今回は長野県諏訪市の教念寺と貞松院について。
教念寺
所在地:〒392-0024長野県諏訪市小和田6-4(地図)
教念寺(きょうねんじ)は諏訪市街に鎮座する浄土宗の寺院です。山号は源海山。
創建は室町期の永正年間と伝えられています。寺宝として国重文の絹本著色羅漢像を所有していますが、拝観はできません。境内伽藍は本堂のほか、楼門(山門)があります。
境内
教念寺の境内は西向き。国道20号線と並行する裏路地に面しており、八剱神社とほぼ隣接しています。
山門は三間一戸の楼門、桁行3間・梁間1間、入母屋、銅板葺。
明治時代の造営のようです。
中央の通路の部分には虹梁がわたされ、中備えは蟇股。蟇股は波の意匠。
左右の柱間は低いところに虹梁がわたされ、上部には頭貫が通っています。頭貫の木鼻は象鼻。
柱上では出三斗が上層の床下の桁を受けています。
内部。写真右が正面になります。
柱は円柱が使われているのですが、写真中央の柱だけは角柱が使われています。
上層。扁額は山号「源海山」。
中央の柱間は二つ折れの桟唐戸。左右は連子窓。
柱の上部には頭貫が通り、その上に台輪がまわされています。頭貫の木鼻は拳鼻。
組物は出組で、持ち出された桁の下の板支輪には波状の彫刻が見えます。
軒裏は二軒の繁垂木。
山門の先には本堂。入母屋(平入)、向拝3間、銅瓦葺。
江戸後期の造営のようです。本尊は阿弥陀如来。
向拝柱は几帳面取り角柱。柱上には出三斗、木鼻は拳鼻。
中央の柱間が若干広くなっており、虹梁中備えには蟇股が置かれています。
母屋の扁額は寺号「教念寺」。
写真ではわかりにくいですが、屋根瓦には「教」の字が書かれています。
本堂の右手には経蔵。宝形、向拝1間、銅板葺。
木鼻や組物が本堂のものと似ているので、同年代の造営ではないでしょうか。
鐘楼は切妻、銅板葺。
柱上には台輪がまわされ、木鼻は拳鼻、中備えは蟇股。
こちらも本堂と似た意匠が使われています。
以上、教念寺でした。
貞松院
所在地:〒392-0004長野県諏訪市諏訪2-16-21(地図)
公式サイト:貞松院
貞松院(ていしょういん)は諏訪市街に鎮座する浄土宗の寺院です。山号は迎冬山、寺号は月仙寺。
創建は1593年(文禄二年)。院号「貞松院」は諏訪高島藩初代藩主・諏訪頼水の夫人の戒名で、もとは慈雲院と称していたようです。境内には貞松院の墓があるだけでなく、徳川家康六男・松平忠輝の墓もあり諏訪市史跡に指定されています。
境内
貞松院の境内は南向きですが、山門は北を向いています。
山門は一間一戸の薬医門、切妻、桟瓦葺。
柱はC面取りされた角柱で、正面側へ大きく突き出た梁が桁を受けています。梁の先端は拳鼻の意匠になっています。
扁額は山号「迎冬山」。
背面。こちら側も梁の端は拳鼻になっています。
梁の木鼻は象鼻。
妻飾りには大瓶束が立てられています。
本堂は入母屋(平入)、向拝1間、銅瓦葺。
1935年再建。本尊は阿弥陀如来。
大棟には三つ葉葵の紋が描かれています。
向拝柱は几帳面取り角柱。
虹梁は松が浮き彫りになっており、両端には見返り唐獅子。中備えは竜の彫刻。
母屋の扁額は院号「貞松院」。
本堂の左手から墓地へ入ると、奥に「貞松院御墓所」があります。
貞松院は本多康重の息女で、生年不明、1645年没。1583年に諏訪頼水の夫人となり、幕末までつづく諏訪高島藩諏訪氏の礎になったとのこと。
当寺院は貞松院の子である二代目・諏訪忠恒によって整備されたようです。
本堂の右手にはこのような唐門があり、この奥に松平忠輝の墓があるのですが、門は通行できないので寺務所を迂回してゆくことになります。
こちらの唐門も、木鼻や腰羽目に見どころのある彫刻が多く使われています。
境内の最奥部へすすむと松平忠輝の墓が杉の木の下に立っています。
松平忠輝(1592-1683)は徳川家康の六男。
理由は不明ですが父から嫌われていたようで、越後高田(上越市)の藩主になるも改易されたり、父の死に際しても面会を拒否されたりと不遇な生涯を送っています。
改易後、35歳のとき諏訪高島藩の預かりになり、以降の生涯を諏訪で過ごします。当地では厚遇されていたようで、文人と交流したり諏訪湖で泳いだりと意外に自由な余生を送り、数え93歳の天寿を全うしています。
以上、貞松院でした。
(訪問日2020/11/16)