今回は愛知県名古屋市の富部神社(とべ-)について。
富部神社は南区の住宅地に鎮座しています。
創建は1608年(慶長八年)。由来は諸説あり、スサノオを祭った祠を当地に移転した説と、津島神社から牛頭天王を勧請した説があります。清須城主・松平忠吉の帰依を受け、1611年に社殿が建立されたとのこと。
境内の社殿は当地に特有の尾張造という配置になっており、中枢である本殿は建立当初のもので国重文に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒457-0014愛知県名古屋市南区呼続4-13-38(地図) |
アクセス | 名鉄本線 桜駅から徒歩5分 名古屋高速 呼続出入口から車で5分 |
駐車場 | 3台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 国重要文化財 | 名古屋市南区 | 富部神社 |
所要時間 | 10分程度 |
境内
鳥居と境内社
富部神社の境内は南向き。入口は住宅地の生活道路に面しています。
社号標は「郷社 式外 富部神社」。
鳥居は石造の明神鳥居。笠木に反りがついていないもの。扁額は「富部神社」。
向かって左にある、塀に囲われた境内社。社名は不明。
一間社流造、銅板葺。
中備えに竜の彫刻、母屋正面には桟唐戸があります。
向かって右にある覆い屋内部の境内社は金毘羅社。
一間社流造、こけら葺。
向拝柱の木鼻は象鼻。象の目と耳がうっすらと彫られています。平面的な象鼻から、立体的な象頭彫刻へ発展してゆく過渡期の意匠といった趣。
鳥居をくぐると参道左手に手水舎。
切妻、桟瓦葺。
祭文殿と回廊
参道の先には祭文殿と回廊があります。
中央が祭文殿(さいもんでん)で、拝殿・拝所にあたる社殿。左右は回廊になります。
祭文殿、回廊ともに市指定文化財。
文化財ナビ愛知によると本来は祭文殿の手前に拝殿があり、尾張造(おわりづくり)という当地に特有の社殿配置だったようです。しかし境内を見ても拝殿と思しき建物は見当たりません。
拝所の左右に回廊が伸びるだけの形式になっているので、長野県に住む私には諏訪大社の様式である諏訪造(すわづくり)に見えます。
祭文殿は切妻、銅板葺。
垂れ幕の紋は織田木瓜。
回廊は桁行4間・梁間2間、切妻、銅板葺。
諏訪造の片拝殿を簡略化したような造り。
写真は向かって左側の回廊。向かって右側の回廊は、こちらの回廊を左右反転させた構造でした。
木鼻は拳鼻、柱上には出三斗。
長押の釘隠しは花菱の紋のような意匠になっています。
妻飾りには、角柱の束が立てられているだけでした。
軒裏は一重まばら垂木。破風板に懸魚はありません。
本殿
祭文殿と回廊の奥には塀に囲われた本殿が鎮座しています。赤を基調とした配色で、弁柄漆塗りとのこと。
桁行正面1間・背面3間・梁間2間、一間社流造、向拝1間、檜皮葺。
棟札より1606年(慶長十一年)建立。国指定重要文化財。
祭神はスサノオ、宗像三女神(タキリビメ、イチキシマヒメ、タギツヒメ)、ククリヒメ。
また、境内案内板によると津島神社(津島市)祭神の牛頭天皇の眷属といわれる蛇毒気神なるものも祀られ、スサノオと習合して同一視されるようになったとのこと。
向拝柱は角面取り。柱上は連三斗。
向拝柱の側面には拳鼻が付き、巻斗を介して連三斗を持ち送りしています。
虹梁は無地。中備えには蟇股。はらわたには牡丹らしき花が描かれているのですが、手前の鉄柱とかぶってしまってよく見えず。
向拝柱と母屋をつなぐ懸架材(海老虹梁など)はありません。
正面には角材の階段が7段。階段の下の欄干は、擬宝珠のついた親柱が4本も立てられています。
縁側はくれ縁が3面にまわされています。欄干は跳高欄。床下は縁束。
母屋柱は円柱で、頭貫木鼻は拳鼻。
組物は出三斗と平三斗。
母屋正面は紫の幕がかかっていて詳細が見えませんが、正面1間なのでこの社殿は一間社。柱間にも組物が配置されており、正面だけ中間の柱をとばした構造になっているようです。
妻飾りは見づらいですが豕扠首です。
破風板の拝みと桁隠しには蕪懸魚。向拝の桁隠しの懸魚には鰭がついています。
軒裏から縁の下まで真っ赤な本殿ですが、脇障子の羽目は彩色されています。その下の板(蹴込板というようです)も彩色されていますが、欄干の陰になってよく見えず。
脇障子の絵の題材は松に鶴。
立体的な彫刻はほとんどなく、鮮やかな彩色の入った部材で各所を飾るのが安土桃山から江戸初期にかけての寺社建築の特色。
反対側の脇障子や背面の意匠も見たかったのですが、立入禁止の区画だったり塀に阻まれたりで観察できず。
案内板に蟇股や脇障子の絵が載っていたので、掲載しておきます。
以上、富部神社でした。
(訪問日2021/02/22)