今回は長野県のマイナー観光地ということで、千曲市の雨宮の渡し公園(あめのみやのわたし)と雨宮坐日吉神社(あめのみやにいますひよし-)について。
前回に引き続き、今回も国道403号沿線のネタを紹介していきます。
雨宮は千曲市の北の端にあり、千曲川を挟んで長野市川中島と相対している土地です。そして真田の城下町である松代もすぐ近くです。メジャー観光地の影みたいな場所にある雨宮ですが、松代を目指して自転車で走っていると良い感じの神社を発見しました。
雨宮の渡し公園
現地情報
〒387-0001長野県千曲市雨宮395-12(地図)
園内
個人的に県内屈指のガッカリ名所だと思うのがこの雨宮の渡し。
国道18号線の信号交差点に案内標識があるのですが、それにつられて見に行ってみたら石碑が1つと案内板1つしかなくてガッカリした記憶があります。川中島の八幡原古戦場には信玄・謙信の一騎討ちの像があるのですが、その勝負の発端になったとされるのが雨宮の渡しです。
以上。こちらが雨宮の渡しの全景でございます。
先述の通り、石碑と案内板、そして桜の木があるだけの公園です。“渡し”とは言っていますが、千曲川はこの場所よりもだいぶ北のほうを流れていて、周辺はただの住宅街と畑です。「上杉謙信がここで渡河して奇襲を仕掛けた」という伝説も、偲ぶことさえできません...
前回来たのが10年以上前だったので、今回は印象が変わるかもと思って来てはみたのですが、やはり私の中での評価は覆らず。
そして大きな案内板があるのですが、面積の割に情報量がなんとなく少ないような...
武水別神社の記事でも書きましたが、川中島の戦いは資料が乏しく、八幡原の一騎討ちや雨宮の渡しも、あくまでも伝説として楽しむに留めておいたほうが無難です。
以上、雨宮の渡しでした。
雨宮坐日吉神社
現地情報
所在地 | 〒387-0001長野県千曲市雨宮77(地図) |
アクセス |
屋代高校前駅から徒歩25分 更埴ICから車で5分程度 |
駐車場 | 20台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
続いて、雨宮の渡しのすぐ近くにあった神社を紹介します。雨宮の渡しは予想内のガッカリでしたが、こちらは初めて来たのですが予想外に立派で感心しました。
なお、読みは“あめのみやにいますひよしじんじゃ”です。難読ですが奈良県のほうだと飛鳥坐神社(あすかにいます-)のように“坐”で“います”と読む神社が多数あり、そこまで変な読みかたではないです。中学や高校で漢文を習った方なら、この読みかたも納得できるはずです。
また、“日吉”は“ひよし”と“ひえ”のどちらで読むかが難しいですが、先述の雨宮の渡しの案内板に“Hiyoshi Shrine”とあったので“ひよし”が正しいのでしょう。
鳥居は赤い両部鳥居。
手前の道路はそれなりに広いのですが、地元の人だけが使う道といった感じで、車通りは少ないです。
鳥居の額をよく見ると、“坐”が普通の字ではないです。普通は「人、人、土」ですが、これは「口、人、土」になっています。案内板なども無いので、この理由は解りません。
拝殿。この日は改元があったので国旗が立ててありました。
本殿は間口3間、奥行2間。銅葺きの三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)。
まさか三間社があるとは思ってもいなかったので、ちょっと驚きました。
案内板がないのでいつの建立なのかは謎ですが、けっこう古風な造りに見えます。組物はシンプルな舟肘木くらいで、装飾といえるようなものは懸魚(げぎょ)くらい。室町時代っぽい建築様式だと思います。
雨宮坐日吉神社について検索してみると、無形文化財に指定されている祭りが出てくるのですが、この祭りは500年以上の歴史があるとのこと。なので、この神社は室町時代には存在しており、現在の本殿も室町時代から同じ姿を留めている可能性も充分にあるはずです。
推測はこの辺でやめにしておきますが、素人の推測なのでくれぐれも鵜呑みにしないように!
本殿大棟の端。六芒星の中心に丸穴があいた意匠。あまり見かけない紋です。
境内の裏手には摂社・末社とよく手入れされた公衆トイレがありました。
自転車移動の休憩のついでに立ち寄ったのですが、この場所にこれほど立派な神社があるとは知りませんでした。この神社はいずれ再訪したいです。
以上、雨宮坐日吉神社でした。
(訪問日2019/05/01)