今回は長野県長野市の宮王神社と蓮台寺について。
宮王神社
所在地:〒381-0101長野県長野市若穂綿内3424(地図)
宮王神社(みやおう-)は市南東部の山新田集落に鎮座しています。
創建は737(天平九)とされ、もとは『延喜式』の越智神社に比定される小内神社の社地だったようです。現在の宮王神社はその跡地に諏訪神を祀って氏神としたもの。境内は拝殿と奥殿のみのシンプルな内容です。
境内
宮王神社の境内は南西向き。
鳥居は木製の両部鳥居。柱に転びがつき、前後の控柱には切妻の屋根がついています。扁額は「宮王神社」。
拝殿は入母屋(平入)、銅板葺。
造営年については案内板(宮王神社氏子中)に“現在の社殿は、寛政十一年(1799)正月と、慶応元年(1865)十二月に再建がなされたものである”とあります。「社殿」としか書かれていませんが、おそらくこの拝殿のことでしょう。
大棟には梶の葉の紋が描かれており、諏訪神社の系統であることがわかります。
拝殿は組物も使われておらず、非常に簡素。
軒裏は神社ではめずらしい扇垂木になっていました。
拝殿の後方には奥殿。
桁行正面1間・背面2間・梁間2間、一間社流造、向拝1間、銅板葺。
案内板によると“奥殿は、昭和三四年(1959)八月の、伊勢湾台風の直前に襲来した台風七号で、境内の大木の神木が倒れて倒壊したが、翌年にかけて再建がなされている”とのこと。
建築様式的には流造(ながれづくり)でしょう。しかし見世棚造でもないのに縁側がない例は初めて見たので困惑。
「本殿」と呼ぶには微妙な造りですが、案内板には「奥殿」と記載されています。
向拝柱は几帳面取り角柱。
虹梁は唐草が彫られ、中備えは竜の彫刻。木鼻は見返り唐獅子。
柱上の組物は皿付きの平三斗。正面側には拳鼻。
向拝柱と母屋は湾曲した海老虹梁でつながれ、向拝側は組物の高さに降りています。
母屋正面は二つ折りの桟唐戸。扁額は判読できず。
母屋柱は円柱で、軸部は長押と貫で固定。壁板は横方向。
母屋柱の組物は出三斗と平三斗。こちらも拳鼻が使われています。
妻飾りは単純な円柱の束。妻壁は縦板。
破風板の拝みには蕪懸魚。左右の鰭は波あるいは雲の意匠。
背面は柱間2間。
この奥殿を見て「もとあった縁側を撤去したのでは?」と予想したのですが、柱に貫の穴がないうえ、長押の位置や壁板の張りかたをみても当初からこの形態だった模様。
以上、宮王神社でした。
蓮台寺
所在地:〒381-0101長野県長野市若穂綿内4672(地図)
蓮台寺(れんだいじ)は山新田地区の入口に鎮座している真言宗智山派の寺院です。山号は越智山。
創建は寺伝によると733年(天平九)頃の開基。市内でも屈指の古刹のひとつです。平安期に隆盛したようですが、本堂など多数の伽藍を焼失して衰退しています。本尊の木造阿弥陀如来坐像は平安期から鎌倉期のもので、国重文に指定されていますが拝観はできません。
現在の伽藍は江戸後期に復興されたもので、境内には多数のアジサイが植えられているためアジサイ寺として知られています。
境内
蓮台寺の境内は東向き。
境内入口には仁王門。三間一戸の八脚門、切妻、本瓦葺。
1988年竣工。明治後期に失火のため焼失し、それから100年近い時を経て再建されています。
柱はいずれも角柱。角面取りの幅が大きく、古風。柱上の組物は出三斗。
無地の虹梁の中備えは蟇股。
頭貫の上の中備えには間斗束。
内部は格天井。
仁王門をくぐって500メートルほど進んだ先には鐘楼門。
平安期の蓮台寺は、仁王門と鐘楼門のあいだに多数の堂宇があったようですが度重なる火災に遭い、現在は住宅地になっています。
鐘楼門は三間一戸の楼門、入母屋、桟瓦葺。
1813年建立。
下層は正面の柱を飛ばしており、1間になっています。
下層の柱は几帳面取りの角柱。
前方に細い無地の梁、後方に虹梁を渡しており、前後が非対称の構造をしています。
柱上には大斗が置かれ、巻斗を介さずに実肘木が直接桁を受けています。
上層の柱は円柱で、上端が絞られています。
柱間に建具はなく、前後左右いずれも吹き放ち。
柱上には台輪がまわされ、組物は出三斗と平三斗。中備えはありません。
軒裏は一重のまばら垂木。
アジサイの茂った参道を進むと本堂があります。
本堂は寄棟(平入)、向拝1間、鉄板葺。
案内板(設置者不明)によると“宝永末年(1704~1710)”の建立。
本尊は阿弥陀如来。もとは九品仏だったようですが平安期に1体を残して焼失し、焼失した8体は江戸期に新しく造立したとのこと。残った1体である木造阿弥陀如来立像は国重文のようです。
本堂についてはとくに目立つ意匠もなく、シンプルな外観。
屋根は茅葺の上に鉄板を葺いたものと思われます。また、大棟は箱棟になっています。
以上、蓮台寺でした。
(訪問日2020/08/11)