今回は京都府城陽市の荒見神社(あらみ-)について。
荒見神社は富野地区の住宅地に鎮座しています。
創建は不明。当初は同市の長池五社ケ谷という場所にあったようで、15世紀ごろ現在地へ移転したようです。現在の本殿は江戸時代の最初期のもので、当地区の宮大工の作とのこと。
境内は小規模ながら鬱蒼とした社叢に覆われ、周囲には堀割が通っています。社殿は、本殿が国重文、境内社の御霊社が府登録有形文化財となっています。
現地情報
所在地 | 〒610-0111京都府城陽市富野荒見田165(地図) |
アクセス | 長池駅から徒歩10分、または富野荘駅から徒歩15分 城陽ICまたは田辺北ICから車で10分 |
駐車場 | 5台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
鳥居と薬医門
荒見神社の境内は南向き。後述の拝殿や本殿は西向き。入口は住宅地の道路に面しています。
鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「荒見神社」。
鳥居の先には薬医門。
一間一戸、薬医門、切妻、本瓦葺。
屋根は本瓦葺で、左右には袖塀がつづいています。
案内板(城陽市教育委員会)によると“南面の鳥居をくぐると薬医門があって神社としてはめずらしい”とのこと。
向かって左の柱。
柱は角柱で、前方に向かって腕木(梁)を突き出して軒桁を受けています。
内部、向かって右側。
梁の上には板蟇股。
内部に天井はなく、化粧屋根裏。軒裏は一重の繁垂木。
背面。
こちらは、軒下にちょうちんが吊るされています。
拝殿と中門
薬医門をくぐると、拝殿・中門・本殿が西向きに鎮座しています。
こちらは拝殿の右側面。写真左側が正面になります。
拝殿は、入母屋(妻入)、銅板葺。
柱は角柱で、柱間はいずれも吹き放ち。
拝殿の後方には、中門へつづく屋根(幣殿?)があります。
切妻(妻入)、銅板葺。
本殿は中門と透かし塀に囲われています。
中門は、切妻、檜皮葺。
門扉には、斜めの吹寄せ格子が張られています。
虹梁の中備えは板蟇股。板蟇股の中央から腕木が突き出ています。
虹梁には象鼻のような木鼻が使われています。
柱は角柱で、上端が絞られています。柱の上部の左右には蟇股のような意匠。
破風板の拝みには、三花懸魚を簡略化したような意匠が見えます。
本殿
本殿は、桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、檜皮葺。
棟札より1604年(慶長九年)造営。国指定重要文化財。
祭神は天火明命、天香山命、天押雲根命、阿比良比売命(あひらひめのみこと、天押雲根命の妃)、コノハナノサクヤビメの5柱。
向拝は3間。
中央のみ9段の階段が設けられています。段数が多いですが、欄干の間は蹴込み板と蹴上げ板が張られ、人が昇り降りしやすいようにされています。
向拝柱は角柱。やや大きめに面取りされています。
柱上の組物は出三斗。
虹梁中備えは蟇股。向拝中央の蟇股は、唐獅子が彫られています。極彩色に塗装され、安土桃山時代の作風です。
向かって右側。
こちらの組物は連三斗。
柱の側面には木鼻が出て、巻斗を介して組物を持ち送りしています。木鼻は、先端に若葉の意匠がついています。
中備えの蟇股には菊の紋。蟇股の上には巻斗が乗り、肘木を介さずに桁を受けています。
母屋と向拝は、ゆるやかにカーブした海老虹梁でつながれています。
海老虹梁の母屋側は頭貫の位置から出ていて、向拝側は組物の上に降りています。
側面(梁間)は2間。三間社流造では標準的な構造。
縁側は3面にまわされ、背面側は脇障子でふさがれています。欄干は細い材を使った跳高欄が立てられています。
母屋柱は円柱。軸部は長押と頭貫で固定されています。
柱上の組物は平三斗と連三斗が使われています。
隅の柱の上には連三斗が使われ、頭貫木鼻と巻斗で持ち送りされています。
妻飾りは古風な豕扠首。
破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。
屋根は檜皮葺で、箕甲の周辺はやわらかな曲面が形成されています。
背面。こちらは3間。
中備えもなく、とくに目立った意匠はありません。
御霊社
拝殿の北側には、境内社の御霊社が南面しています。
一間社流造、檜皮葺。
造営年不明。案内板によると安土桃山時代のものと考えられているようです。
府登録有形文化財。
虹梁は無地の材が使われ、中備えは蟇股。
蟇股には花の彫刻。蟇股の上の巻斗も極彩色に塗り分けられています。安土桃山時代の作風。
向拝柱は面取り角柱。面取りの幅も、時代相応だと思います。
柱の側面には拳鼻。
柱上は出三斗。
母屋柱は円柱。軸部は長押で固定。
頭貫木鼻はなく、柱上は舟肘木。非常に古風な造り。
妻飾りは豕扠首、破風板には猪目懸魚。
以上、荒見神社でした。
(訪問日2022/02/24)