今回は群馬県富岡市の妙義神社(みょうぎ-)について。
妙義神社は市北西部の妙義山のふもとに鎮座しています。
創建は社伝によると537年(宣化天皇二年)。もとは波己曽神社(はこそ-)と呼ばれ、この社名で『日本三代実録』(901年成立)に記載されています。その後の詳細な沿革は不明ですが、江戸時代には関東の北西の鎮守として幕府の崇敬を受けました。明治時代には、別当の寺院が廃寺となっています。
現在の境内は江戸中期以降のもので、権現造の社殿が重要文化財となっているほか、当社の前身となった波己曽社の社殿が県指定の文化財です。
当記事ではアクセス情報および総門と波己曽社について述べます。
唐門と拝殿・幣殿・本殿などについては、後編をご参照ください。
現地情報
所在地 | 〒379-0201群馬県富岡市妙義町妙義6(地図) |
アクセス | 松井田駅から徒歩1時間 松井田妙義ICから車で5分 |
駐車場 | 道の駅みょうぎに200台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 妙義神社公式サイト |
所要時間 | 40分程度 |
境内
総門
妙義神社の境内は東向き。境内は山中にありますが、入口周辺には道の駅や軽食店が並んでいます。鳥居の後方に見える岩山は妙義山。
入口の鳥居(一の鳥居)は、銅板でカバーされた明神鳥居。
急坂の道路を数十メートルほど進むと、社頭に到着します。
左手の社号標は「妙義神社」。
社頭の先には総門が鎮座しています。
三間一戸、八脚門、切妻、銅板葺。
1773年(安永二年)造営。後述の本殿などとあわせて「妙義神社」3棟として国指定重要文化財。
正面中央の柱間。
柱は円柱で、柱間には飛貫と頭貫が通り、2本の貫のあいだには緑色の連子が入っています。
扁額は「高顕院」。当社には幕末まで石塔寺*1という別当があり、「高顕院」はその院号です。石塔寺は明治初期の神仏分離で廃寺となりました。
この総門も、かつて石塔寺の仁王門として使われていたものです。
向かって右の柱間。
頭貫の木鼻は籠彫りで、波の意匠です。
頭貫の上の中備えは蟇股。菊と思しき花が彫られています。
柱上の組物は出組。
右側面(北面)。
側面は2間で、柱間は横板壁。
妻面。
妻虹梁の中央から、冠木らしき部材が突き出ています。
破風板の拝みと桁隠しには懸魚。
妻虹梁の上には、彩色された唐獅子の彫刻が置かれています。
二重虹梁の上の妻飾りは、笈形付き大瓶束。
内部の通路上にも、中備えに蟇股があります。
向かって左側を見上げた図。写真左が正面側です。
内部は、小さい切妻の屋根を前後に2つつなげた構造になっています。
通路上にわたされた梁(写真中央)には、丸穴が開けられています。おそらく当初は門扉があったのでしょう。
背面。
側面および背面の中備えは、正面と同様に蟇股です。
参道と境内社
総門の先の参道脇には、2棟の境内社が当面しています。
こちらは社名不明ですが、稲荷社のようです。
一間社流造、銅板葺。
稲荷社の左側には、和歌三神之社。
3つの母屋がひとつの屋根の下に並んでおり、左から玉津島神社、人丸神社、住吉神社。
屋根を共有していますが、母屋も向拝も別々となっています。
柱は角柱。頭貫には大仏様木鼻。
柱上は大斗と実肘木らしき部材です。
妻飾りは豕扠首。
総門の先には二の鳥居。
銅造明神鳥居。扁額は「白雲山」。
県指定文化財。
柱の根元には火炎状の曲線の意匠があり、4面に獅子の像がついています。
参道右手には手水舎。
切妻、銅板葺。
上にふくらんだ曲線の、むくり屋根となっています。
波己曽社
参道の左手には、摂社の波己曽社(はこそ-)が南面しています。上の写真は拝殿部分。
入母屋、正面千鳥破風付、銅板葺。
1656年(明暦二年)造営。「波己曽社殿」の名称で県指定文化財となっています。
もとは妙義神社の本殿と神楽殿として使われていた社殿のようで、当社でもっとも古い社殿です。当初の形態や、改変箇所がはっきり分かる資料があれば、国の重要文化財にもなりえたと思います。
屋根の正面の千鳥破風。
破風板の拝みは蕪懸魚。
妻飾りには蟇股や虹梁大瓶束があります。
母屋の正面は3間。柱間は格子の引き戸と、半蔀が使われています。
向拝はありません。
軒下は極彩色に塗り分けられています。
柱上の組物は出組。中備えは蟇股。
柱は円柱。頭貫には拳鼻。
側面は2間。
柱間は半蔀と舞良戸。軒下の意匠は正面と同様です。
軒下の詳細。
頭貫には菱形のパターンが描かれ、その上下の羽目板には花と唐草が描かれています。
蟇股には花鳥の彫刻。上の写真は、松に鶴です。
柱の上部や組物は、桃山風の極彩色。
軒桁にも菱形のパターンが描かれ、桁下の支輪板は波と花の意匠。
側面の入母屋破風。
懸魚や妻飾りの意匠は、正面の千鳥破風のものと同様です。
拝殿部分の後方には、幣殿・本殿に相当する棟がつながっています。
幣殿および本殿部分は、入母屋(妻入)、銅板葺。
幣殿部分の軒下。
柱は角柱が使われ、欄間の壁板には雲らしき絵が描かれています。
本殿部分は床が高くなっており、側面に切目縁の縁側があります。
本殿前方の側面には火灯窓が設けられています。
軒下。
こちらは円柱が使われています。
軒下の意匠や彩色は、拝殿部分と同様。
反対側、左側面(北面)。
背面は3間。柱間は横板壁。
背面には縁側がまわされておらず、脇障子を立ててふさがれています。
軒裏は二軒繁垂木で、垂木や隅木の先端には飾り金具がついています。
背面向かって右側。
蟇股の彫刻は、右が粟穂に鶉(ウズラ)、左が柏にフクロウ。
波己曽社殿向かって左(北側)には厳島社が南面しています。
一間社春日造、銅板葺。
向拝柱は角面取り。面幅が大きく取られています。
柱上は連三斗で、向拝柱の側面の斗栱で持ち送りされています。
中備えは蟇股。はらわたの彫刻は、猪目(ハート形)をアレンジした曲線で、平板で古拙な造形です。
蟇股や連三斗は、軒桁を直接受けています。
隅木(母屋の軒裏から斜め手前に出る部材)のない、古式の純粋な春日造です。とくに文化財指定のない社殿ですが、このタイプの春日造は奈良県近辺でしか見られず、東日本では非常にめずらしいと思います。
向拝柱と母屋柱のあいだには梁がわたされ、梁の上に板を張ることで、軒裏の垂木の直行する部分をさばいています。
右側面。
春日造のため、背面には軒がまわされていません。
縁側は3面にまわされ、欄干は跳高欄。
総門と波己曽社については以上。