今回は岩手県盛岡市の聖寿寺(しょうじゅじ)と榊山稲荷神社(さかきやま いなり-)について。
聖寿寺(聖壽寺/聖寿禅寺)
所在地:〒020-0061岩手県盛岡市北山2-12-15(地図)
公式 :聖壽寺公式ホームページ
聖寿寺(しょうじゅじ)は市北部の住宅地に鎮座する臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は大光山。
報恩寺などとならぶ、盛岡五山のひとつ。
創建年は不明。鎌倉後期から南北朝時代にかけての禅僧・孤峰覚明(三光国師)が三戸郡小向村(現在の青森県南部町)に開いたのがはじまりとされます。その後は衰退したようですが、南部信直によって中興され、江戸初期に現在地に移転しました。明治時代には衰退・荒廃しましたが、戦後に再興されています。
境内
聖寿寺の境内は南西向き。
境内は、盛岡市街の北側にある北山地区の山際にあります。北山という地名は京都に倣って名付けられたようです。
本堂は、八角円堂、銅板葺。
1959年造営。八角円堂というめずらしい様式で、法隆寺夢殿を模して造られたとのこと*1。
堂内には安土桃山時代に作られた「マリア観音像」なるものがあるらしく、市指定有形文化財となっています。
本堂の西側には、千体地蔵堂(旧五重塔)が東向きに建っています。
桁行3間・梁間3間、宝形、鉄板葺。
1809年(文化六年)造営。1922年(大正十一年)改築。
盛岡藩の加増を祝って、11代藩主・南部利敬の寄進で造営されたもの。当初は五重塔で、高さは約30メートルあったようです*2。
しかし明治時代、聖寿寺は藩の庇護を失って衰退し、さらに廃仏毀釈のあおりを受けて建造物や寺宝が破却・売却されました。五重塔が上層から解体されて行く中、医学者の八角高遠(やすみ たかとう)が私財を投じて買い取った結果、塔の初重(1階部分)だけは辛くも破却を免れました。
大正時代の改築で現在の姿となり、堂内に地蔵が祀られたとのこと*3。
柱間は正面側面ともに3間。
中央の柱間は桟唐戸、左右は連子窓が使われています。
柱は円柱。軸部は長押が多用され、頭貫木鼻はありません。
組物は尾垂木三手先。中備えは蟇股。
軒裏は二軒繁垂木。
右側面(北面)。
正面と同様の造り。
後方の山から見た図。
解体中だった五重塔を改修したものなので、屋根の造形や意匠に特筆するほどのものはありません。
文化財指定もとくにないようですが、廃仏毀釈という負の歴史を語り伝える遺産として、価値があると思います。
千体地蔵堂の裏の階段を昇った先には、南部家の墓所があります。
初代・南部光行*4をはじめ、おもに30~45代当主の墓が点在しています。
以上、聖寿寺でした。
榊山稲荷神社(もりおかかいうん神社)
所在地:〒020-0061岩手県盛岡市北山2-12-12(地図)
公式 :もりおかかいうん神社
榊山稲荷神社(さかきやま いなり-)は聖寿寺に隣接して鎮座しています。
創建は1597年(慶長二年)で、盛岡城内に祀られていたようです。1871年(明治四年)に廃祠となり、1930年(昭和五年)に現在地に再興されました。
境内
榊山稲荷神社の境内は南西向き。前述の聖寿寺のとなりに入口があります。
入口には切妻(妻入)の門。垂れ幕には武田菱に似た紋が描かれています。
一の鳥居は赤い明神鳥居。
二の鳥居は神明鳥居。
参道を進むと池があり、屋根のついた橋がかけられています。
拝殿の手前には手水舎。
切妻、鉄板葺。
大棟には千木と鰹木が乗り、神明造を意識したような造り。
柱は角柱。
木鼻は羽のような独特な形状のもの。
拝殿は、入母屋、向拝1間、桟瓦葺。
向拝の中備えには、竜の彫刻が配されています。
幕で隠れてしまっていますが、向拝柱は几帳面取り角柱。組物は出三斗。
側面の破風。内部は木連格子。
破風板の拝みには鶴の彫刻。
拝殿の後方には、本殿の覆い屋と思しき社殿。
祭神はウカノミタマ。
以上、榊山稲荷神社でした。
(訪問日2022/04/17)