今回は東京都目黒区の目黒不動尊(めぐろ ふどうそん)について。
目黒不動尊は下目黒の住宅地に鎮座する天台宗の寺院です。山号は泰叡山、寺号は瀧泉寺(りゅうせんじ)。
創建は不明。伝承によると808年(大同三年)、円仁が当地で不動明王像を彫って祀ったのがはじまりとのこと。その後の中世の沿革は不明。
江戸初期に火災で本堂を焼失し、1630年に寛永寺の末寺となりました。その後、徳川家光の寄進で1634年(寛永十一年)に壮麗な伽藍が再建されました。以降、江戸時代を通して目黒不動尊は庶民の観光地としてにぎわいました。
現在の境内は江戸前期に整備されたもので、2段の構成となっています。伽藍は江戸中期から戦後にかけてのもので、境内下段にある前不動堂が都の文化財に指定されています。また、境内には青木昆陽の墓があり、国の史跡に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒153-0064東京都目黒区下目黒3-20-26(地図) |
アクセス | 不動前駅から徒歩10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 泰叡山護國院 瀧泉寺 |
所要時間 | 20分程度 |
境内
仁王門
目黒不動尊の境内は南向き。境内入口は住宅地の生活道路に面しています。
向かって右の寺号標は「目黒不動尊 瀧泉寺」。
入口の仁王門は、RC造、三間一戸、楼門、入母屋、本瓦葺。
1962年再建。
下層。
左右の柱間には仁王像。通路となる中央の柱間はやや広く取られています。
正面向かって右の柱。
柱はいずれも円柱で、頭貫には木鼻。木鼻は大仏様のものに近い形状です。
組物は柱に肘木を挿した構造(挿肘木)で、大仏様の組物です。
頭貫の上の中備えは間斗束。
中央の通路上の中備えは蟇股。三葉葵の紋が描かれています。
内部の通路部分には格天井が張られています。
上層。扁額は山号「泰叡山」。
正面3間で、中央は板戸、左右は連子窓です。
柱間は貫と長押で固定され、木鼻は使われていません。
組物は大仏様の二手先。
軒裏は一重の繁垂木。
左側面。
側面は上層下層ともに白壁。
破風板の拝みには猪目懸魚が下がり、妻飾りは豕扠首。
前不動堂
参道を左側に逸れ、境内西側の区画へ行くと、池の近くに前不動堂(まえふどうどう)が東面しています。
宝形、向拝1間、桟瓦葺。
江戸中期の造営と推定されます。附の扁額には佐々木玄龍(1650-1723)という書家の銘があり、この堂の造営当初のものと考えられているとのこと*1。
都指定有形文化財。
向拝は1間。
各所の意匠は簡素で、紅白をベースとした配色ですが、蟇股や組物は桃山風の極彩色となっています。
虹梁中備えの蟇股。
渦状の雲の彫刻が入っています。
向拝柱は几帳面取り角柱。面取り部分が黒く塗り分けられています。
側面には象鼻。
柱上の組物は出三斗。
母屋部分。扁額は「前不動」。
母屋柱は角柱。柱上には、舟肘木を伸ばした形状の部材が使われています。
正面は3間で、中央は黒い桟唐戸、左右は緑の連子窓が設けられています。
側面は2間。
縁側は切目縁が3面にまわされ、側面の終端に脇障子を立てています。
勢至堂など
前不動堂の西側には、勢至堂が南面しています。
宝形、向拝1間、桟瓦葺。
江戸中期の造営ですが、大部分は後世の改変とのこと。当初は前不動堂の前方にあったようですが、1969年の前不動堂修理にともなって現在地へ移築されています。*2
区指定有形文化財。
境内南東の区画の、目黒不動尊バス停の近くには池があり、三福堂が北面しています。
鳥居をくぐって橋をわたった先には、3棟の本殿が並立しています。中央の堂が三福堂。
三福堂は、切妻、向拝1間、桟瓦葺。
正面には桟唐戸や火灯窓、妻飾りには二重虹梁や大瓶束が使われています。
三福堂向かって左手には福球稲荷社。
向かって右手には豊川稲荷があります。
豊川稲荷本殿は、一間社流造、正面千鳥破風付、鉄板葺。
小規模な社殿ですが、中備えや羽目板に彫刻があります。
大本堂
参道に戻って石段を上ると、鳥居の先に大本堂が鎮座しています。
手前の鳥居は石造日吉鳥居。笠木の上に山型の意匠が乗っているのが特徴的です。扁額は「護国院」。
鳥居の左手には手水舎。
切妻、銅板葺。
大本堂は1981年再建。
入母屋屋根をベースに千鳥破風や軒唐破風、3間の向拝をつけた複雑な構成です。
向拝は3間。中央部分は虹梁がわたされておらず、1間の向拝を2つつなげたような構成。
虹梁中備えや、唐破風の子壁には、極彩色の花の彫刻があります。
左手前(南西)から見た図。
母屋(写真左)は入母屋で、その前方(写真右)に片流の庇がついています。
庇の部分の床は、崖から突き出たような状態になっています。
後方の母屋部分の側面。
柱は円柱で、柱間は連子窓や格子戸などが入っています。
柱上の組物は尾垂木二手先。
背面。こちらは連子窓や板戸が使われています。
軸部は長押や頭貫で固定され、頭貫の上の中備えは間斗束となっています。
大本堂の裏には、銅造大日如来坐像が置かれていました。
1683年(天和三年)造立。区指定有形文化財。
その他の伽藍
大本堂向かって右手前(南東)には鐘楼。
入母屋、本瓦葺。袴腰付。
西面は3間。
柱間は、格狭間の窓と板戸。
中備えは、板戸の上に間斗束があります。
北面は2間。
軒裏は、放射状の二軒繁垂木。
縁側は切目縁がまわされ、跳高欄が立てられています。
頭貫には大仏様木鼻。
組物は二手先で、こちらも大仏様木鼻があります。
鐘楼の近くには、甘藷先生こと青木昆陽の像。
青木昆陽(1698-1769)は甘藷(サツマイモ)の普及に貢献したことで著名ですが、古文書や蘭学の研究でも大きな功績があります。当寺の飛び地の墓地に墓があり、国の史跡となっています。
境内下段、南東には地蔵堂と本坊があります。
以上、目黒不動尊でした。
(訪問日2023/12/01)