今回も京都府京都市の八坂神社について。
当記事では本殿について述べます。
本殿
舞殿の先には、巨大な本殿が鎮座しています。
祭神はスサノオ(牛頭天王)、稲田姫(頗梨采女)、八柱御子神(八王子神)。
桁行7間・梁間6間、入母屋、向拝3間、左右両側面および背面庇付、背面3間突出部付、檜皮葺。
1654年(承応三年)再建。「八坂神社本殿」として国宝に指定されています*1。
桁行7間・梁間6間は、神社本殿として異例といえる規模の大きさです。
内部は、拝殿に相当する礼堂部分と、他社の本殿に相当する神座の部分に分かれており、その2つを巨大な入母屋の屋根で覆った構造になっているようです。寺院建築の双堂(ならびどう)に似た形式ですが、それを神社建築で採用するのは異例といえます。この構造は祇園造(ぎおんづくり)とも八坂造(やさかづくり)とも呼ばれ、ほかに例のない独自の建築様式です。
現在の本殿は江戸前期の再建ですが、この建築様式は遅くとも平安後期には確立されており、祇園造・八坂造は入母屋の神社本殿として最古の形式であると考えられます*2*3。
拝殿と本殿が一体化した祇園造・八坂造は、寺院建築の双堂*4や、同じ平安時代に成立した権現造(北野天満宮)、そして中世の密教本堂との関連性も考えられ、この本殿は寺社建築の発展の過程を考えるうえできわめて興味深い遺構だと思います。
正面の向拝は3間。
文化財保護のためなのか、柱には透明なシートがかぶせられています。
中央の柱間。
しめ縄のかかった虹梁の上には蟇股があります。蟇股の彫刻は竜で、安土桃山風の彩色。
向かって左の柱間。
虹梁中備えの彫刻は、肝心の顔の部分が隠れてしまいましたが白虎です。
向拝柱は角面取り。側面には獏の木鼻。
柱上の組物は連三斗。獏の頭に巻斗が乗り、持ち送りされています。
向拝柱の組物の上の手挟。紅白の牡丹が籠彫りされています。
向拝と母屋をつなぐ梁はありません。
向拝の縋破風。
桁隠しは猪目懸魚。懸魚の鰭は若葉の意匠で、緑色に彩色されています。
母屋の正面は7間。
中央の5間は板張りの高床で、左右の各1間は庇の空間となっているようです。
中央の5間。
柱は円柱で、柱間は蔀戸。
前面には縁側が設けられています。欄干は跳高欄ですが、親柱に擬宝珠がついている個所もあります。
柱は円柱。柱上の組物は出三斗。
頭貫に木鼻はありません。
柱間の頭貫の上の中備えは間斗束。
欄間の壁面は白壁です。
左側面(西面)の軒下。
側面は6間。後方の4間は屋根の軒下から片流れの庇(孫庇)が出て、縁側も設けられています。
縁側は切目縁で、跳高欄が立てられています。
柱間には、格子状の引き戸が立てつけられています。
孫庇の柱は面取り角柱。柱間には長押が打たれています。
柱上は舟肘木。木口が金具でカバーされています。
南側(正面側)の妻面。
母屋の柱(写真右)と孫庇の柱(左)のあいだには、虹梁がわたされています。虹梁の中央には束を立て、桁を受けています。
縋破風には飾り金具が付き、写真中央の金具には五弁の唐花の紋がついています。
孫庇の軒裏は、二軒まばら垂木。
側面の全体図と入母屋破風。
破風板の飾り金具には当社の神紋(唐花と三つ巴)がつき、拝みと桁隠しに猪目懸魚が下がっています。
妻飾りは豕扠首。
左後方(北西)から背面を見た図。
背面にも孫庇がありますが、こちらは孫庇の中央部(写真左奥)からさらに3間の庇(突出部)が出て、非常に複雑な構成となっています。
側面の孫庇と、背面の孫庇の取り合い部分。
隅木のような部材を使って、軒裏の直交部をさばいています。
背面孫庇の妻面(西面)。
西面の柱間には板戸が設けられています。
柱は面取り角柱。柱上は舟肘木。
背面の孫庇の軒裏は、一重まばら垂木。
背面中央の3間には、小さな突出部があります。
背面の柱間は連子窓。
突出部の足元は、保護のためか袴腰のような下見板がついています。
突出部の縋破風。背面孫庇の軒桁の位置から出ています。
軒裏の垂木は、孫庇のものより細いものが使われています。
背面孫庇を右側(東面)から見た図。
左右対称の構造です。
写真左端に見切れている透塀については、その3で後述します。
本殿正面向かって右側。
本殿はほぼ左右対称の構造をしていますが、右手前にはこのような切妻(妻入)の玄関がついています。
立札の影になってしまいましたが、玄関向かって右側の柱は面取り角柱でした。
妻面は、虹梁の上に板蟇股があります。
破風板の拝みには梅鉢懸魚。
本殿については以上。