今回は愛知県岡崎市の信光明寺(しんこうみょうじ)と岩津天満宮(いわづ てんまんぐう)について。
信光明寺
信光明寺(しんこうみょうじ)は岡崎市北部の住宅地に鎮座している浄土宗の寺院です。山号は弥勒山。
創建は1451年で、松平信光(徳川家の祖先)の発願によって開山されました。戦国期には北条早雲らの侵攻を受けましたが、その後は徳川家から篤く庇護されたようです。境内には室町中期の観音堂が現存しており、国重文に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒444-2144愛知県岡崎市岩津町東山47(地図) |
アクセス | 大門駅から徒歩50分 豊田東ICから車で10分 |
駐車場 | なし(岩津天満宮に無料駐車場あり) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 15分程度 |
境内
信光明寺の境内は南西向き。
写真の山門は保育園の門を兼ねているため、参拝者は山門をよけて保育園を迂回することになります。
奥には総門が見えますが、こちらも保育園の敷地にあるため正面から見ることができません。
本堂は切妻、向拝1間、桟瓦葺。
本尊は阿弥陀如来。
本堂の左手には観音堂が南東向きに鎮座しています。石柱に書かれた「芭蕉天神」は後述の岩津天満宮の前身のようです。
観音堂は梁間3間・桁行3間、入母屋、こけら葺。
棟札より1478年(文明十年)の造営。国指定重要文化財。
正面中央の柱間は、両開きの桟唐戸。その左右は障子が張られた火灯窓になっています。両者とも禅宗様の意匠。
柱は円柱で、上端がすぼまった粽になっています。柱の上には台輪がわたされ、台輪と頭貫に木鼻がついています。ここも典型的な禅宗様です。
柱上の組物は尾垂木の突き出た二手先。柱間にも組物が配置されています(詰組)。組物で持ち出された桁の下には軒支輪。
側面には扉や窓がなく、壁板が横方向に張られています。なお、禅宗様建築では壁板を縦方向に張ることが多いです。
軒裏は二軒繁垂木。垂木は放射状に延び、軒の四隅が大きく反りかえっています。室町期らしい優美な軒です。
土台は石で覆われた基壇になっています。
正面の向拝や縁側を設けず、土間になっているのも禅宗様の特徴のひとつです。
入母屋破風の内部の妻飾りは、虹梁と大瓶束。大瓶束が棟を受けています。
破風板の拝みには懸魚。
内部の詳細については下記のとおり。禅宗様建築でよくある「方三間入母屋」の標準的な構造をしているようです。
(※前略)
内部は周囲一間通りを化粧屋根裏とし、入側斗組で囲われた身舎部分を鏡天井張りとし、後方の入側柱と前方の側柱上斗組との間に大虹梁をかけ、前の入側通りに大瓶束を立てている。
この堂は、中国から禅宗が伝来すると同時に日本に輸入された禅宗仏殿という建築様式でつくられており、本市にとって、日本建築の歴史の重要な一端を担った建築様式の実例が残されている点で貴重な建築物といえる。
岡崎市教育委員会
以上、信光明寺でした。
岩津天満宮
所在地:〒444-2144愛知県岡崎市岩津町東山53(地図)
岩津天満宮(いわづ てんまんぐう)は信光明寺のある住宅地に鎮座しています。
創建は江戸中期で、信光明寺の住職が鎌倉から天神を勧請したのが由来。明治期の神仏分離で寺から独立したようです。社殿は明治後期から昭和初期にかけてのもので、2011年に改修され真新しい外観となっています。
境内
岩津天満宮の境内は南向き。
入口には石造の明神鳥居と、川のない場所にかかる太鼓橋。
予定だとこの神社はスルーするつもりでいたのですが、信光明寺の駐車場が見つからず仕方なくここに駐車。「駐車の口実のため」という後ろ向きな理由で参拝することに相成りました。
なお、ここから信光明寺への道中には“岩津天神のみでは片参り 信光明寺”と書かれた看板があり、まるで信光明寺がおまけであるような扱いになっています。歴史的に信光明寺が主で、岩津天満宮が従のはずなのですが...
参道の階段を登った先には拝殿。
拝殿は入母屋(妻入)、向拝1間・軒唐破風付、銅板葺。1919年の造営。
手前にあるのは天神の乗り物である牛の象。
破風板や懸魚、垂木などは金具で装飾され、派手な彫刻の類こそないですが小ぎれいで美麗な外観。妻入の棟や、唐破風と軒のカーブが空に映えます。
拝殿の後方にある本殿は、屋根がわずかに見えるのみ。
屋根の形からして流造でまちがいないでしょう。この規模だと三間社が妥当だと思うので、三間社流造、銅板葺といったところでしょうか。
祭神は天神こと菅原道真。
写真下に写り込んでいるのは学業・合格祈願の祈祷の案内。祈祷にもいろいろあるらしく、お手軽な1か月コースから手厚い1年コースまで幅広くそろえている模様。
以上、岩津天満宮でした。
(訪問日2020/09/12)