甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【栗東市】大宝神社

今回は滋賀県栗東市の大宝神社(だいほう-)について。

 

大宝神社は栗東市の市街地に鎮座しています。

創建は社伝によると701年(大宝元年)で、疫病を鎮める神として崇敬されたようです。室町期には足利将軍家や佐々木氏の寄進を受けたようですが、安土桃山期には織田信長によって社領を没収されています。江戸期には渡辺氏によって寄進や社殿修理を受けています。

現在の境内は大宝公園に隣接し、境内には檜皮葺の社殿が多く鎮座しています。とくに境内社の追来神社本殿は鎌倉時代の造営で、国重文に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒520-3031滋賀県栗東市綣7-5-5(地図)
アクセス 栗東駅から徒歩10分
栗東ICから車で10分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 20分程度

 

境内

参道

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大宝神社の境内は南西向き。入口は北西向きで、生活道路に面しています。

鳥居は石造の明神鳥居。扁額はありません。

 

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参道左手には手水舎。

切妻、桟瓦葺。

 

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古いものではないと思いますが、木鼻や蟇股の意匠は古風。

木鼻は勾玉型の繰型が彫られた比較的シンプルなものですが、象鼻の原型を思わせるようなシルエット。

 

四脚門

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参道を進んだ先には四脚門。これ以降の社殿はいずれも南西向きです。

神門は一間一戸、四脚門、切妻、本瓦葺。

造営年は不明。各所の意匠から、江戸時代以降のものと思われます。

 

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前後の控柱は几帳面取り角柱。上端が絞られています。

前方には拳鼻。

 

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主柱は円柱。

主柱と控柱は男梁でつながれ、その下部には主柱から出る女梁が添えられています。

 

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妻壁には妻虹梁がわたされ、その上には大瓶束が立てられています。大瓶束の両脇には笈形のような意匠。この辺りは比較的新式な構造だと思います。

 

拝殿

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拝殿は入母屋(妻入)、檜皮葺。

滋賀県内でよく見られる、神楽殿のような外観の拝殿。

 

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柱は角柱。柱上は舟肘木。

柱間は妙に節の多い板が使われています。

軒裏は二軒まばら垂木。

 

中門と本殿

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拝殿の後方には、中門と透かし塀に囲われた本殿が鎮座しています。

中門は一間一戸、切妻、檜皮葺。

 

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柱は大きく面取りされた角柱で、腕木で軒桁を持ち出すことで軒裏を受けています。

鈴の影になってしまっていますが、蟇股の上に平三斗が使われている点が風変わりに感じます。蟇股の上部はたいてい実肘木か巻斗だけを使い、平三斗は使われません。

 

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本殿は三間社流造、向拝3間、檜皮葺。

造営年は不明。各所の意匠もほとんど見えず、これでは年代推定もできません。

祭神はスサノオ。

 

三間社ですが母屋正面には扉が1つしかなく、ほかの柱間は板壁になっているのが特徴的。向拝は3間あり、向拝柱と軒桁のあいだには舟肘木が使われています。

ほか、側面などは板で覆われているため観察できません。

 

稲田姫神社

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大宝神社本殿の左側(西)には境内社・稲田姫神社。

一間社流造、檜皮葺。

棟札より1692年(永和元年)の造営

 

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向拝柱は角面取り。江戸期のものなので面取りの幅が小さいです。

後述する各所の意匠は室町後期から安土桃山期の作風なのですが、この柱の部分だけは江戸期の技法がはっきりと出ています。

 

柱上の組物は連三斗。側面に出た斗栱が連三斗の下部を持ち送りしています。

 

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虹梁中備えの蟇股。はらわたの中央には木瓜に似た花が彫刻され、織田木瓜のような装飾がついています。

この彫刻はかなり良い造形だと思いますが、江戸期にしては古風な印象。この蟇股だけ見たら、室町後期あたりの本殿と勘違いしてしまいそうです。

 

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向拝柱と母屋は、ゆるやかにカーブした海老虹梁でつながれています。

海老虹梁の向拝側は組物の上、母屋側は頭貫の高さに取りついています。

 

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母屋柱は円柱。

柱上の組物は連三斗。柱間の中備えは蓑束。

妻壁には無地の梁がわたされ、その上は豕扠首。

破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。

 

側面の造りは後述の追来神社本殿とよく似ています。

 

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軸部は長押と頭貫で固定。

側面は頭貫の高さから斗栱を突き出して組物を受けています。頭貫の背面側には小さな木鼻がついています。

この木鼻の使いかたは少し風変わりだと思います。

 

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縁側は切目縁が3面にまわされ、欄干は跳高欄。背面側は脇障子でふさがれています。縁の下は縁束。

母屋柱は背面床下も円柱に成形されていました。

 

追来神社本殿

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稲田姫神社の反対側、大宝神社本殿の右側(東)には境内社・追来神社本殿(おおき-)が鎮座しています。

一間社流造、檜皮葺。

棟札より1283年(弘安六年)の造営国指定重要文化財

 

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向拝柱は角面取り。鎌倉期にしては面取りの幅が小さめに見えます。

柱上の組物は連三斗。下部を斗栱で持ち送りしています。

 

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中備えは蟇股。

平面的かつ抽象的な造形で、蟇股彫刻が発展しはじめた過渡期の作風といった雰囲気。

 

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向拝柱と母屋はまっすぐな梁でつながれています。

母屋の正面の扉の上には蟇股。先述の向拝蟇股とほぼ同じ意匠です。

 

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母屋柱は円柱。

柱上の組物は連三斗で、頭貫の高さから出た斗栱によって持ち送りされています。柱間の中備えは蓑束。

妻壁は無地の梁と豕扠首。

 

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縁側は切目縁が3面にまわされ、欄干は跳高欄。背面側は脇障子。縁の下は縁束。

正面には角材の階段が5段。昇高欄の親柱は擬宝珠付き。階段の下には浜床。

母屋柱は背面や床下も円柱に成形されています。

 

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破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。

大棟には瓦が使われています。

 

以上、大宝神社でした。

(訪問日2021/03/12)