甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【茅野市】御座石神社と福寿院

今回は長野県茅野市の御座石神社と福寿院について。

 

御座石神社

所在地:〒391-0003長野県茅野市本町東15(地図)

 

御座石神社(ございし-)は国道152号沿線の住宅地に鎮座しています。

創建は不明。諏訪大社上社の境外摂社のひとつ。

 

境内

御座石神社の境内は南向き。境内の裏手には幹線の国道が通り、車通りが激しいです。

入口には石造の明神鳥居。

右の社号標は「邨社 御坐石神社」。

 

二の鳥居は丸太で作られた明神鳥居。

中央の札は「御座石神社」。

当社は諏訪大社上社の摂社で御柱祭もありますが、曳いてきた柱を使って鳥居を組むようです。

 

拝殿は、入母屋、向拝1間 切妻(妻入)、鉄板葺。

 

向拝。

破風板の拝みには鰭付きの懸魚が下がっています。

 

向拝柱は几帳面取り。

側面には象鼻。

柱上は出三斗。

 

虹梁の中備えは蟇股。

四根の諏訪梶が彫られています。これは諏訪大社上社の紋。

 

拝殿の後方はこのようになっていました。

おそらく本殿は内部に収められているのでしょう。

祭神はヌナカワ。タケミナカタ(諏訪大社の主祭神)の母です。

 

拝殿の手前には「穂掛石」(ほかけいし)。

これが社名にある「御座石」かと思いきや、ちがうようです。

写真右の案内板には“矢ヶ崎村七石”(矢ヶ崎村は現在の茅野市本町のこと)なる奇岩群の解説がありますが、そこに御座石はなく、文末に付記されているだけでした。

 

境内を見て回っていると、以前(3年前の訪問時)にはなかったと思われる案内板を見つけました。

右下のイラストは、祭神のヌナカワが鹿にまたがって越後から来たという伝説にちなんだもの。

そしてよく見ると、拝殿の手前に「御座石」とあります。

 

こちらが拝殿の前にある「御座石」。

ヌナカワが当地に到着したとき腰かけた石で、石のくぼみは鹿の足跡と言われているとのこと。

 

以前来たときはこの石が本当に御座石なのかいまひとつ確信が持てなかったのですが、新しい案内板のおかげで疑問がとけました。

 

境内の南には酒蔵があります。

軒先には杉玉が吊るされ、妻壁には「酒」と書かれています。

 

案内板(御座石神社の設置)によると“日本で唯一神社内にて濁酒を醸造する”らしいです。『諏訪大明神絵詞』には濁酒祭の別名である「矢崎(やがさき)神事」の項があり、1238年(嘉禎四年)からつづいているとのこと。

醸造された濁酒(どぶろく)は、例大祭で神前にそなえたのち、氏子連にふるまわれます。案内板の記述や写真には酒宴の様子が掲載されていて、当地区の住人や氏子連にとって楽しみな行事であることが伝わってきます。

 

境内の東端には八櫛社(やくししゃ)。

境内の外を向くように東面していて、浄土の方角にあわせたようです。

神仏習合の時代のなごりで薬師如来が祀られています。明治の廃仏毀釈で破却の危機に瀕し、当地の住人が奔走して「八櫛社」と改称したことで難を逃れたとのこと。

 

以上、御座石神社でした。

 

福寿院(福壽院)

所在地:〒391-0003長野県茅野市本町西17-20(地図)

公式 :曹洞宗 齢松山福壽院

 

福寿院(ふくじゅいん)は茅野市街に鎮座する曹洞宗の寺院です。山号は齢松山。

創建は不明。諏訪高島藩の家老・諏訪頼雄により中興されました。当初は古屋敷という場所にあり、17世紀中ごろに現在地へ移転したようです。

 

境内

福寿院の境内は南向き。

道路に面した参道は、桜並木になっています。

 

三門は、三間一戸、楼門、入母屋、銅板葺。

1853年(嘉永六年)造営(『諏訪の社寺と名工たち』より)。

棟梁は大隅流の矢崎林之亟照恭(3代目矢崎善司)と石田房之進。3代目矢崎善司は同市米沢の瀬神社本殿を造営した人物。

 

三間一戸の門ですが、前面は中間の柱を省略して1間としています。

 

柱は円柱。

正面の虹梁には唐草が彫られています。

柱には曲線状の持ち送り板がつけられ、上層の縁側を受けています。

 

側面には壁板がなく、吹き放ち。

 

上層。扁額は山号「齢松山」。

禅宗寺院なので鐘楼門かと思いましたが、内部に梵鐘はありませんでした。

上層も円柱が使われ、すべての柱間が解放されています。

 

軸部は貫と長押で固定され、木鼻はありません。

柱上には台輪がまわされています。組物は出三斗と平三斗。

 

軒裏は二軒繁垂木。

入母屋破風の内部はまばらな格子が張られています。

 

本堂は、入母屋、向拝1間、鉄板葺。

公式サイトによると1810年(文化七年)造営。

本尊は釈迦三尊。

 

向拝柱は几帳面取り。側面には見返り唐獅子の木鼻。

虹梁の上から前面に木鼻が突き出ています。風変わりなおもしろい技法です。

海老虹梁の陰になってしまいましたが、母屋の扁額は院号「福壽院」。

 

本堂向かって左手には阿菊稲荷(おきくいなり)。

社殿は、入母屋、向拝1間 軒唐破風付、鉄板葺。

諏訪地域では著名な稲荷のようです。

 

公道に出て境内の裏手へまわり込むと、仏塔のような建物があります。

公式サイトによると、下層は座禅道場、上層は位牌堂として使われているとのこと。

境内裏の国道からもよく目立ち、国道は渋滞しがちで流れが遅いため、独特な見た目も相まって記憶に残る建物かと思います。

 

以上、福寿院でした。

(訪問日2019/03/23,2022/06/15)