甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【諏訪市】習焼神社

今回は長野県諏訪市の習焼神社(ならやき-)について。

 

習焼神社は真志野地区の集落に鎮座しています。

創建は不明。境内案内板(設置者不明)によると、延暦年間(782~806)の御柱祭のときに当社が造営されたらしく、平安初期には確立されていたようです。その後、鎌倉期には北条氏から、室町末期には武田氏から庇護を受けたとのこと。創建当初は諏訪大社上社の末社だったようですが、現在は摂社となっています。

現在の社殿は江戸中期以降のもので、舞屋は大隅流の宮大工の作となっています。

 

現地情報

所在地 〒392-0131長野県諏訪市真志野4493(地図)
アクセス 上諏訪駅または茅野駅から徒歩1時間
諏訪ICから車で10分
駐車場 10台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

舞屋

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習焼神社の境内は北東向き。正面側には県道16号線が通っていますが、鳥居は境内側面の南側にあります。

鳥居は石造の明神鳥居。南東向き。

 

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鳥居をくぐると右手に舞屋があります。南西向き。

入母屋、銅板葺。

境内案内板によると1835年(天保六年)着工。

内部は回り舞台になっているようです。

 

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正面の軒下には、極太の虹梁がわたされています。

棟梁は不明ですが、この虹梁の若葉は大隅流の伊藤儀左衛門と伊藤安兵衛の作とのこと。

 

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柱は角柱。

虹梁の木鼻は、巨大な象鼻がついています。

軒裏は放射状(扇垂木)になっており、神社ではめずらしい造り。

 

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組物は出組。中備えは蟇股。

桁下の板支輪には雲が彫刻されています。

虹梁の若葉も繊細な造形で、舞屋にしては非常に凝った造りをしていると思います。

 

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側面。

坂の上のほうを向いて建っているため、背面側は床が高くなっています。

回り舞台があるとのことで、床下は舞台を回す人が入る空間になっているのでしょう。

 

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破風板の拝みは蕪懸魚。

入母屋破風の内部には妻虹梁が見えます。

 

幣拝殿

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舞屋のはす向かいには幣拝殿と合併殿が北東向きに鎮座しています。社殿の周囲には立派な御柱が立てられています。

向かって左にある弊拝殿は、入母屋、向拝1間・軒唐破風付、銅板葺。

1898年(明治三十一年)再建。

 

棟梁は伊藤作蔵という人物で、ほか多数の脇棟梁が携わったようです。

伊藤作蔵については調べてもそれらしい情報が見つからず。大隅流は伊藤姓を名乗る人物が多いので、私の想像ですが彼も大隅流の一門かもしれません。

 

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向拝。

軒下は多数の彫刻で彩られています。

大隅流・立川流らしいにぎやかな作風。

 

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向拝柱は几帳面取り。側面には雲状の象鼻。

柱上の組物は、皿のついた出三斗。

 

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虹梁の唐草(若葉)は波の意匠。中備えは竜の彫刻。

唐破風の軒下の彫刻は宝尽くし。巾着袋やシャコガイなどが彫られています。これは大隅流・立川流らしい題材です。

 

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唐破風の軒先。

破風板の拝みには鶴の彫刻。肝心の頭部が欠けてしまっています。

鬼板には諏訪梶の紋。よく見ると五根の諏訪梶(諏訪大社下社の紋)になっています。上社ではなく下社の紋が使われている理由は不明。

 

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海老虹梁は大きく反った形状。

軒裏の垂木はS字にカーブしていて、手挟もそれに合わせた形状をしています。手挟は波の籠彫。

 

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母屋柱は角柱。

柱の上部には頭貫と台輪が通っています。頭貫木鼻は象鼻。

組物は出三斗。中備えは蟇股。

桁下の板支輪は雲の彫刻。

 

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母屋は正面側面ともにガラスの格子戸になっています。

縁側は3面にまわされ、跳高欄が立てられています。

軒裏は二軒繁垂木。

 

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背面側には、弊拝殿の幣殿部分が本殿(写真左端)に向かって伸びています。

幣殿部分は切妻(妻入)、銅板葺。

 

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別アングル。中央が幣拝殿、右は本殿。

 

本殿

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弊拝殿の後方には、板塀に囲われた本殿が鎮座しています。

一間社流造、銅板葺。

1754年(宝暦四年)造営

祭神は洲羽若彦命、スサノオ、草薙剣徳の3柱とのこと(境内案内板より)。洲羽若彦命(すわわかひこのみこと)は、諏訪大社の主祭神であるタケミナカタの第三子。

 

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向拝柱は几帳面取り。

組物は出三斗をベースとし、木鼻のついた肘木が入ったもの。やや風変わりな組物です。

海老虹梁は向拝柱の組物の上から出て、軒裏すれすれをカーブして母屋の頭貫木鼻の上に取りついています。

 

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母屋の組物は出組。

妻虹梁の下は板支輪で、菱形の文様が彫られています。

妻虹梁の上の妻飾りは、笈形付き大瓶束。笈形は波の意匠。

破風板の拝みには、雲状の鰭のついた蕪懸魚。桁隠しはなく、桁の木口は銅板でカバーされています。

 

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背面。

母屋柱は円柱。頭貫には拳鼻。中備えに蟇股が確認できます。

縁側は背面以外の3面にまわされ、脇障子が立てられています。

 

合併殿

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弊拝殿向かって右は合併殿(ごうへいでん)。

切妻、銅板葺。

明治期の神社整理によって当地の周辺の小社が合祀されたもので、37社37柱が祀られているとのこと。

 

右手前の切り株には「夫婦桂」という立札があり、縁結びなどの神木とのこと。室町末期の武田信玄の時代に植えられたものらしいです。

 

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柱は角柱。建具は格子戸。

頭貫木鼻は象鼻で、柱上に台輪がまわされています。

組物は出三斗。

軒裏は二軒繁垂木。

 

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背面。

正面ではなく背面にのみ庇が付いています。風変わりな造り。

案内板(設置者不明)には“流れ造り”(当ブログでは流造と表記)とありますが、前述の本殿のような正式の流造とはかけ離れた造りをしています。あえて言うなら両流造が近いかもしれませんが、単に「切妻」と呼ぶくらいにとどめたほうが無難だと思います。

 

以上、習焼神社でした。

(訪問日2019/04/13,2021/10/06)