甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【愛荘町】金剛輪寺 前編(参道、二天門)

今回は滋賀県愛荘町の金剛輪寺(こんごうりんじ)について。

 

金剛輪寺は町東部の山際に鎮座する天台宗の寺院です。山号は松峯山。

別名は松尾寺。西明寺(甲良町)、百済寺(東近江市)とともに湖東三山のひとつ。

創建は寺伝によれば737年または741年で、聖武天皇の勅願を受けた行基によって開かれたといわれます。平安時代には円仁(慈覚大師)によって中興されたとのこと。鎌倉期には元寇の戦勝を祝い、本堂が造営されています。戦国期は織田氏による兵火をまぬがれたものの江戸以降は荒廃し、三重塔などの伽藍は戦後まで半壊したままの状態だったとのこと。

現在の金剛輪寺は広大な境内が残っており、往時の隆盛を偲ばせます。伽藍は室町期の造営と考えられる本堂が国宝に指定されているほか、二天門や復元された三重塔が国重文に指定されています。

 

当記事ではアクセス情報および国重文の二天門について述べます。

本堂と三重塔については後編をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒529-1202滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺874(地図)
アクセス 愛知川駅から徒歩1.5時間
湖東三山スマートICから車で3分
駐車場 400台(無料)
営業時間 08:30-17:00
入場料 600円
寺務所 あり
公式サイト 天台宗 金剛輪寺
所要時間 1時間程度

 

境内

参道

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金剛輪寺の境内は西向き。めずらしい方角を向いています。

右手にある寺号標は「天台宗金剛輪寺」。門に吊るされている赤いちょうちんは「聖観音」。

境内入口には黒門。一間一戸、高麗門、切妻、桟瓦葺。

 

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後方から見た図。

高麗門形式のため、後方に柱を立てて切妻の屋根を設けています。

 

黒門の先には拝観受付があり、以降は有料の区画になります。拝観料は600円

拝観受付の向かいには愛荘町立歴史文化博物館があります。金剛輪寺の拝観とは別料金ですが、この日は特別に無料開放されていました。常設展示には寺宝や古瓦がありました。

 

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拝観受付を過ぎてまず現れるのは西谷堂と赤門。

西谷堂は宝形、桟瓦葺。

赤門は一間一戸、薬医門、切妻、桟瓦葺。通行はできません。

 

白門と庭園

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こちらは参道左手にそれた方向に南面して立つ、塔頭と思しき寺院の門。

白門という名称があるようで、様式は一間一戸、薬医門、切妻、桟瓦葺。

 

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前方の柱。

柱の上には男梁が渡され、その先端は木鼻のような繰形が彫られています。

柱の腰からは女梁が突き出し、大斗と実肘木を介して男梁を支えています。

さらに下では、唐獅子の彫刻が巻斗を介して女梁を受けています。

 

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内部後方。

こちらは装飾的な意匠はあまりなく、柱の上部から拳鼻が出ているくらいです。

妻飾りは笈形付き大瓶束。

 

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白門の先にはこのような切妻の小さな門があり、ここをくぐると庭園に入れます。

 

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あいにく私には解説できるほどの知識がないため、庭園は写真のみ掲載。

安土桃山から江戸初期、江戸中期と3つの時代の庭園に分かれており、池泉回遊式庭園なる様式とのこと。国指定名勝。

知識のある人が見れば時代ごとの技法や作風の変遷を楽しめるはず。

 

地蔵堂

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庭園からいったん参道に戻り、少し進んで右手へそれると地蔵堂があります。

宝形、銅板葺。1997年建立。

 

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柱は円柱。軸部は長押で固定されています。

柱間は桟唐戸、蔀、連子窓が使われ、和様禅宗様の折衷といった趣。

柱上は出三斗、中備えは間斗束。軒裏は二軒繁垂木。

 

二天門

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石地蔵が立ち並ぶ参道を数百メートルほど登ると、二天門が鎮座しています。

三間一戸、八脚門、入母屋、檜皮葺。

室町時代の造営と考えられています国指定重要文化財

 

もとは2階がある楼門だったようですが、何らかの事情で上層を喪失し、現在の単層の姿となっています。似たような経緯を持つ門は開善寺山門(長野県飯田市)など全国にいくつかあります。

解説は下記のとおり。

 当初楼門であったが後世に上層を失い、腰組斗栱(組物)の残存肘木先に桁を廻して仮屋根を作ったものである。

 礎石はすべて自然石を用い、軸部、斗栱とも和様で、それらの形式から見て室町時代の建築と考えられる。柱間は中央間と脇間が二対一の割合で、両脇間に金剛柵を設け、向かって右に増長天、左に持国天をまつる。斗栱間には間斗束を配し、繋虹梁上には板蟇股をのせている。

 上層を失っているので建立時の様式は不明であるが、下層の状況から見て当時の普遍的な様式をもった楼門であったと思われる。中世の寺観を保存する意味でも重要な遺構である。

愛荘町教育委員会

 

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柱はいずれも円柱。

柱上の組物は出組で、縁側の床下を受けるような梁を持ち出しています。

軒裏は一重のまばら垂木で、簡素な造り。

 

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右側面(南面)。

柱間には貫が通され、長押は使われていません。壁面はしっくい塗り。

組物や中備えは正面と同様。

 

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内部には棹縁天井が張られています。

柱間には梁が渡され、中備えには板蟇股。

 

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入母屋破風の拝みには梅鉢懸魚。

破風内部には木連格子が張られています。

 

参道と二天門については以上。

後編では国宝の本堂と国重文の三重塔について述べます。