甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【野洲市】生和神社

今回は滋賀県野洲市の生和神社(いくわ-)について。

 

生和神社は市東部の住宅地に鎮座しています。

創建は不明。社伝によれば、1009年(寛弘六年)に領主となった藤原忠重(藤原鎌足の孫にあたる)が当地を開拓して大蛇を退治し、その後生和大明神として祀られるようになったのが始まりとのこと。戦国期には織田信長によって社地の大部分を没収されています。

境内では2つの本殿が国重文に指定されており、生和神社本殿は室町期、境内社の春日神社本殿は鎌倉期の造営とされています。

 

現地情報

所在地 〒520-2352滋賀県野洲市冨波乙631-1(地図)
アクセス 野洲駅から徒歩20分
栗東ICまたは竜王ICから車で20分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 10分程度

 

境内

参道

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生和神社の境内は南西向き。住宅地の生活道路に面しています。

鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「正一位生和大明神」。

 

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参道右手には手水舎。

切妻、桟瓦葺。

 

拝殿

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拝殿は入母屋(妻入)、桟瓦葺。

神楽殿のような外観をした拝殿は滋賀県に多いですが、この拝殿は柱間に建具があり、吹き放ちではありません。

 

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母屋の周りには切目縁が4面にまわされ、縁束を上へのばして軒先を支えています。野洲市はほとんど積雪しない土地だと思うのですが、なぜこのような支えがあるのかは不明。

似たような例は、私の知っている範囲だと盛蓮寺観音堂(長野県大町市)や松苧神社本殿(新潟県十日町市)があり、両者とも国内有数の豪雪地帯です。

 

中門と透かし塀

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拝殿の後方には、中門と透かし塀に囲われた本殿が鎮座しています。

中門は唐門(妻入)、檜皮葺。透かし塀の屋根は銅板葺。

 

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中門の柱は角面取りされた角柱。上端が絞られています。

柱の上には台輪が渡され、禅宗様の木鼻が設けられています。

柱上の組物は出三斗。中備えは蟇股。

妻虹梁の上には束が立てられ、花肘木を介して棟を受けています。

唐破風からは兎毛通が下がっています。

 

木鼻、組物、蟇股、花肘木、兎毛通は断面が白く塗り分けられていて、ここは江戸期の作風に見えます。

 

本殿

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生和神社本殿は一間社流造、檜皮葺。

祭神は藤原忠重。

 

造営年は不明ですが、室町前期(南北朝時代)と考えられているようです。国指定重要文化財

詳細は下記のとおり。

 本殿は蟇股、花肘木及び格狭間などの意匠が、近在の大笹原神社本殿(応永二十一=1414)よりやや古式なため、南北朝時代の建立と考えられる。

 建物は昭和三十八年、第二室戸台風の災害復旧工事に際し、向拝頭貫、母屋正面の腰長押と鴨居うえ竹の節欄間及び背面の切目縁などが復旧整備された。

滋賀県教育委員会

 

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向拝柱は角柱。古いものなので、面取りの幅が大きく取られています。

柱上の組物は連三斗。実肘木を介さず直接軒桁を受けています。連三斗の下部では、向拝柱から横に出た斗栱によって持ち送りされています。

向拝柱と母屋をつなぐ懸架材は、まっすぐな梁が使われています。

 

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虹梁は無地の材が使われています。虹梁というよりはただの頭貫です。

虹梁中備えは蟇股。はらわたに彫刻がありますが題材不明。作風は案内板にあるように室町期のものに見えます。

 

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前方には角材の階段が7段。横幅が広くゆったりした印象。

昇高欄の柱は擬宝珠付き。階段の下には浜床。

 

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母屋柱は円柱。

軸部は貫と長押で固定されています。頭貫に木鼻はなく、そのかわりに斗栱が出て上部の組物を持ち送りしています。

柱上の組物は連三斗。母屋の外に突き出して桁を受けています。

中備えは蟇股。遠目で見ることしかできないため、題材や作風は判然としません。

影になってしまって見えないですが、妻飾りは豕扠首が使われていました。

 

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全体図。

縁側は切目縁。脇障子が立っていますが、背面側にも縁側がまわされています。欄干は跳高欄。

破風板の拝みと桁隠しには蕪懸魚。

屋根は流造のため、破風がみごとな「へ」の字を描いています。純粋で混じり気のない流造で、箕甲の曲面も美しいと思います。

 

境内社

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生和神社本殿の右手(東側)には末社の春日神社本殿が鎮座しています。

一間社流造、檜皮葺。

造営年は不明で、鎌倉時代の建立と考えられているようです。国指定重要文化財

年代推定および意匠解説は下記のとおり。私の素人解説は無用なので省略。

 この建物は、建立に関する記録はないが、その様式から鎌倉時代の建立と考えられる。建立後の修理の変遷も不明だが、向拝の水引虹梁の絵様と蟇股の形状は、明らかに江戸時代以降に取り替えられたことを示している。

 本殿は規模の小さな一間社流造で、身舎を円柱、向拝柱を角柱とし、一連の土台に立てる。身舎の組物は舟肘木、向拝は連三斗とし、妻飾りは豕扠首を組む。内部は幣軸板扉構えで内外陣に区画し、外陣を内陣より広くする。外陣は内法長押上に連子の欄間を入れ、格天井を張る。

 この建物は、向拝の虹梁と蟇股が変えられているのは惜しまれるが、舟肘木や向拝の手挟などに鎌倉時代の様式を見て取れる。小規模な一間社流造本殿の基本的な姿を示す建物である。

滋賀県教育委員会

 

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本殿の左手には日吉神社本殿。

一間社流造、見世棚造、檜皮葺。

 

以上、生和神社でした。

(訪問日2021/03/12)