今回は愛知県豊川市の豊川稲荷(とよかわ いなり)について。
豊川稲荷は豊川の中心市街に鎮座する曹洞宗の寺院です。山号は円福山、寺号は妙厳寺(みょうごんじ)。
創建は1441年(嘉吉元年)。曹洞宗法王派の東海義易によって、豊川沿岸の円福ヶ丘という場所に妙厳寺が開かれました。その際に、山門に荼枳尼天(稲荷)が祀られたようです。室町時代は今川氏の庇護を受け、今川氏の滅亡後は徳川氏に庇護されました。江戸中期に現在地に移転し、出世の神として庶民の信仰をあつめたようです。明治初期の神仏分離では境内の鳥居が撤去されたものの、「豊川荼枳尼真天」という寺院として存続し、境内伽藍の破却を免れました。その後、「豊川稲荷」の通称で呼ばれるようになり、戦後は境内に鳥居が再建されました。
現在の境内伽藍は江戸後期から明治にかけてのもの。伽藍は、本尊を祀った法堂(本堂)と、荼枳尼天を祀った本殿が並立しています。境内の最奥部には無数の狐像にかこまれた霊狐塚があり、独特の趣がただよいます。
当記事ではアクセス情報および総門、山門について述べます。
景雲門と奥の院については「その3」をご参照ください。
現地情報
所在地 | 〒442-0033愛知県豊川市豊川町1(地図) |
アクセス | 豊川駅または豊川稲荷駅から徒歩10分 豊川ICから車で10分 |
駐車場 | 400台(600円) |
営業時間 | 05:00-18:00 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 豊川稲荷 |
所要時間 | 40分程度 |
境内
総門
豊川稲荷の境内は東向き。入口は商店街に面しています。
左の寺号標(社号標)は「豐川稻荷」(豊川稲荷)。
入口の総門は、一間一戸、四脚門、入母屋、正面背面軒唐破風付、銅板葺。
1884年(明治十七年)上棟。
正面の軒下。
多数の彫刻で飾られていますが、金網がかかっていて観察しづらいのが惜しいです。
正面の唐破風部分の軒下。
虹梁中備えは、鳳凰の彫刻。
唐破風の小壁部分には虹梁大瓶束があり、束の左右に彫刻があります。こちらの彫刻の題材は花鳥かと思いますが、金網でよく見えず。
向かって左手前の控柱。
控柱は几帳面取り角柱で、上端が絞られています。
控柱の前面と両側面には木鼻がついています。内側(上の写真では右側)の木鼻は、巻斗と肘木を介して、虹梁を持ち送りしています。
柱上の組物は出組。
内部、向かって右側。
主柱は円柱。礎石の上に立てられ、下端は銅板の金具でカバーされています。
主柱と控柱のあいだには腰長押が打たれ、長押の上の欄間には花狭間が入っています。
門扉は板戸。門扉と主柱のあいだの欄間にも、文様が彫られています。
内部の通路部分には冠木がわたされ、折り上げ格天井が張られています。
冠木の上の彫刻は十六羅漢。案内板*1によると“諏訪ノ和四郎その他名工の合作といわれ”るそうですが、真偽のほどは不明。事実なら、立川和四郎富種(3代目和四郎)の作でしょう*2。
冠木の下、扉の上の欄間には菊水の彫刻。
背面側から見た図。
こちらも十六羅漢や菊水の彫刻があります。
左側面(南面)の軒下。
側面には冠木が突き出し、冠木と直行して虹梁がわたされています。
組物のあいだの中備えは蟇股。
軒裏は二軒繁垂木。
門の左右には、大きな脇障子が立てられています。
入母屋破風。
木連格子が張られ、破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚が下がっています。
大棟の鬼板は、鳥衾が3本ついたもの。
背面全体図。
正面だけでなく、背面にも軒唐破風がついています。
山門
総門の先には山門があります。
三間一戸、楼門、入母屋、本瓦葺。
案内板(設置者不明)によると、1536年(天文五年)に今川義元の寄進で建立されたもので、当寺最古の伽藍とのこと。1792年に修理があり、1954年に大修理で現在の姿になったようです。
建立当初の今川氏時代の旧観をとどめていれば、重要文化財になっていたと思います。
下層。
柱はいずれも円柱で、四角い礎石の上に立てられています。
前方の1間は壁や建具がなく吹き放ちで、後方の1間に仁王像が安置されています。
向かって左の柱間。
中央の柱間(写真右)にはふつうの虹梁がわたされていますが、左右の柱間は虹梁の位置に頭貫と台輪が使われています。そのかわりなのか、頭貫の下に飛貫虹梁をわたしています。
虹梁や頭貫の両端の下面には持ち送り。持ち送りは異様に大振りに造られ、繰型や渦が彫られています。
隅の柱の上部。
頭貫には禅宗様木鼻。
柱上の組物は、大斗と実肘木(花肘木?)を組んだもの。
左側面(南面)。
仁王像が置かれた後方の1間も、側面に壁がありません。柱間には連子のような柵がつき、金網が張られているだけです。
上層。下層と同様に、正面3間です。
扁額は山号「圓福山」(円福山)。
軒裏は二軒繁垂木。
中央の柱間には桟唐戸がありますが、火灯窓のような形状の枠がついています。
上層も柱は円柱で、軸部は貫と長押で固定され、柱上に台輪が通っています。
向かって左の柱間。左右の柱間は連子窓。
頭貫には象鼻がついています。
柱上は出組。中備えは蟇股。
上層左側面(南面)。
前方(写真右)は引き違い戸、後方は連子窓。
破風板の拝みには懸魚。左右の鰭は雲の意匠。
ほとんど見えないですが、入母屋破風の内部には笈形があります。
大棟には鬼板と鯱が乗っています。
背面全体図。
こちらも上層に扁額があり、どちらが正面なのか分からなくなりそうな造りです。
下層背面中央の虹梁。
虹梁の絵様は、非常に深い彫りで若葉が造形されています。
中備えの彫刻は、竹に虎。正面の虹梁中備えに彫刻がないのに、背面にあるのは奇妙だと思います。
上層背面。
各所の意匠は正面と同様。
扁額は私の知識では判読できず。
山門と総門については以上。