社(みわ-)
以上の7社のうち、妻科神社・武井神社・湯福神社の3社は特に格が高いらしく、善光寺三鎮守と呼ばれています。
善光寺七社は、2社をのぞいていずれも諏訪大社の神(タケミナカタと八坂刀女)を祀っており、例外として加茂神社と美和神社は諏訪とは別の祭神となっています。
善光寺七社と三鎮守についての概要は以上になります。
今回は、長野駅をスタート地点、本郷駅をゴール地点として善光寺七社を巡ります。
柳原神社
〒380-0935長野県長野市中御所1-4(地図)
備考:社務所は弥栄神社が兼任
善光寺七社のうち、長野駅からいちばん近い場所にあるのが柳原神社(やなぎはら-)。
長野駅の善光寺口を出て、幹線道路を西へ歩くと5分足らずで到着します。境内は幹線道路に背を向けた配置で、南向き。
入口には木造の両部鳥居。
中心市街地の一角なので境内は小さく、鳥居と手水、狛犬と灯篭、そして拝殿と本殿しかないシンプルな構成になっています。
拝殿は入母屋、向拝1間、銅板葺。
境内に御柱はないですが、拝殿の棟と鬼瓦には梶の葉が描かれており、諏訪大社の系統のようです。
本殿は、一間社流造、桟瓦葺。
柱はいずれも角柱。
正面に階段のない、いわゆる見世棚造(みせだなづくり)。彫刻も少なく、簡素です。
神社本殿で屋根が瓦なのはちょっと珍しいです。
木留神社
〒380-0928長野県長野市若里1-75(地図)
備考:社務所は弥栄神社が兼任
善光寺七社のうち、長野駅の南側にあるのが木留神社(きとめ-)。
入口は住宅街の隙間のような場所にありますが、ケヤキの大木のおかげで意外とわかりやすいです。
境内は東向きで、両部鳥居が立っています。
拝殿は、寄棟、鉄板葺。
正面と左右側面が吹き放ちになった開放的な造り。
内部に上がって奥をのぞき込むと、流造の本殿がありました。
本殿の覆いは、切妻、銅板葺。
妻科神社
〒380-0872長野県長野市大字南長野妻科218(地図)
備考:社務所は弥栄神社が兼任
妻科神社(つましな-)は長野県庁の裏手の住宅街に鎮座しています。
木留神社や柳原神社からは距離があるうえ上り坂のため、いったん長野駅善光寺口に戻ってバスに乗るのが無難かと思います。
境内は南向きで、入口には木造の両部鳥居。
七社のなかでも別格の“三鎮守”の1社であり、それにふさわしい風格があります。
拝殿は、入母屋、正面千鳥破風付、向拝1間 軒唐破風付、銅板葺。
向拝にかかった垂れ幕の紋は「梶の葉」。唐破風の上の鬼瓦も同様。これは諏訪神社の紋です。
向拝の軒下。
虹梁中備えは竜。その上の小壁は「瓢箪から駒」。
向拝柱には唐獅子と象(あるいは獏?)の彫刻。
向拝と母屋は、湾曲した海老虹梁でつながれています。
唐破風の中央の懸魚(兎毛通)の彫刻は鳳凰。
軒裏は二軒繁垂木。放射状にのびた扇垂木になっています。
扇垂木は禅宗様建築(基本的には寺院建築の意匠)に使われるもので、神社での採用はめずらしいです。
裏手にある原立寺から妻科神社の社殿を見下ろした図。
写真中央の切妻の社殿は本殿ではないようです。
こちらが妻科神社の本殿。
一間社流造、銅板葺。
前述の柳原神社と同じく簡素な見世棚造ではありますが、縁側(欄干はない)と脇障子が確認できます。
これにて七社のうち3社の参拝が完了。後編は残りの4社を巡っていきます。
(後編に続く)
*1:善光寺七名所や、善光寺四十九名所と呼ばれる。