甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【京都市】安井金比羅宮

今回は京都府京都市の安井金比羅宮(やすい こんぴらぐう)について。

 

安井金比羅宮は市東部の住宅地に鎮座しています。通称は縁切り神社。

当地は藤原鎌足が藤寺という寺院を開いた場所で、これが安井金比羅宮の前身とのこと。安井金比羅宮の創建は社伝によると建治年間(1275-1277)で、当初は光明院観勝寺という寺院の鎮守社だったようです。中世から近世にかけての詳細な沿革は不明。明治時代に神仏分離令を受けて独立の神社となり、戦後に現在の社号に改められました。

現在の境内は近現代のものと思われます。縁切りの神社として著名で、大量の札が貼られた「縁切り縁結びの碑」が見どころとなっています。

 

現地情報

所在地 〒605-0823京都府京都市東山区下弁天町70(地図)
アクセス 祇園四条駅から徒歩10分
京都東ICから車で20分
駐車場 6台(無料)、周辺にコインパーキングあり
営業時間 境内は随時
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 安井金比羅宮
所要時間 10分程度

 

境内

参道

安井金比羅宮の境内は東向き。入口は車道に面した場所にあります。

一の鳥居は石造明神鳥居。

 

鳥居の柱には、角柱が使われています。「角鳥居」「住吉鳥居」と呼ばれるめずらしい形式です。

扁額は「安井金比羅宮」。

 

二の鳥居は石造明神鳥居。

 

境内に入ると、参道左手に当社の名物(?)である「縁切り縁結びの碑」が鎮座しています。この石碑の内部をくぐって札を張ることで、縁切りや縁結びの祈願ができるとのこと。

案内板によると石碑の上部には亀裂があるらしいですが、参拝者の貼った札が分厚く層をなし、石碑の表面がまったく見えません。

なお、当社が縁切り神社とされるのは、主祭神の崇徳天皇が讃岐に配流された際、俗世への未練を断ち切って金刀比羅宮(香川県琴平町)にこもったという伝説に由来するようです。縁結びについての由来は不明。

 

境内の中心部には拝所があります。公式サイトには「拝殿」と書かれていました。

切妻(妻入)、銅板葺。

床はなく、内部を土足で通過できます。

 

妻飾りは豕扠首。

破風板の拝みには、鰭付きの蕪懸魚が下がっています。鰭は雲の意匠。

 

拝殿

拝所の先には、拝殿と本殿覆い屋が一体化した社殿があります。公式サイトには「本殿」と書かれていました。

祭神は、崇徳天皇、大物主神、源頼政。

拝殿部分は、入母屋(妻入)、向拝1間 向唐破風、銅板葺。

 

向かって右の向拝柱。

柱は几帳面取り角柱。正面と側面に木鼻が付き、柱上は出三斗。

向拝内部には格天井が張られています。

 

向拝は軒先を伸ばすのではなく、軒下の壁面から伸びた構造になっています。

 

右側面(北面)。

写真右は本殿の覆屋部分。内部に本殿が収められていると思われます。

覆屋は、入母屋、両側面及び背面庇付、銅板葺。

 

覆屋の破風。入母屋破風には木連格子が張られています。

鬼板には菊の彫刻。

破風板の金具には「金」の字があしらわれ、拝みには猪目懸魚が下がっています。

 

境内社

拝殿向かって右手(北側)には、安井天満宮が東面しています。

安井天満宮は、一間社流造、銅板葺。

 

向かって右の向拝柱。

几帳面取り角柱が使われ、柱上は連三斗。側面には彩色された象の木鼻があります。

 

虹梁は無地の材が使われ、中備えは蟇股。蟇股の彫刻は唐獅子。

 

母屋柱は円柱。頭貫に木鼻はありません。中備えもありません。

柱上は出三斗で、妻飾りは豕扠首。

 

母屋の正面の扉は、少し奥まった位置に設けられていました。

 

安井天満宮の裏手には、久志塚(櫛塚)と八大力尊社。

 

安井天満宮の向かいには、3棟の境内社が並んでいます。

左から、咡社、人丸社、秋葉社。

3棟とも、一間社流造、こけら葺。

 

境内の北側の参道にも鳥居があります。

左手前の社号標は「安井神社」。おそらく明治から戦前にかけての社号でしょう。

 

以上、安井金比羅宮でした。

(訪問日2023/02/24)